以前にもブログで書いたことがあるのですが、もう1度 あらためて
真実を知って欲しくて、書きました。 在日朝鮮人達は なんでもかんでも日本のせいにしますが、とんでもないことです!!



あれ、君たち帰国しなかったの? 1959 在日朝鮮人
帰国事業 1





あれ、君たち帰国しなかったの? 1959 在日朝鮮人
帰国事業 2





【在日朝鮮人の帰還事業】

日本における在日韓国・朝鮮人団体である在日本朝鮮人総連合会は、北朝鮮政府の指示の­もとで在日韓国・朝鮮人の『地上の楽園』北朝鮮への帰国を、強力に勧誘・説得する活動­を展開した。在日韓国人の犯罪発生率が日本人の十数倍に上ること、犯罪者や密入国した­韓国人の送還を韓国政府が受け入れないこと、摘発された密入国者を日本国内へ解放する­よう韓国政府から要求されるなどの治安上の問題や、在日韓国・朝鮮人をとりまく生活保­護費の予算捻出に苦慮していた日本政府は、このキャンペーンに応じた。

当時の内閣総理大臣・岸信介は国会答弁で帰国運動の「人道性」を主張し、北朝鮮への帰­国事業を受け入れた。韓国はこれを「北送」と呼んで非難し、韓国居留民団は「北送事業­」への反対運動を展開した。
韓国政府は日本に工作員を送り込み、テロ活動によって帰還­事業の阻止を図った(新潟日赤センター爆破未遂事件)。
また、「在日韓国・朝鮮人は強­制連行された人々である」と主張するようになった。

日本と北朝鮮には国交が存在しなかったため、日本赤十字社(日赤)と朝鮮赤十字会(朝­赤)によって実務が行なわれた。1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟­港から出航し、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
59年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟­港から出航し、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。帰国船の費用は北朝鮮が­負担し、事業の後期には万景峰号(初代)が使われている。日朝間を頻繁に行き来する帰­国船は、北朝鮮による朝鮮総連への指導・連絡や日本・韓国への工作員送り込みにも利用­された。

【韓国の対応】
韓国は朝鮮戦争による戦災から未だ立ち直っておらず、在日朝鮮人の受け入れには消極的­だった。また帰国事業については「北送」と呼び、在日朝鮮人に対する自国の管轄権を侵­すものととして、在日本大韓民国民団とともに強硬に反対した。
1959年、日朝両赤十­字社による交渉の進展が明らかになると、韓国は日韓会談(第4次)の
中止や日本人漁夫­抑留の継続、貿易断交などを宣言
した。
また同時に、大量のテロ工作員を日本に送り込み­爆破テロを企てた(新潟日赤センター爆破未遂事件)。
韓国のこのような反発は、居住地­選択の自由という人道主義を尊重する
国際社会からの支持を得られなかった

その後、韓­国は、韓国への帰国事業を進めようとしたが、
帰国や定住の費用を日本に負担するよう求­めたため、実現しなかった。