これもついさっき、15MB強のメールがとどいた。
こういうメールには音源のファイルといっしょに、作詞依頼が添付されてくる。
時計の針を1週間ほど戻そう。
いまでも、時々、もっと戻せたらと思ってしまうのだけれど。
地震の発生直後から、僕はこの地震の震源地を大体把握していた。
揺れがおおきくなるたび、もっと激しい揺れにおそわれている地域のことを想像した。
速報値がでた。
直下型でもないのに震度7の地域があった。
そこは、僕にとってもゆかりのある場所だった。
そのときから、僕はずっとおなじ音がなっているような気がしている。
新幹線がトンネルを通過するときの、ああいう音。
自分になにができるか、考えた。
現地にいくことも想像してみた。
でも、僕は体力がない。
なにより、当分、現地に入ることはできないだろう。
僕はここにいるよりほかない。
ここにいて、なにができるか。
直接的にはできることはなにもない。
だから、なるべくなんにもなかったように、すごしている。
そのスタンスは、詞をかくときにも変わらない。
なにかをほんとうにつたえたいなら、ひとつの詞に全部込めようとしてはいけない。
1枚1枚タイルをはるように、詞をかくしかない。
その積み重ねがちょっとずつなにかのかたちにみえてくるかもしれない。
その、「かも」にかけるしかない、気が遠くなるような作業。
僕は、なんでもないひとの、なんでもないような、なにかあったような瞬間をかいている。
その総体がかたちになるかはわからないけれど、きっとそれが僕にとって大事なものをあらわしている。
でも、それはいつもかんたんに壊されたり、壊れたりする。
壊れたり、壊されたり、それが「喪失」であると思ってもらえるような、なんでもない世界をあらわしたい。
この目標は、いま起こっていることのために中止しなければいけないことではない。
むしろ、つづけなければいけない、と思う。
いま、後悔していることといえば、日曜くらいにここまでは決めていたんだから、
かくんならはやくかけばよかった、ということくらい。
これでは、まるで松任谷さんに影響をうけているみたいだ(笑)。
僕はみんな、自分のできる範囲でたのしんでいいと思うし、わらっていいと思う。
暖房は電力消費量が大きいからちょっと控えてほしいと思うけど。
こころの灯りはちゃんとつけてなければいけない、絶対に消してはいけない。
だから、僕はなるべくなんにもなかったように、詞をかいてみようと思う。
それだけ。