生と死 | FREE☆STYLE

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ハンデあっても良いじゃん。
これが私の生きる道。

やっと文字に起こす気力がでました。
長文です。

9月1日、今現在、児童発達支援センターとなった保育園の創設者である、名誉園長が亡くなられました。

創設当時、福祉の世界はまだまだ障害者が隔離されていた時代。
1杯のコーヒーを飲んだつもりでと、賛同者とそのお金で居場所を作り、今に至ります。
障害児と健常児が集い共に活動する場所。
日本でもまだまだ数少ない。

そして、遭難者がおぶさって下山するのを見て、おぶさって行けば障害児・者も山に登れると始めた年に1度の登山。
直ぐに予約が埋るほどの人気のイベント。

自然に寄り添い、食育にも力を入れている、そんな方でした。
もっと色んな事を学びたかったです。

そんな訃報の後に、出産を控えていた妹の破水の報告を受けました。

哀しい知らせと、めでたく嬉しい知らせ。

複雑な気持ちでした。

生と死。
命は廻る。
今、空に還る命があれば、今、生まれる命もある。
命のリレー。

生と死に改めて向かい合わせられたなと思う。

かつて、死を考えたこともある。
対人関係始め家族内、仕事も恋もうまくゆかず、自分の居場所がなく、生きててもしかたない。
私が死んだら悲しんでくれる人はいるのかな?
そんなことを考えながら、剃刀を手に取り躊躇うような日々を過ごしていました。

でも、私の様子がおかしいと心配してくれる人が居ました。

人に心配かけちゃいけない、人前で泣いちゃいけない。
そんな風に思っていた私は、心配かけていることで、今度はそれが悲しかった。

悲しくても、辛くても、苦しくても、今は前に進むしかなかった。
狂った歯車をうまく噛み合わせなくちゃ。
うまくいかない事を嘆いた時より、この頃の方が辛かった。
うまくいかず、へこたれそうな自分と、それでも何とかしていかなければならなかったから。

次の手術で、耳の軟骨を使っての移植。
嫌だといえば嫌なことやけど、仕方ない。
そんな悩みも、当時を思えばかわいいものだ。

そんな時もあったけど、こうやって今へと続いてる。


生きていれば、辛いことも哀しいことも苦しいこともあるよ。
心あるからこそ、落ちたり上がったり波がある。

落ちたことに自分を責める必要なんてないと思う。
無理に上がろうとしなくても良いと思う。
無理に上がろうとするから苦しいの。
こころのままに。
またそのうち自然に上がるから。

悲しい、辛い、苦しいそんな時くらいは、悲劇の人となって、自分可哀想って自分をヨシヨシしてあげてください。

ただ、あまりにも長い間、落ちた状態ならば、自分にカツ入れて、無理にでも顔を上げて笑顔を作るかな。

もし命を絶ったとしても、時は死すらも日常と共に流してゆく。


自分の心は、待つこともできれば、心の時を止めることもできるかもしれない。

でもね、それでも時は流れてる。
歳もとるし、周りの人や環境、身体にも変化が訪れる。
時間は待ってくれないんだよ。
その時間は、戻らない。



心の波で、一番大きな影響を受けるのは、人との関係やと思う。

私も偏見にさらされてきてた。
私のように、見た目にハンデがある人達。
身体・精神・知的、内部疾患。
国や経歴、家族構成。
家族に犯罪を起こした人がいる人達。

居場所のない想いをしている人は、どれだけいるのだろう。

アロマクラフト教室は、そんな想いで始めた。
色んな人が集い、認め合えるようなそんな癒しの空間。

偏見なんか笑い飛ばして、皆が穏やかでいれるように。

せっかくこの世に生まれたなら、次の命へと紡ぎましょ。



長々と読んでくださって、ありがとうございました。