原子力規制(寄生)庁の実態が浮かんできた。2月21日東京新聞の朝刊によれば寄生庁の人員の3/4が原子力安全保安院の人員の横滑りだそうだ。すべってそのまま消えてしまえばいいような存在の連中が、再び本来の名前である寄生庁として復活するようである。福島や東北の復活より早くなぜ寄生する奴らの方が復活するのだろう。しかも残りの人員が安全委員会と文科省だ。まったく盗人に金庫を差し出すようなものだ。


野田のデブが惚け惚けしているからなのはいうまでもないが、経産省の寄生虫どもが宿主が生きている限りまとわりつくということのようだ。飯舘村の菅野村長にも未だに寄生している。あの死に損ないにまで寄生しつづけるタフさがうらやましい。さすがにニューヨークまで同行はしていないと思うが、までいという素晴らしい言葉を傷つけ、侮辱しつづけ、ついには海外にまで行ってこの素晴らしい言葉を踏みつけにした菅野村長、行政の最低な面をすべて出し尽くしてくれたものだ。


東電に対してなぜもっと強く村の損害の賠償を追及しないのか。住民の苦痛を賠償の形にする努力を一切放棄してしまうのか。ヤツの望みが今ひとつわからないが、やはり既に望みを頂いてしまったのだろうか。


警戒区域では中間貯蔵施設でもめているようだ。最終処分場が決まらなければ当然である。時間当たり1msvを越えるような現場を少なくとも作業のできる情況にするにはそれなりの施設が必要だ。やはり地層処分場を早急に作る必要がある。中間貯蔵と最終処分を兼ねたものが必要だ。その最適地は飯舘村の地下である。佐藤雄平知事のようにMOXを導入しておいて、福島を死地に追いやっておきながら、最終処分場を県外になどという話しはあり得ない。


放射性物質は閉じ込め隔離することが大前提である。今のように除染のカネに目がくらんで、野晒しの仮置き場や、中間貯蔵施設を作れば二次被害の元になる。