<お盆特別企画>ノラ父の生い立ち 〜鎮魂の満州〜1 | ノラ家の日常・非日常

<お盆特別企画>ノラ父の生い立ち 〜鎮魂の満州〜1

こんばんは。ドラです。
本日より、「お盆特別企画」として、「ノラ家」は少しの間、日常を離れ、

ついに、ノラ父の過去について語りたいと思います。

完結までは5日間ほどかかると思われ、その間、ほのぼの路線ではなくなりますが、

ノラ家にとってはとても大切なお話ですので、せっかくのご縁で訪れてくださった皆様には
少しお付き合いいただければ幸いです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


<お盆特別企画>ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州~1


 

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父の母方の親戚が、一族そろって満州にわたり、鶏冠山(けいかんざん)というところに住んでいた。
父の両親は満州で出会い、結婚。
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父はノラ家の長男として鶏冠山にほど近い草河口(そうかこう)というところで誕生。
(まあ、まーくんそっくり!)





 
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でも、入学した夏休みに、父親がすぐに北満の同江(どうこう)というところに転勤。


父のたどった場所をおさらいすると、こんな感じ。
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同江は、満州の最も北、ソ連(当時)との国境の町でした。

その前の西安は大都市だったので国民学校も大きく、学年の人数も多く、クラスも男女別に分かれていました。

ところが、1年生の2学期から行った同江の学校は同じ学年は5人ほどしかいない田舎の小さな学校。
しかも


 
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有力者を父に持つ6年生の女の子と5年生の女の子が絶大な権力を持ち、あらゆることを指図し、男の子は完全に抑え込まれていたとか。
父はそんな雰囲気が嫌で嫌でしょうがなかったそうです。(1年生のくせに!!!)

そんなことくらい何を言ってるんだろうと思うんですけど、
時代が違うので、当時の雰囲気では、女の子が偉そうにすることはありえないことだったらしいですよ。

それで、

 
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父は、おばあちゃんのいる鶏冠山の都会の学校に行きたい!と強くダダをこねて
母親を困らせたらしいです。

(言い出したら聞かなかったということは容易に想像できる…)


そして両親もついに折れた。


結局、これが運命の分かれ道となる。


 
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国境の同江から南満の鶏冠山には、船、汽車を乗り継いで3昼夜。
父親がつきそって、鶏冠山まで連れていくことになりました。
富錦(ふうきん)というところまでは、大きな船で下ります。(ミシシッピ川を行くような水車のある大きな船らしいです)

お母さんと弟たちは富錦(ふうきん)まで見送りについてきました。




 
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S19年9月。

このとき、父、7歳。

(弟は2歳と1歳。)



そして




 
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これが永の別れとなりました。


ーつづくー


応援、いつもありがとうございます。
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この話、ネコで書いていいんでしょうか…?

頑張って描くので明日も来て下さいね。

そうそう、いつもコメントをくださる皆様(笑)
こういう重たい話題のときは、コメントは気にしなくていいですよ。

見て下さるだけでうれしいです。