北海道日本ハムファイターズの優勝パレードが11月22日、札幌市の大通6丁目からススキノ交差点の間で開催され、11万1千人(主催者発表)のファンが選手たちへ今年最後の大声援を送った。




ジ・オンライン・プレス北海道

<<紙吹雪の舞う中、パレードを行うファイターズ選手>>



 筆者は、ある感慨を持って、このパレードを観覧した。それは、「北海道にファイターズという新しいアイデンティティが定着した」ということだ。


 ファイターズが移転する前の北海道は、なにかと「一体感に欠ける」「北海道の広大さは分かるけど、道民のアイデンティティは、なに?」と揶揄(やゆ)する声が道内外から聞こえていた。



 それは、無理もないことだった。北海道は、日本国土の20%をも占める巨大な地方自治体。同じ陸続きの北海道内を移動するためには、飛行機や寝台バスを使わなければならないほどだ。



 その広さゆえに、同じ北海道内でも各地で「さまざまな違い」が生じていた。地域によって、話す言葉が違う。気候を考えても、豪雪地帯やマイナス40度にもなる地域もあれば、冬でも雪が積もらないほど温暖な地帯もある。政治観や思想も地域によって違う。先祖が、どの地域から入植したかなど。あまりにも違いが大きすぎるために、一体感を持てずにいたと言っても過言ではないだろう。




 そんな道民にとって、北海道日本ハムファイターズが誕生したことにより、さまざまな垣根を乗り越えて一体感を築き上げるきっかけとなったことは、本当に意義のあることだった。




 しかし、ファイターズが北海道にすぐ浸透したわけではなかった。


「ファイターズが北海道に移転する」と発表された2002年。マスコミの熱烈な報道とは異なり、道民の視線は冷ややかなものがあった。移転が発表された直後に行われたファイターズの北海道シリーズでは、札幌ドームの観客席がガラガラに空いている状態だった。



 主催者発表では「1万6000人の観衆」とされていたが、筆者が札幌ドームで見る限りでは、「1万人もいないのでは?」と感じさせられる有り様だった。


 札幌ドーム内にテナントとして入る飲食店関係者も、「これでは商売にならない。あまりにもひどすぎる。このシリーズは赤字…」と、ガッカリと肩を落としながら筆者にグチをこぼしたほどだった。



 あまりの観客数の少なさに、筆者も「巨人ファンが多い北海道で、ファイターズは受け入れられるのだろうか? 経営が失敗した場合は、サッカーJリーグの『コンサドーレ札幌』のように、赤字補てんのための血税投入が行われ、道民の大きな負担となってしまうのでは?」と、不安を感じずにはいられなかった。




 そんな不安は、その後ファイターズのフロントによる本気の改革によって、打ち消されることとなった。トレイ・ヒルマン前監督の就任。稲葉篤紀選手やスーパースター新庄剛志選手の加入。ダルビッシュ有投手や小谷野栄一選手など若手の台頭。選手が北海道民と交流する機会を積極的に作るなど、その後のことは筆者よりも読者の皆様の方が詳しいであろう。




 誰もが子供の頃、小学校の校庭で白球を追いかけた「白いボールのファンタジー」。その「純粋に野球が好き」という子供たちが大人になり、ファイターズのユニフォームを着て白球を追い続ける…。その姿を見た道民が、一体となって応援し、感動する…。そんな姿が、単なる「ファンタジー」ではなく、「北海道で3回目の優勝パレード」という現実となった。




 ファイターズという新しいアイデンティティであり、シンボルをどのように育てていくのか? ファイターズを通じて得ることができた道民の一体性をどのように継続するか? それらは、道民1人1人に課せられていると言っても良いだろう。




 来年は、「日本一」という形でパレードが開催されることを期待したい。そして、来年はもっと素晴らしいパレードにしよう。北海道日本ハムファイターズよ、永遠なれ!



ジ・オンライン・プレス北海道

<<小旗を振って歓声を上げる道民>>



ジ・オンライン・プレス北海道

<<左から3人目がセーブ王の武田久投手。1人おいて、多田野数人投手。小谷野栄一内野手。鶴岡慎也捕手>>




ジ・オンライン・プレス北海道

<<沿道の大沢啓二さんに気が付いた左側の選手たちが、いっせいにあいさつをする>>




ジ・オンライン・プレス北海道

<<左から八木智哉投手、1人おいて糸井嘉男外野手、二岡智宏内野手、1人おいて稲田直人内野手、1人おいてFA宣言した藤井秀悟投手。「残留という選択肢はない」と話していた藤井投手は、笑顔でパレードに参加した>>




ジ・オンライン・プレス北海道

<<北海道銀行ビルには、「パリーグ優勝おめでとう」と書かれた垂れ幕が下がった>>


写真すべて、筆者が撮影