1964年の東京大学の卒業式での、当時の総長の有名な言葉である。
もともとは、イギリスの経済学者ミルの
「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足であるソクラテスのほうがよい」
という、言葉で知られている。
2012年の現代には、この言葉は、あまり適当な表現ではないかもしれない。
1964年に比べ、現代の社会ははるかに物質的な満ち足りている。
多くの家庭には、エアコン、テレビ、自家用車があり、服装も華やかになた。
大学進学率をとってみても、社会のほとんどが大学に進学しなかった時代から、同学年の半分以上が大学で学ぶ時代となった。
また、ネット社会が発達し、多くの情報を瞬時に得られるようになり、その情報も動画によってリアリティは増し、当時とは比較にもならない。
まさに、満足した時代である。
しかし、人々の心はそうではない。
1964年当時の人々の心のほうが、はるかに希望に満ち溢れ躍動的であった。
1964年とは東京オリンピックの年でもある。戦後の悲惨な状態から復興し、高度経済成長の真っただ中に日本はあった。
あらゆる分野で、成長する希望があり、豊かさへ渇望がエネルギーとなって、人々はまさに「元気」であった。
今の日本はどうであろうか
人々の心に躍動感はあるだろうか。
未来への希望はあるのだろうか。
1964年のほうが、人々の生活は、はるかに不満足であり、不自由であった。
2011年、東北を未曽有の震災が襲った。
多くの方々が、今日も被災者である。
我々は、今後、1964年の人々のような、「痩せたソクラテス」にも関わらず、「太った豚」より、はるかに将来に希望を持てる社会に出会えるのであろうか。
それは、我々、今の大人に課せられた、未来への使命であるような気がする。
いまの20歳前後の若者は、ずっと希望の少ない社会で成長してきた。
いわゆる失われた20年である。
そろそろ、希望のない、将来に夢を託せない社会は終わりにしなければならない。
次の世代に、希望の持てる社会を残せるよう、自分は教育の場で、その使命をまっとうしたい。
最近はそんなことをよく思う。