東京新聞2月14日の一面トップは伊方原発のプルサーマル導入に至る説明会で推進派住民を動員して説明会をスムーズに運用していたことを報道している。九州電力のやらせシンポジウムが大きく取り上げられ、東電のみならず電力会社の不正な事業の推進方法が問題になったばかりのこの時期に、原子力委員会の第三者委員会は伊方原発のこの問題を知りながら不問に付していたようです。

 この期に及んでもまだ身内の罪をかばい続ける原子力委員会の出したストレステストの結論が信頼できるものでしょうか。解散するまでは責任を負うということは納税者である国民に対してではなく、守り続けてきた原子力村に対しての宣言だったということのようです。



 飯舘村では住民の意向に沿った対策をしてほしいとこの同じ日に菅野村長は野田総理に要請したそうです。いつ住民の意向を彼が聞いたのか?聞こうとしたのか?住民説明会の席上そのような態度は一回も見たことがありません。飯舘の住民はあらゆる意味でリテラシーが高く、独立心も強いため、やらせの説明会は成立しませんでした。村長に対して真っ向から反論が相次ぎ、環境省に対してもぐうの音も出ないほど厳しくそのいい加減な計画と行動を追求しました。しかし、村長は素知らぬ顔で除染は国是である。廃土の仮置き場はここしかないと言い切りました。その後の報道や村の広報には丁寧な説明をして理解を求めたとの記事と宣伝文句が並びました。


 さて、このような背景の下で総理大臣にいったい何を求めたのでしょうか?この会見そのものがやらせなのではないかと思ってしまうのは私だけでしょうか?残念ながら国も村も同じ穴のムジナです。お互いにシナリオ通りに注文を付けあって猿芝居をしているだけです。仮置き場の説明会では国や東電に村の損害賠償を請求したかと問いただしました。村長の答えはいろいろ頼んだが除染以外は何も受け付けてくれなかった。いろいろやったのです。とはっきり言いつのりました。本当でしょうか?


 村のホームページには県や国への要望書の写しが掲載されています。しかし、賠償の要求や住民の要望を要求した形跡はありませんでした。国から県から村まで大ウソつきです。

そこに電力会社も乗っかって日本の国を食い物にしてきたのです。消費税などもってのほかです。電気料金など国民的不払い運動に値します。電力会社を潰して下請け会社に分け与えた方がよっぽどよい環境を構築するでしょう。


 責任を取らないことがこんなに横行して国の秩序は守られるのでしょうか?政治家も官僚も自治体も全く責任を取らず、犯罪者である東電ですら何の責任も負わないのです。官僚は口が滑って政権与党に迷惑をかけた時だけ責任を取って辞任しますが、退職金をもらって天下るだけのことです。とんでもないことをしでかしても組織としての失敗であればだれも責任を取らずに済むのです。謝ることすらしないのが官僚です。だから同じ過ちを繰り返しながら生き残っているのです。困った存在です。原発の問題以外にもたくさんの同じような事例があります。この組織にメスを入れない限り国民は救われないでしょう。


政治行政を研究している専門家の先生もこれらの問題には決して言及しません。研究費を出しているスポンサーの目を気にしているからです。いくら高邁な仮説を立てて論じても実態を捻じ曲げて、情報を遮断して机上で専門書を書くだけではSF小説家の足元にも及びません。ジャーナリストという言葉も昨年死語になりました。金の亡者による現実世界のバーチャル化のみが進行しているようです。放射能もいつの間にか安全安心と言われ、農作物を作らなければ田圃が復活できなくなるなど嘘と詭弁が学者の口から次々出てきています。


我が家の田圃は10年以上耕作放棄されていましたが、りっぱにコメができました。現地も見ずにテレビとネットの情報だけでものを語る学者や専門家は都市伝説を信じている子供のようなものです。情報を単純化して自説を通そうとするのは学術世界では一般的でしょうが、現実の社会では通用しないことを知ってほしいものです。


飯舘村で今最も信頼できるのは村人自身です。彼らが望むものを与えれば自立し、復興する事だけは確かです。県庁や村役場が搾取(ピンハネ)しなければきっとうまくいきます。東電からのきちっとした賠償さえあれば、無意味な税金の投入なしにもっともあるべき姿になっていくでしょう。国や村が導けばそこには住人の幸福はなく、ありえない姿の不気味な村が出現して時を待たずに崩壊していくでしょう。まさにヨウ素131のように。