知られてない島の歴史 こんな成功者がいた!Mukai Family | 小さな島の小さな家で  Vashon 島だより

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世界放浪の後、ついに念願の島暮らしを実現。ワシントン州のシアトル対岸の小さな島でリタイヤ生活を始めました。

毎週日曜日、シーホークスに寿命を縮められているマダムです。も~、なんなのあの試合?最後勝ったね!って思ったのにまさかのフィールドキックをミスったスターキッカー。プレッシャーってすごいね。

 

さて、昨日は島の歴史的建物が再オープンするというので行って来た。シアトルに移住するまで恥ずかしながら知らなかった日系人の歴史。うちの島にもあったんですね~。

 

Denichiro Mukaiがサンフランシスコにやってきたのは19世紀の終わりごろ。15歳だったって・・・Can you imagine?うちの御曹司いま14歳。ありえない。

色々な仕事をしながら頑張り、シアトルに流れ着いたMukai。奥さんが肺病になったのをきっかけに島へ移住してイチゴ農場を経営。それだけならべインブリッジにも同じような日系人が沢山いた。でもこのMukaiのすごいところは初めてイチゴを冷凍してワシントン州以外にも出荷できるようにしたということらしい。さすが、大阪出身。ど根性でアイディアもある。

 

500人も人を雇って島で尊敬されていたファミリーだったので戦争始まる前に信用できるアメリカ人に農場を貸して自分たちはアイダホへ移住。ってことは強制収容所にはいかなくてすんだ?そんな日系人もいたのか?

 

結局アメリカ生まれの息子さんの代でイチゴは儲からないので職種変更したらしい。1999年にこの息子さんが亡くなったあと、次に買ったテキサス在住の夫婦とカウンティがもめてたけど、このたびようやく島の保存委員会みたいなものの所有になったらしい。

 

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家の中はこんな感じ。image

 

これ富士山にも見えるけど手前の船はどう見てもアジアンな?image

Mukaiの奥さん所有だったGeisha Girl tea set。image

日本庭園に桜を植えて花見茶会を催して島の社交の中心だった奥さん。今の朽ち果てたお庭を草葉の陰で嘆いていることでしょう。

 

というわけで、私たちもこれからこの委員会のボランティアに参加することに。これからこの家や元工場を修理、庭を再構築するためのFund raisingをやるんだって。

情熱的に語る委員会の人たち、素直に尊敬。100年もたってない建物だけどアメリカにしちゃ歴史的建物。それを大事にしてこれから再利用しようという情熱・・・すごいです。

 

日系人の歴史に興味あるかたはのぞいてみてください。

 

Friends of Mukai