■3章:遍路3周目■深まる絆
4. 追われる身の私の隠れ家は家族のような仲間達だった
DAY79-4
私はすぐさま、その場に座り込み高校生の父さんが書いた旅日記を読み始めた。
実家から高校が離れていたので、自活をしていた父さんは、日本一周の為にガソリンスタンドで働いて貯めたお金が、当時で2万円。結局、日本一周の旅に出発しようと実家へ帰ってみると、厳しかったお父さん、つまり私からしたらお祖父さんに大反対されたらしい。
そのお祖父さんが立ち去る後姿を見ながら、お父さんは、日本一周に出発してしまう。
出発当日、直ぐにカブは壊れてしまい、近くのガソリンスタンドで部品を注文してもらい自分で直すのだが、当時のパンが1個5円程度なのに対し、バイクの部品は、1200円くらい。
2万円の予算からすれば、余りにも高額だと感じたのを私は覚えている。
広島から北上し、北海道を一周、また本州を南下して来て九州を1周して帰って来るのだが、毎日、パンを1つくらい食べながら、ほとんど、塩と水、塩と水と食事が記載されているのも目立った。
道中、父さんのキャラクターやバイタリティーを気に入ってくれた人達から親切にしてもらっていることもあったりする。
大きな故障は、2回。
1回目は何とかやり切るのだが、最後、九州に入り広島へと向かう、あともう少しという所で、もう1回の大きな故障があったようだ。
自分の力で直せることを確信しながらも、その時の父さんには道具が足りなかった。
折角、あと一歩という所でリタイヤなのかと延々と高校生の父さんが苦悩したことが旅日記には記されていた。
私は、読みながら涙が止まらない。
結局、父さんは、日本一周中に出会った人達にサインをしてもらっていた変わったシャツを着ていたので、その時は、通りかかった車が声をかけてくれたらしい。前日に何処かで見かけたとかで。
修理工場まで連れて行ってくれたものの、当然、父さんもその業界の事はわかっている。道具は命のように扱われていて、絶対に貸してはもらえない。
お店の人に断られたらしいのだが、諦めず、自分の持っていた一番高価なもの、カメラを身代わりに預け、「思い出も詰まっている写真も入っているし、必ず取りに来るから貸してください!」とお願いしてみた所、熱意が伝わり、カメラを身代わりに道具を借りることができたそうだ。
そうして、車の人が元の場所へと連れて行ってくれ、無事にバイクは直り、直ったバイクで道具を返しに行ったようだ。
私は、父さんに日本一周の話を詳しく聞いたことはなかったから、漠然と凄いと思っていただけだったのだが、父さんの旅日記を読み終わった後も涙が止まらず、ひたすら感動したのを覚えている。
そして、その旅日記の中に、台風の日の事が記されていた部分があった。
台風で風や雨が吹き荒れる中、寝床を中々見つけられず、何もない所を真っ暗な中、灯台へと向かう。
なんとか、その中へ入ろうとするのだが、鍵がかかっていて中へ入れない。
少し上を見上げると、窓が壊れているようだったので、よじ登ってやっと中へ入ることができ、そこで一夜を明かすのだ。
今日の私は、ふと父さんのそんな旅日記の中の話を思い出していた。
父さんのように私は凄くないけど、やっぱり・・・。
私は、父さんの子供だね・・・。
そんな事を思いながら、雨の中のシャワールームで寝る。
DAY80-1
翌朝、目覚めて片づけをしていると、外から誰かがシャッターを叩いている。
ドンドンドン!ドンドンドン!
「Noisy、起きとる?」
私「あ、沢村さん、起きてるよ!入って!」
沢村さんは、シャッターを押し上げ、中へ入って来た。
私「ねえ、今日、外は明るいようだけど、晴れてる?」
沢村さん「うん。晴れとるよ。」
私「そうか。よかった。」
沢村さん「今日は、どうするん?」
私「じゃあ、このまま荷物も軽トラに乗ってるし、そこの薬王寺を打ってから、寒葉峠の上で降ろしてよ。」
沢村さん「ああ。寒葉峠はすぐそこやきん、ええよ。」
私「まあ、沢村さんとは、そこまでだね。とりあえず、薬王寺へ行こう。」
沢村さんと私は、恵比須浜キャンプ場を後にして、沢村タクシーで23番薬王寺へと向かった。
今日は、昨日の雨が嘘のように晴れ渡っている。
薬王寺のお参りを済ませ、寒葉峠へと向かう。
薬王寺から寒葉峠へは、8キロ弱なので、車では10分程度の所だ。
到着して直ぐに、沢村さんは、自転車と荷物を降ろしてくれた。
私「じゃあ、沢村さん!ありがとう!多分、一周してきた頃にまた何処かで会ったら!じゃあね!」
沢村さん「じゃあ、また!」
私は、自転車で走り出した。
さあ、ここからは、思う存分、走りたいだけ走るぞ!
