のってぃの非日常 | のってぃの日常

のってぃの日常

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長いしウザい文章なので、見たくないという人は見ないでください。


自分が思ったこと、言いたいことそのまま書きます。


日記みたいなものです。まさにのってぃの非日常ww
























1月10日




妹から電話がありました。








「お母さんがもう長くないって…」












「そっかぁ」


としか言えませんでした。




いつかこの日が来ると思っていたので。








卒試に専念するため三連休は仙台に残るか




お母さんに会うため実家に帰るか迷いました。






お父さんは


「卒試を優先させろ」と言いました。




妹は


「後悔しないほうを選べ」と言いました。








次に




大野先生に電話しました。


夜だったけど怒らずに真剣に話を聞いてくれました。






卒試もあるけど、親が危篤状態。私は泣きながら先生にどうしたらいいか聞きました。






もし最悪の事態になった場合に、どうしたらいいんですか?










先生は




「とにかく親を優先させろ。




卒試や国試は何回でも受けれる。




でも、親が死ぬのは一生に一度だ。」








ちょうどこの前激励でもらった鉛筆にも






大野先生から






「人生一度」






という言葉が刻まれていました。








この言葉を聞き、私は仙台に残るつもりでしたが




翌日の始発の新幹線で帰ることにしました。








翔に電話して




事情を説明すると




すぐに家に来てくれました。






それからは、ずっと泣いていました。


泣き過ぎていろいろ思い出話なんかもしていたら、ほとんど眠れませんでした。








お母さんは4年くらい前から


子宮体癌を患っていました。






ちょうど私が3年生の春休みで実家に帰っていたとき、お母さんから癌であることを告げられました。




今でも覚えているのは、車の中で


「検査結果聞いてきたんだけど、悪性腫瘍だって。癌。」


と泣き声で言っていたことです。






私は何も言えませんでした。




少し沈黙が続いて、「大丈夫だよ!!今は癌は治る病気だっていうし、絶対治るよ。」


と言いました。






でも心の中では




あと5年くらいなのだろうか…と考えていました。






ちょうどこの時期に




薬治で抗癌剤を習ったりしていたので、とても嫌な気分でした。










それから、5月に子宮を全摘しました。




しかし、癌は転移している様子で、その後何回も、数えきれないくらい入退院を繰り返しては抗癌剤治療を行いました。






後から、死亡診断書を見てわかったのですが、最初の診断がステージⅣbという一番最悪(遠隔転移)な状況だったので、仕方がなかったんですね。










お母さんは髪の毛こそ抜けてしまったけど


それ以外はとても元気で食欲旺盛でした。




去年の夏には仙台に遊びに来て、いろんなところへ出かけたりして…




「また遊びに来るね!卒業式も行くから!」と言っていました。








そんなお母さん12月30日あたりから急に具合が悪くなったみたいで、


年明け病院に行った時には緊急入院だったみたいです。






元日に実家に電話したんだけど




お母さんは「国家試験受かるまではなんとか生きなきゃ…」と泣き声で言っていました。






たぶん、もう自分が死ぬんだということを悟っていたのかもしれません。












結局、11日の朝始発の新幹線で帰りました。


後悔しない方を選びました。








病室につくと


お母さんはやつれた表情で




最初私に気付かず、妹だと勘違いしていたらしく




私だとわかるととても驚いていました。




「どうしたの?なんでいるの?」と言われたので




「卒試終わったから帰ってきたよ」と言いました。






お母さんに心配かけたくなかったので、お母さんの前でだけ卒試は終わったことにしました。







それから毎日お見舞いに行きました。






卒試前日もぎりぎりまで病室にいて、新幹線で帰り、ろくに勉強もせず二日目を受けました。








卒試を受けるからには集中したかったので、家族には




「もし今日明日何かあっても、卒試終わるまでは連絡しないでね」と言いました。








卒試を終えてすぐにまた実家へ帰り、一応勉強道具は持って行ったもののほとんど勉強できませんでした。






看護師さんには「娘さんですか?いっぱいお話してください。」とだけ言われて、これが現実なんだな、と思いました。




