みなさま、こんにちは。
ミヤノリト∞です☆
体調がまずまず良くなり、家事もこなせるようになってきたので、
お買い物に外へ出ると、すっかり晩秋の風景で、
紅葉も見頃になっておりました。
数日前は、まだ日中は暑い感じでしたが、昨日の雨で一気に冬へと向かったようです。
明日、天気が良かったら近くの公園に秋を見つけに行ってみようと思っています。
さて、この世の中が終末期の様相となってから「聖書」を読み込んでいましたが、
やはり、「すり替え」「一部を抜く」ということが行なわれていることはどうやら間違いないようです。
しかし、どうやってそれを行ったか?
というと、中世ヨーロッパにおける「民衆から聖書を取り上げ火にくべる」という歴史があり、
そのタイミングで行われたのかもしれません。
もしかしたら、中世以前にも変えられていたのかも・・・。
そして、「死海文書」が出てきてしまう・・・。
そこには、何と書いてあったのでしょうか?
現在の聖書を見ると、
明らかに一神教である「神」とその子である「イエス」を信じることによって、
信じた人だけが救われる・・・という記述がされています。
それはある意味ヒエラルキー構造を是正するものであり、
イエス&神というキーワードによって、
人々は操られてしまう恐れを含んでいます。
本物の神は「個」ではなく、全体を示すもの。
美しく咲く花の中に神の面影を感じ、コップの中の水に神の恵を感じる。
自然に育まれたものにはどこにも神が存在する。
この本来の「神道」の考えに戻すことこそ、
次世代へと繋げるものとなる・・・と思っています。
実は、私たちの意識の中には、この「神」と同じものを生み出す力が存在しています。
例えば、何か工業的に作ったもの。
たとえば、量産された「ぬいぐるみ」があったとしましょう。
それは、誰かに愛されるまで、ただの「モノ」です。
しかし、誰かがその「ぬいぐるみ」を愛して、大事にして、思って可愛がって・・・。
それを繰り返していると、二重構造ができあがります。
ぬいぐるみの物質的なものに霊体である「意識体・ライトボディが存在するようになる。
それは、丹精込めて作ったものも同様です。
一目一目思いを込めて編んだマフラー、
納得がいくまでじっくりと創り上げた焼き物。
創っている過程において、ただのものに「ライトボディ」が存在するようになるのです。
このライトボディを備えたものと、備えていないモノ・・・。
長持ちするのは、もちろんライトボディを備えたものです。
「愛」が込められていないものは、すぐ壊れてしまう。
本来、すべてのものは「二重構造」をしています。
「霊的」と「物質的」、目に見えるものと見えないもの
人間もこの「見えない世界」に構造に介入することができるのです。
「愛する」という行為を通して。
しかし「愛する」に我・エゴを発するとまた違うものになってしまいます。
・・・それは、「怨念」とか(;^_^A
自分の心がいかに「純粋」かによって、隣接している「見えない世界」の様相が変わる。
霊界は、物質界を支配していますので、
いかに「純粋」な心が大事かがわかると思います。
私も肝に銘じて、清らかにしていきたいと思います。