18-5 鎌倉時代の商業
鎌倉時代には、貨幣経済の浸透を背景に、特権的な同業者団体である座(ざ)(天皇家・公家・寺社を本所(ほんじょ)とする商人・手工業者の集団)の結成が広がるなど、商業活動も活発化した。
➊ 貨幣経済の浸透
貨幣として、日宋貿易(にっそうぼうえき)でもたらされた宋銭(そうせん)が主に使用された。
➋ 商業活動の活発化
(a)荘園の年貢を貨幣にかえて領主に送る銭納(せんのう)、(b)遠隔地への金銭の輸送を手形(てがた)(一定額の支払いを約策する契約証書)でおこなう為替(かわせ)、(c)商品の中継ぎ・運送などを担当する問(とい)(問丸(といまる))、(d)高利貸業(こうりがしぎょう)に従事する借上(かしあげ)、などが増加した。
さらに、(e)交通の要地などで定期市(毎月3回の場合→三斎市(さんさいいち))が開かれるようになり、(f)行商人(ぎょうしょうにん)に加えて京都などでは見世棚(みせだな)(常設(じょうせつ)の小売店)もみられるようになった。
【備前国福岡の市】
武士や織物・米・魚・壺などを売る商人、市に群がる男女などが描かれ、鎌倉時代の市の様子を知ることができる。なお、備前国は現在の岡山県にあたる。
(『一遍上人絵伝』部分)