色々な意見や考え方があって良いものと思います。ただし、何を本当に求めているのかを見失わないことです。ツイッターは言葉足らずなので誤解を生みやすいものですが、本日関西の方を怒らせてしまったようです。原発を止めると停電で交通事故が起こるとのツイートに少しばかり反論したところ、個人プロフィールを自分のツイートでけなしてきました。まあこれ以上つきあう気はないのですが、通常の返信で対応したことになぜかご立腹でした。もしかすると電気がないと困る特別な理由があるのかも知れません。私も大人げなかったかなと思っています。


なかなかこの様に正論だけでは通らないほど肥大した社会になってしまいました。だからこそ各個人が自己責任である程度の自由度をもって人生を選べる必要があると思うのです。国や自治体が決めた結論ありきで従うだけでは結果はどうあれ、半数近くの人々は不満足な人生となってしまいます。ましてや原発事故のような大きな災害に対する対応にはきめ細かなものが必要です。


停電が危惧されるならば、まず人工呼吸器を使っている方などには不安を与えないようなシステムを直ちに用意すべきでしょう。彼らを人質に原発を稼働させてもそれは事故が起こるまでの時間稼ぎに過ぎませんし、いざ事故となればそれこそ停電だけではすまない事態となってしまいます。安全性に関しては損害の大きさや強さだけではなく、取らずにすむリスクは例え1つでも取らないようにするのが、技術者に科せられた倫理観です。


建物にも、食品にも安全係数というものがあります。絶対に安全な値にさらに係数をかけて、安全を確保するという仕組みです。原子力行政は絶対安全な値を逆に割り引いて、原子力ムラの安泰係数としています。そんな情況で何を求めているのか、本当に弱者の人命や事故防止を望んでいるのか?根本的な回答がないまま電力不足だけを盾にとってもとても納得のいくものではありません。せめて西日本は環境を維持していただかなければならないと考えています。