こんにちは
長坂教育研究所の長坂です。
「勉強をやる気にさせたい」
ほとんど親が子供に対し、思う自然な感情だと思う。
むろん、なかには自発的な子供もいるだろうが、多くの親から見れば、自分の子どもがなかなかやる気を起こさないのが、どうにもジレッタイ。
それに対し、教員が、
「お子さんが、自分からやる気にならなければどうにもなりませんね」
などと言ってしまっては身もふたもない。
だったらどうしろというのか?と聞きたくなるだけだ。
そうこうしているうちに月日が流れることは決して少なくなく、しかも成績も一向に向上しない。
やる気を起こさせるためにもっとも有効な手段はなにか?
それは指導者が「成績を向上させる」ことである。
ちょっと待てよと思うであろう。
やる気がないから成績が悪いのに、どうやって成績をあげるというのか?
よく教員はこんな指導をする。
学習日程を生徒に考えさせ、勉強の日程を自分で考えて来いという指導だ。
これにはある意味での勉強法の考案も含まれる。
しかし、生徒が立ててくる計画とは、かなりの確率で実行されないか、もしくは計画が最初から無理過ぎる、さらには教員から杜撰過ぎて計画になっていない、そんなケースが多い。
冷静に考えれば当たり前で、勉強が苦手な生徒が立てる勉強法が効果的なはずがなく、勉強を教えるプロである教員から見れば、当然ながら生徒の考える学習計画は稚拙であり、手直しをしたくなる。
さらに最悪なのは、計画を立てることによって生徒は学習をしている気分になる。
これまた残念なことだ。
常々思うことは、なぜ合理的で効果的な学習計画を、最初から教員が立ててあげないのかということだ。
これはスポーツに置き換えれば簡単に理解できる。
あのテニスの錦織選手だってコーチであるマイケル=チャン氏が練習メニューを考える。
世界の一流選手ですらそうであり、それを理由に錦織選手に自主性がないとは誰も言わない。
つまり、自主性とはメニューへの取り組みの姿勢の中で発揮できればいいのであって、練習法(勉強法)や、スケジュール(勉強計画)を考えることではない。
まずは指導者が、合理的で有効な勉強計画を提示することだ。
それも1週間から2週間程度で、誰にでも効果がわかるトレーニングメニューと日程だ。
簡単に言うなと叱られそうだが、それを考えるのがプロではないのか?
もう一つは、結果を約束することである。
「頑張れば成績はあがる」
これは約束ではない。
「とにかく覚えれば成績はあがる」
これも約束ではない。
ある一定の作業、つまりは指定されたトレーニングを行えば、必ずこのような成績になるよと生徒に約束をすることだ。
むろん、そうならなかったらすべて教員が悪いし、生徒の怠けも含めて教員の責任である。
それを生徒の前に公言することだ。
「勉強は自分次第だ」
この言葉でやる気が起きる生徒はそれでよい。
しかし、現実はそれではほとんどはうまくいかない。
「この問題集をやりなさい」
ではダメで、
「この問題集を、この日程で、この手順、方法でやりなさい。そうすれば偏差値70です」
でなければならない。
生徒に考えさせることは大事だ。
そんなことは議論の余地はない。
しかし、プロであるはずの教員は、勉強を教えるだけでなく、もっと勉強のトレーニング法、最高の学習計画の提供に関与すべきではないだろうか。
「勉強法は自分で見つけるものだ」
そんな風にできる人もいるかもしれないが、それは僅かだし、
「自分からやる気をおこさなければ、周りがなにを言っても無駄だ」
こんな風に自分からやる気を起こす人もまれだ。
ならば、教員がコーチやインストラクターになって、「やる気を起こさせる」指導をすればよい。
もちろん、それはキャリア教育や様々なガイダンス、個人面談でも可能だが、持続的なやる気を起こさせる最高の指導は「成績を上げる」ことである。
そのために逆算して何をすべきか、そう考えていけば、最高の勉強法・日程を教員側から提供したほうが効果的であるという結論になる。
だからこそ、勉強法の開発や、有効な学習日程の模索とは、ある意味では教員の研究テーマとしては、欠かすことのできない重要性を持っているのではないだろうか。
最後に、学力を上げるとは、絶対的なものではなく、必ず相対的、さらには全体的でなければならない。
その成功体験こそが、やる気の源となるのである。
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