問題は、「200字論述新研究63(問題23・24)」で確認してください。
解説は、「200字論述新研究68(問題24を考える➊)」をご覧ください。
解説は、「200字論述新研究69(問題24を考える➋)」をご覧ください。

問題24 解説

 

綿製品輸入と金銀比価の相違

 

一方、自由貿易の開始により、イギリスなどからは産業革命を経た安価で高品質な綿製品が大量に輸入された
このため、すでにマニュファクチュア段階に到達していた綿織物業や、各地に普及していた綿作は大きく圧迫されていった

 

また、日本と外国との金銀比価(日本では金1:銀5、外国では金1:銀15)が異なっていたため、外国商人が大量の銀を日本にもち込んで金貨と交換する事態が生じ、大量の金貨が国外に流出した

 

幕府は、1860年に従来の小判を大幅に小型化した万延小判を鋳造して金貨の流出を防止したが、この万延貨幣改鋳は、一方で通貨量を増大させる措置でもあったため、以後、物価の上昇が顕著になっていった。

 

マニュファクチュア(工場制手工業)
マニュファクチュアとは、地主や問屋商人が家内工場を設け(資本家の設置した同一作業場内で)、生産工程を単純な作業にわけ、賃労働者が分業にもとづく協業をおこなって商品を生産する形態をいう。
農業から離れた奉公人のほか、女性や子どもまでが賃金労働者として雇われることがあった。

 

ただし、機械ではなく道具を使用した工業形態であるため、その生産力にはもともと限界があった。

 

近世の綿作(綿花栽培)
中世後半、日常衣料が麻から木綿へと転換していく衣料革命と並行して、国内に綿作も定着していった。

戦国時代末期ごろまでには、綿作地帯は寒冷地を除いて全国的に広がり、江戸時代には畿内周辺の先進的農業地帯に綿作の一大産地が形成された

 

その理由として、この地域には大坂・京都という巨大市場が控えていた干鰯油粕などの購入肥料が導入され地力(ちりょく)が向上した、などの点があげられる。

 

また綿作は、他の作物よりも収益性は高かったが市場経済の波をもっとも敏感に反映する生産部門でもあったため、農民層の分解を促進したという側面を押さえておくことも大切である。

 

こうした綿作の普及により、江戸時代には各地に木綿の特産地(久留米絣(がすり)・小倉織など)が出現して品質や色合いを競いあい、19世紀には、マニュファクチュア(工場制手工業)段階に到達した綿織物業も生まれることになった。

 

貿易の開始(1865)

 

問題24 解答
生糸の大量輸出により養蚕業・製糸業が活況を呈する一方で絹織物業は打撃をうけ、また在郷商人による開港地への商品直送が新流通ルートの形成を促す一方で江戸中心の特権的流通機構の機能を低下させた。輸入面では安価で高品質な綿製品が綿織物業などに打撃を与え、さらに内外の金銀比価の相違が金貨流出を招き、この事態に対処するために金貨の質を下げた万延貨幣改鋳が実行されると出超に伴う物資不足と重なって物価が高騰した。

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