2年前の8月にUPした、かえぽについてのブログから。 | 計画をねりねり・・・・・・。

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思いつくままにオッサンが、Negicco、WHY@DOLL(ほわどる)を筆頭とする音楽、そして映画や読書のことなどをゴチャゴチャと。

3日前、自分のブログにコメントを頂戴した。
ナンノの兄さんという方からだった。
twitterのフォロワー同士の方だ。
 
何の記事へのコメントかと思って当該ブログを見てみたところ、いまから2年前の8月にUPしたかえぽについてのブログだった。
その記事はこちら http://ameblo.jp/nokkinokinoki/entry-12059041383.html
 
正直、記事を書いたこと自体、忘れていた。
そこであらためて再読してみたところ、『ねぇ、バーディア』のPVからキャプチャーした画像が掲載されていた。
それも覚えていない。
下記の画像が、その一部。
 
 

 

 

あらためて見てみると、白衣を着たかえぽ、とても素敵だ。

 

 

さてこの記事、かえぽが新潟薬科大学の特別研究員に就任、という内容だったけど、大学側とNegicco側の両者が合致した広告としての話題性、さらにはかえぽ自身が薬剤師を目指していたということによる三者の有益性が見事に結晶化したことによる名企画。

ただ、こういう企画は立ち上げ時にはいっとき話題となるのけれど、そののちは企画自体が継続しているのか、あるいはいつの間にやら立ち消えとなってしまったのやら、そのあたりのことがまったく不明のまま、いつしか耳に入ってこなくなってしまうのが大半なのだけど、そこはかえぽ。

ちょうど1ヶ月くらい前に、大学の学食でかえぽが学生たちと歓談している画像がアップされていた。

さすが、まじめで賢いかえぽ、うやむやになってしまったのではないかと疑ってしまった自分が情けない。

1週間に一度とまではいかないだろうけれど、1ヶ月に一度くらいの割合で大学の研究室を訪れて画像のように試験管を手にしているのではないかと勝手に想像してしまうし、もちろん、そうであってほしい。

 

 

ところで、新潟薬科大学は新津にある。

幼少から中学へ入学するまでは鉄道ファンだった自分、その頃に買った鉄道や蒸気機関車の写真集には、必ず新津駅で撮影された写真が多数掲載されていた。

子供心にですら、新津駅が鉄道の要所であることがそれらの写真から推察できた。

そしてその駅で、蒸気機関車を眺めてみたいという淡い願望を抱くようになっていった。

しかし、その頃に住んでいた三重からは遥か彼方の土地だった。

そして中高生のころ、蒸気機関車は姿を消してしまった。

大学生となり上京し、首都圏の列車に乗る日常になると、それらの車両の連結付近の壁にはあるプレートが貼り付けてあった。

そのプレートには、このような表示が記載されていた。

  かつては、  【新津車両所】      いまならば、 【新津車両製作所】


このプレートを見るたびに幼心が蘇り、まだ見ぬ新津駅の構内風景を想像するのだった。
新津駅への憧憬を、失ってはいなかった。
 
 
 
Negiccoを知る以前、いまから十年ほど前の夏休み、母方の祖父母の墓参りのために大宮駅から新潟駅に新幹線で早朝到着し、豊栄駅へ向かうため白新線へ乗り換えようと跨線橋を歩き出した。
すると、跨線橋の窓には蒸気機関車が吐き出しているであろうはずの煙が見えた。
あわてて窓を見下ろすと、真下には目的地に向かって出発する直前の蒸気機関車が停車していた。
この瞬間まで、新潟駅と会津若松駅を往復する「ばんえつ物語号」の存在を知らなかったのだ。
まったく、迂闊だった。
翌年の夏も昨年と同様、豊栄へ墓参りに行くことになった。
このときは墓参りのほかに、墓参り以上に大事な目的が秘められていた。
「ばんえつ物語号」に乗車し新津駅まで行き、そこから新潟駅まですぐに折り返してから豊栄駅へ向かう計画を立案したのだ。
憧れていた新津駅、その新津駅にまさか蒸気機関車で到着することができるとは。
 
 
新潟駅から新津駅、普通列車で20分。
「ばんえつ物語号」でも所要時間は23分。
わずかな距離と時間であるが、惜しみつつ過ごすこれくらいの時間のほうが、その分、濃厚になる。
 
C57-180が牽引する客車からの車窓が、新潟駅を発車し新潟市の郊外風景となり、そして徐々に新津駅構内の風景になってくる。
広い、思っていたとおり新津運輸区は巨大だった。
車庫が見える。
蒸気機関車の転車台の横も通過した。
だが、面積の大きさの割には車輌が少なかった。
かつて最盛期の頃には、この広大な運輸区ののあちらこちらから蒸気機関車の煙が立ち上っていたにちがいなく、だがもうそれは、幼少の頃に見た写真を思い浮かべながら忍ぶしかなかった。
 
 
新津駅で会津若松へ向かう「ばんえつ物語号」を見送り、15分ほど後にやってきた新潟駅行に乗車して新津をあとにした。
新津駅の改札を出ることはなかった。
その戻る列車を待っている間、ホームから見える新津駅前の光景は人影の乏しい、典型的な地方の駅前のひとつだった。
この駅前もいま立っているこのホームも、かつては多くの人で賑わっていたにちがいなかった。
 
 
 
昨年秋、「Negicco Tour2016 原点回帰のホールツアー」、その「ホームでホール」。
そのライブの一つが新潟市秋葉区文化会館 ホールで開催されると発表された。
早速調べたところ、このホールは新津駅から徒歩で15分ほどだった。
新津駅を再訪でき、そして改札から出て新津の街を歩く絶好の機会だった。
だが、開催される10月2日はあいにくと日曜日だった。
しかも開場17:00/開演17:30。
その日じゅうに帰宅はできるが、その帰宅時間は23時を過ぎることが容易に想像できた。
あきらめざるを得なかった。
 
こういう機会を逃してしまうと、次の機会はもうないことがほとんどで、もしもあったとしても、ずいぶん先のことになるにちがいない。
 
 
新潟薬科大学、最寄りの駅は新津駅から一つ先に古津駅らしいのだけど、かえぽは新潟薬科大学に行くときはどのような交通手段で行くのかしらん?
自分でクルマを運転して!?かえぽは運転免許を所持していたかしらん?
バイク?危ないからやめてほしいな。
ここはやはり、新潟駅から列車に乗って向かってほしい、信越本線の長岡行普通列車に乗車して。
そして、立っていればつり革につかまって読書。
空いていれば、日頃の睡眠不足と列車の心地よい揺れに誘われてうつらうつら。
肩から下げたショルダーバッグには、研究室で着用する白衣を忍ばせて。
そんなイメージ。
そんなかえぽに遭遇できたら、最高だろうな。
もちろん、声を掛けるようなことはせず、そっと人越しに見守って。
そう、あこがれのクラスメイトをながめる男子高校生のように。
 
 
そして、こんなふうに想いを巡らすきっかけをつくってくださったコメント主さんには、心から感謝している。