*問題は、「200字論述新研究63(問題23・24)」で確認してください。
問題24 解説➊
■貿易の開始と経済変動■
幕藩体制下の日本は国内生産のみでほぼ充足する状態(アウタルキー経済)を長く継続させてきたが、修好通商条約にもとづいて開始された列国との貿易は、そうした近世的な経済体制を大きく揺さぶっていくことになる。
また、品不足や物価の急騰などがもたらされたため、国内における攘夷運動も一段と激化していった。
【日米修好通商条約(1858年調印)】
日米修好通商条約は、自由貿易を規定し、➊日本に関税自主権がなく(協定関税制の採用)、➋領事裁判権と居留地の設定(治外法権)を日本が承認した不平等条約だった。
オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約が結ばれ、安政の五カ国条約と総称される。
【協定関税制の影響】
関税とは、輸出入品に対して課される税のことをいう。
この税は、国家財政上の重要財源になるだけでなく、ある特定の輸入品に高率の関税を課すことによって輸入を抑制し、その分野の国内産業を保護することができるという性格をもっている。
したがって協定関税制の採用(関税自主権の喪失)は、税収上マイナスであるだけでなく、戦略的な産業育成が困難になることをも意味していた。
また、協定関税率については、1866年、イギリスを中心とする列国の軍事的圧力によって改税約書が成立した。
これによって、修好通商条約に定められた関税率は日本にとっていっそう不利なものに改定され、列国の日本への商品輸出がさらに促された。
【領事裁判権と居留地】
領事裁判権とは、領事(外国に駐在して自国民の保護や自国の通商促進にあたる外交官)が駐在国の自国民に対して本国法にしたがって裁判をおこなう権利をいう。
列国は、近代的法治国家とはいえないアジア諸国に領事裁判権を一方的に認めさせた。
また、日米修好通商条約を通じて横浜・長崎・神戸などに設定された居留地(外国人の自由な居住・営業が法的に認められた土地)は、領事裁判権を認めたこととあいまって日本の主権から事実上独立した地域になった。
*続きの解説は、「200字論述新研究69(問題24を考える➋)」をご覧ください。