母への憧れ。
いつもありがとうございます。
昨日の記事「別れ。」では、過去の出来事でありながら、
多くの方が、自分のことに置き換えて
一緒に胸を痛めたり悲しんだりして下さって、
ああ、人って優しいなぁ、あたたかいなぁと思いました。
初めての方は、
1.新シリーズ開始!
2.曾祖父、新住職としてお寺に入る。
3.曾祖父の信念。
4.祖母の少女時代。
5.曾祖母の信念。
6.命をかけて…。
7.別れ。
をご覧になってくださいね。(^-^)
さて、一気に不幸のジェットコースターに乗るには、
私も消耗も激しいので、
まずは、曾祖母の死までを、このシリーズの
第一部としたいと思います。
さて、今日は、暗くなってしまわないように、ちょっと
一息ついて、ホッとしましょう(^-^)。
へええ~。
祖母は、母親(曾祖母・ちひろさん)の兄姉から
母の話をいろいろ聞いたそうだが、
兄姉たちはそろって
「あの人(ちひろ)は、私たちとはちょっと違って
多才な子だった。」
と言ったそうで、とても誇らしく思ったそうだ。
そして、こう語るのだ。
つまり、こういうこと?
そして、祖母は言うのだ。
でも、待って。
本当はこういうことも原因じゃないの?
つまり、
祖母の家は、刑務所から出た人を何人も引き受けて
更生に力を入れていたし、困った人が
住みついたりして、いつもボランティアで
大勢を抱えている暮らしだったから
経済的に苦しかったはずだし、
忙しすぎて子供の教育には
十分力を注げていなかったはず…と。
だって…曾祖母と祖母の子供のころを比べたって
だから、思うのだ。
普通は静かな環境で子供を育てたいと思うよね…。
でも、
祖母が母を慕い、誇りに思う気持ち、
すごく素敵なことだと思います。
それに、
だから、こう思う。
だから…
子孫たちに
あなたの○○は素晴らしい人だった、
と後に言われるような、
そんな生き方をしたいものだなあと
思いました…。今からでも(^-^)
ーつづくー
でも、日本人の一員として、この国の後世の人に、
「あの頃の世代の人が、一番悪かった…(体制とか環境問題とか色々)」
なんて言われないようにちょっとでも善く生きないとね。
(2021年追記 うおお、 苦しい~。いま、正念場だよー。若い人と子どもを守らないと。)
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思い出も永遠。
ただいま第二部、作成中。
第二部も、「事実は小説より奇なり」。
まさか、そんなことが…ということが起こります。
お楽しみに~。