穢れ多き人は、皆から嫌がられる。
それは、なんとなく「良い感じがしない」から。
穢れ多き人は、自分を誤魔化し、自分に嘘をつく、
他人にも嘘と偽りで付き合う。
他人からものを奪う。
目に見えないもの、目に見えるもの、
どちらも嘘で固めた言葉を巧みに使用して、
自分の利益でしか行動できない。
どうしてこのような人が生まれるのだろう?
赤子の時は、違っていたと思うけれど、
自我がどんどん拡大するにつれて、
その性質を表しはじめる。
オーラは、嘘はつけないから、
その人の空間は、薄暗く、光がほとんど感じられない、
薄暗いオーラに呼応して、
薄暗いものが寄って来る。
一度、オーラを穢してしまったら、
相当の善をしなければ光を戻すことができない。
それは、どんなに名高き人であっても同じ。
表面はどんなに笑顔で繕ったとしても、
オーラは嘘はつくことができない。
でも霊的能力があり、
自分のオーラを嘘の色に替えることができる人もいる。
その人はある意味、本物であり、最高の偽物。
しかし、目の色は嘘をつくことができない。
光を失ってしまった人は、
闇の中を生きている。
闇の中で、
闇の行動をしていたら、
いつまで経っても同じ繰り返し。
なかなか行動を変えることができないのは、
その生き方しか知らないから。
その薄暗い行動しかできないから。
その人を憎むのではなくその人の闇を憎め。
イエスはそう言った。
闇が無ければ光は存在しない。
そういう混沌とした日常の中、
生きている天使を見つけた。
彼女は、フラットホームで一人輝いていた。
車窓から見るその光景は多くの悩みを抱えたオーラの中で、
一人際立っていた。
今でもその光景が忘れられない。
彼女は今どうしているだろうか?