今日は、天気もいいし、秋の風は涼しく、走るには気持ちいい。
15分程、身体を温めるようにダラダラと走り、調子が出てきた所で自分のトップスピードに乗せて走りこむ。
左手には、太平洋も見渡せ、気持ちは爽快だ。
夏にこの道を走った時は、左側からだけ照り付ける灼熱の太陽に左の頬を焦がし、まるでミイラにでもなってしまうのではないかと言う思いで走ったこの道は、今は、清々しく気持ちいい以外の何物でもなかった。
1時間半ほど自転車を走らせたところで、ようやく徳島県と高知県の県境も越え、高知県に入り、白浜海岸が左手に広がった。
おおおお~~~!!
気持ちいいーーー!!!
よっし!
この辺でちょっと海でも眺めながら、そろそろお昼休憩しますかー!
白浜海岸海水浴場には、海を眺められる展望台のようなところや、テーブルやイスなどもあったので、買っておいたお弁当を食べて、海を眺めながら食休みに休憩していると、聞き覚えのある声がする。
振り向くと、沢村さんだった。
私「ちょっとー!まさか、ついて来てるんじゃないでしょうねえ!?」
沢村さん「いや!着いて来とらんきん!僕もちょっと休憩しよう思って来てみたら、Noisyがおるんやない!」
私「ほんとにーーーー!!?」
沢村さん「ほんまやきん!」
まあ、それが本当なら、別に沢村さんが、ここの休憩所で休憩してはいけない理由は何処にもないので、もうそれ以上追及しなかった。
沢村さん「あ、それでこれ、お接待です。」
そう言って、ペットボトルのジュースを私にくれた。
お接待しようと思って、買って持って来たに違いない。
と言う事は、やっぱり付いて来たのか!?
これでは、2周目の時と同じことになるのだろうか?
ただ、2周目の時とは、少し違って、ついて行くことに遠慮があるようにも見える。
私「いやあ、気持ちいいね。海も見えて。」
沢村さん「気持ちええなあ~~~!でも、Noisy、こんなとこでゆっくりしとって、高ちゃんの49日に間に合うん?」
私「ゆっくりしとってって、さっきまで自転車で走っとったんじゃい!まあ、かと言って、あんまりのんびりもしていられないよね。」
沢村さん「だって、もうあと17日しか残っとらんよ。」
私「そうだね。まあ、急いだほうがいいけど、それは、間に合うと思うから。」
そう言いながら、高ちゃんの49日のことよりも、今に迫って来るであろう、せっちゃんの事の方を心配していた。
すると、調度、せっちゃんから電話が入る。
せっちゃん「あ、Noisy!せっちゃんやけど。」
私「うん。」
せっちゃん「あんなあ、無事に昨日広島に着いたから、車を置かせてもらって、今、自転車で松山に着いたとこやから。」
私「おお。それじゃあ、今日から始めるんだね。」
せっちゃん「そうや。やから、どっかで追いつくと思うから。ほなな。」
電話を切りながら、思わず、独り言も飛び出す。
「うわっ!こんなところでのんびりしている場合じゃないじゃん!」
すぐさま沢村さんに話しかける。
私「沢村さん!ちょっと、ゴロゴロ休憩所まで乗せて!」
沢村さん「え?どしたん?急に。ええよ。」
ここからゴロゴロ休憩所までは、車で10分程度の8キロくらいしかないのだけど、そこからなら室戸岬の24番最御崎寺へ1時間ほど自転車を走らせれば着くだろう。それに車に乗っている10分の間にも前へ進みながら食休みもできる。
少しでも前へ進んでおかなければ!
私「まあ、沢村さん、本当にそこまでだから。」
沢村さん「僕もそこまでしか行かんきん!」
沢村さんは、私の自転車と荷物を乗せ、私も乗りこみあっという間に出発した。
沢村ラジオは、いつも通り鳴り止まず、ノロノロ運転で10分程してゴロゴロ休憩所に到着した。
沢村さんは、自転車と荷物を直ぐに降ろしてくれた。
時間は、1時少し前だ。
私は、自転車にまたがってすぐさま出発しようとしていると、沢村さんが話しかけて来る。
沢村さん「ほんでも、せっちゃんももうすぐ来るんやないん?あんまり、先先、行っとったら、せっちゃんも追いつけんよ?」
私「沢村さん、だから行くのよ!じゃあね!さよなら!」
行こうとすると、また話しかけて引き止める。
沢村さん「まあ、せっちゃんも勝手なとこがあるきん、それはNoisyも合わせるのはしんどいやろうね。」
私「え?」
私は、沢村さんにせっちゃんの事を話したことがなかったので、外野から見ているとそういう風に見えていたのかと思い、ハッとして振り向いた。
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