1-4 食料獲得経済

 

縄文人たちの生活は、基本的に狩猟・漁労・採取を中心とするものだった。

まず、そのための用具類を確認しておこう。

 

 狩猟

シカ・イノシシを捕獲するため、弓矢・落し穴をさかんに利用した。

 

 漁労

動物の骨・角・牙を釣針などに加工(骨角器(こっかくき)、「」の字に注意)し、丸木舟を用いて海上を移動した。

 

 採取

木の実をすりつぶすため、石皿・すり石を活用した。

 

1-5 定住化の進行と縄文社会

 

食料獲得方法の多様化によって縄文人の生活には安定がもたらされ、変化に富んだ社会が形成された。

 

 縄文時代の住居

定住化が進行し、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)、「」の字に注意)・広場などを備えた集落が生まれ、貝塚が形成された。

 

 縄文時代の交易

黒曜石(長野県和田峠などで産出)やひすい(硬玉、新潟県姫川流域で産出)などが広範囲に分布していることから、かなり遠方の集団どうしの交易も展開されていたと考えられている。

 

 縄文時代の習俗

代表例は、(a)女性をかたどった土偶(どぐう)(b)男性を象徴的に表現した石棒(せきぼう)(c)成人式など通過儀礼の際におこなわれた抜歯(ばっし)(d)死者の手足を折り曲げて葬る屈葬(くっそう)、になる。

 

 縄文社会

貧富の差や身分の別がみられず(住居や墓地がほぼ均質)、また社会全体がアニミズム(自然の物や現象に霊魂(れいこん)が存在すると考え、それを畏怖(いふ)・崇拝する信仰形態)に強く規制されていた。

 

 縄文時代における東と西

縄文文化は東日本で高度に発展した(三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)・亀ヶ岡遺跡(かめがおかいせき)、いずれも青森県)。

一方で、菜畑遺跡(なばたけいせき)(佐賀県)・板付遺跡(いたづけいせき)(福岡県)で縄文時代晩期の水田が発見されるなど、縄文時代の終わり(紀元前5~4世紀頃)には西日本の一部で水稲農耕が開始された

 

縄文時代中期の人口

〔人口推定は小山修三氏(1984)による〕