*問題は、「一橋大論述新研究79(14-Ⅰ 問題)」で確認してください。
解 説
すでにふれたように、寺請制度とこの制度が強制された背景を説明する問題。
教科書には、寺請制度と寺檀制度という用語が記されている。
採点の際にはどちらを用いても許容されたと考えられるが、寺請制度(檀家がキリシタンなどではないことを寺院に証明させる制度)をつうじて寺檀制度(だれもが檀那寺の檀家になる制度)が形成されたので、解答例では、幕府が「強制」した政策を寺請制度とした。
次に「背景」について考える必要がある。
ここでの注意点は、同義語反復(トートロジー)的な説明を避けることだろう。
くりかえしになるが、寺請制度は「檀家がキリシタンなどではないことを寺院に証明させる制度」である。
その背景を「キリスト教の影響を根絶するため」などと記しても、「そんなことは内容からわかる」といわれたら、うなずくしかない。
あくまでも、解答例に記したとおり、幕府が禁教政策を強制した背景を考えたい。
豊臣秀吉は、この点について「キリシタン大名などの存在は加賀の一向一揆以上に許されないもので『天下の障り』(天下統一にとっての障害)になるから、これをわきまえない大名は『成敗』せよ」と述べている。
なお、問題の要求が「幕府の政策(A)と、その背景(B)」になっていることにも注意したい。
他の方法がないというわけではないが、A→Bの順序でまとめるべきだろう。
【寺請制度】
寺請制度とは、民衆を檀家として宗門改帳➊に記載し、キリシタン・日蓮宗不受不施派➋ではないことを証明する制度をいう。
幕府は、同措置を民衆に強要することで禁教政策の徹底を図った。
この制度の徹底によって、寺請証文発給などの原簿になった宗門改帳は、戸籍の役割をも果たすことになり、同時に寺院は、個人の信仰の場ではなく、おもに葬儀・法要を営む場として幕府による民衆支配の末端機関と化すことになった。
➊ 宗門改帳
17世紀後半に制度化された宗門改帳(宗旨人別帳・宗門人別改帳などともいう)とは、藩によってさまざまな様式がとられたが、一戸ごとに戸主および全家族、奉公人の名前・性別・年齢を記し、これに宗旨と檀那寺名を付したものが一般的で、定期的に領主に提出された。
さらに檀那寺は、必要に応じて寺請証文(宗旨手形、寺院がキリスト教徒などでないことを保証した証文)を発給した。
これは、婚姻・移住・旅行や奉公人雇い入れなどの際の身分証明書となるものだった。
➋ 日蓮宗不受不施派
日蓮宗不受不施派とは、世俗の権力から距離をとった日蓮宗の一派をいう。
「不受」とは法華経を信じない者から供養を受けないこと、また「不施」とは他宗の僧侶に供養しないことを意味した。
日蓮宗不受不施派に対する弾圧は、1600年、徳川家康が不受不施の原則を曲げなかった京都妙覚寺の僧侶日奥(にちおう)(1565~1630)を対馬に配流したことにはじまり、17世紀後半になると幕府は、不受不施派の寺院が寺請をおこなうことを禁じて、この宗派を禁制下におくことを明確にした。
以後、近世社会における不受不施派は、きびしい取締りのもとで非合法の地下組織をつくって存続することを余儀なくされた。
解 答
寺請制度。民衆を檀家として宗門改帳に記してキリシタン・日蓮宗不受不施派ではないことを寺院に証明させる政策がとられた。自律的な宗教勢力の存在は幕藩権力による一元的支配の妨げになると考えられたからである。
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