直接的ではないけれども、看護師さんの言葉が胸に突き刺さりました。






それから、お母さんはかすれ声で話すこともできず、痰が大量に絡まって自分で出すこともできず、息苦しそうでかわいそうでした。



癌が肝臓、腎臓、骨、肩、リンパ節に転移していて、肺に転移したら終わりだと言われました…




そんなお母さんを見てから、「ああ、早く楽になってほしい」と思うようになり、あまり泣かなくなりました。






16日、たまたま妹が次の日授業がないので病室に泊まることになり




何かあったら電話するからと言われていました。




家ではお父さんとこれからのことについて話し合っていました。もちろん、お母さんが死んだ後のこと。


まだ生きているのに、死んだ後の話をするのはつらかったけど、それが現実でした。






日をまたいで


17日の1時半ごろ。




ちょうど寝ようとしていたときに




なぜかお母さんの携帯から着信がありました。




このとき覚悟しました。




妹からで、容態が急変したから急いできてくれと…


声は震えていました。










病院に着くと


病室は変な照明?なんかいつもと違くて




妹が号泣していました






お母さんは動いていませんでした。


でも手はまだ温かかった。




家族みんなで泣きました。






おばあちゃん(お母さんのお母さん)はずっと名前を呼んでいました。


返事はありません。






そのあとは、葬儀社の人が来て、霊安室みたいなところにも入って、いろいろ大変でした。


死亡届を初めて見ました。なんか怖かった。






お母さんとともに家に着いたのは4時くらい。








明日から忙しくなるぞと思うと眠れませんでした。








それからは




家にたくさんの人が弔問にきて大変でした。






また、妹と喪服を買いに行きました。




お店の人に「学生さんなの?大変だね」みたいなこと言われて


ウザって思った。






初めて喪服買う時が母親の死んだときだとは思っていなかったなぁ。






それから、火葬、通夜、葬式と3日連続で疲れました。






火葬は、骨が意外とちゃんと残っていて、みんなにびっくりされました。




抗癌剤をやっていると、骨がピンクになるみたいで




お母さんの骨もほんのりピンクでした。






霊柩車に乗ったのも初めてで


骨壷を持ったのも初めてでした。




意外と骨が重くてびっくり!!






通夜、葬式では泣きませんでした。




喪主のお父さんは終始泣いていた気がする…






あまりにも泣いていなかったので親戚の人に「我慢しないで泣いていいんだよ」と言われたんだけど




あまり実感がわかないってのと、もういっぱい泣いたよってのと、泣いて送るより笑ってた方が嬉しいんじゃないかな?って思って。




ホントにあまり泣いてない。不謹慎かな?と思ったけど。泣こうと思えば泣けるんだけどね。






そしてバタバタと終えて仙台に戻り


今に至る。








きっとまだ49日経ってないし、成仏してないからさ


幽霊になったら仙台にもフラっとこれないかな?




部屋の隅っこでウヨウヨしてて、「試験頑張れ」って応援してないかな?






守護霊として応援してよ!!








ってなかんじで




みんなに頑張れって励まされて、嬉しいんだけど




やっぱり勉強できなかったブランクは大きいって焦ってるし


いろいろプレッシャーだよね。






まぁ、親が死ぬかも、とか死んだって時にのんきに勉強できるほど神経図太くないので私。








正直、悲しみをばねにできるほど強い人間じゃないよ。




悲しみってか虚無感っていうのかな?






なんかそわそわするかんじ?








でも勉強はやっているよ。




今は実務やってるんだけどさ、やっぱり抗癌剤とかモルヒネとか出てくるとつらいよね。






そういえば、法規の麻薬で、使用しなかった麻薬は管理者に返却する、とかあったけど




どうなんかな?






普通に家に持って帰ってきたし、たぶんもうゴミに捨てたと思うんだけど…


病院の人に何も言われてないし知ーらない。








とまあ、実践的に覚えたこともちらほら。










それにしても、医者、看護師はもうちょっと倫理観を持てないのかね?




死に慣れてるから何とも思わないのかな?でも遺族に対する配慮とかあるよね?






逆に、薬剤師ってそうそう患者の死に立ち会うことがないから、遺族の気持ちに寄り添うことができるのかな?


なんて考えたり。




とりあえず、看取った妹は医者、看護師にキレてました。








私は何とも言えないけど。










いっぱい書いたけど、やっぱりやりきれない感?


でもみんな助けてくれるので感謝です。