北島康介選手ほどのキャリアや実績を持つ選手でさえ、

勝った瞬間に拳を握り「ッシャァッ!」と叫んだり、

負けが決まった後、表彰控でへたり込んで泣き崩れる選手がいたり…。

日本中のスイマーの、ほんの一握りしか出られない五輪代表選考会が、閉幕しました。

10名1組で予選を泳ぐジャパンオープンなどと違い、
予選から8名(両端のコースを空ける)1組でプログラムを組んで、

概ね6組程度・・・合計50人弱しか出場できなかったのが、今回の選考会。

一時、あの高速水着の頃には1種目に80名以上出場していたことを考えると、

選考基準の高さもさることながら、選考会そのものの出場権も、

相当に高いことがわかります。


その中で更にベスト16に入って、更にベスト8に絞られ、

そのうち最後に標準タイムを突破した上位たった2名の選手が、

その種目で五輪に駒を進めることができるわけです。

男女合わせて26種目。単純計算で決勝に進出した人数は208名。

そのうち27名が五輪に進む権利を得たということになったわけですね。


別に競泳に限ったことではないのですが、

五輪代表がかかった試合に対して、

皆、本気で、全力で挑んでいるわけですから、

うまく行けば叫びたくなるほど嬉しいし、

うまく行かなければ起き上がれないほど悔しい思いもします。

選手もスタッフもご家族も、本気だからこそ、そうなるのでしょう。

ある意味当たり前ですが、その当たり前は、

決して日常ではあり得ませんよね。


さて、客観的に今回の競泳の選考会を見ると、

実力的に「五輪当確」とみられていた北島、松田丈志、寺川綾、星奈津美選手らが、

誰もが驚く「『そのレベルか』らのもうひと伸び」を見せた姿が、まず目に浮かびます。

そして、男女とも高校生の躍進にも、目を見張るものがありました。

逆に、前回の五輪選考会で涙を飲んだ選手たちが再度涙を飲むというケースも、

少なくはありませんでした。


しかし、惜しくも派遣標準に届かなかった選手の中には、

この決勝レースが「自己ベストで初優勝」だった選手もいます。

従って、一様に「力を出し切れず五輪切符を逃した」…とは言い切れません。

この舞台に立って、自己の記録を更新するということがどれだけ困難なことかは、

経験者なら誰もが知るところでしょう。

ですから、これらを同じ「切符を逃した」と一括りに表現することには違和感を感じます。


他方、前年度までの実績から、実力を持ちながらもう一歩届かなかった選手には、

恐らくそれなりの届かなかった理由があるはずです。

しかも一つ一つの事例を見ていると、

恐らくそれらの原因は一様ではなく、個々に異なった理由によるものかと思われます。

肉体改造に失敗した(あるいは取り組みもしなかった)例もあれば、

予選ー準決勝ー決勝へのレース戦略に失敗した例もありますし、

頑張ってトレーニングしてきたにも関わらず昨年と同様のレースしかできなかったケースや、

逆に昨年通り泳げば五輪に行けたのに・・・という選手も見られました。


今は一つの結果が出た直後ですから、

まだ4年後にもう一度…という気持ちにはならない選手が多いと思いますし、

経験上、敗れ去った時には気持ちの整理をきちんとつけなければ、

どうしてもどこかで心の傷跡が疼いてしまい、

その状態で4年間頑張ったとしても、3年目くらいで息切れしてきます。

また、引退して別の人生を歩むのであれば、

「社会への『水慣れ』」「人生の『けのび』」から再スタートするための、

「自己のこれまでの実績を完全になかったことにする」ほどの切り替えにも時間が必要です。

おちついて、ゆっくりと時間をかけ、

自らが取り組んだことをしっかりまとめて、それらを振り返り、

時には少し違う世界なんかも見て、本当に自分が何をしたいのか、何をすべきかを何度も問う。

別の道で生きたい気持ちになればその道に進むもよし、

もう一度水泳をやる気になったら、目先の目標を作って行けばよろしいのではないでしょうか?


さて、先に挙げた「もうひと伸び」ができた選手たちは、

それぞれ4年前から比べると、

「個人内で大改革を行ってきた」選手であることがわかりますね。

松田選手はライアン・ロクテと合同練習を行い、

その後、クイックリフトをトレーニングプログラムに入れて(あるいはもともと入れていたものに更に磨きをかけ)、

股関節伸展パワーを向上させてきました。

ターン後のドルフィンキックのキレの良さには、そういった努力の裏付けがあったのでしょう。

実際に映像などで見るだけでなく、生でロクテ選手の強さを体感し、

そこに近づこう(あるいは超えよう)としているということは、

肌で感じる差と数値で差を、両方認識するという面で大変有効です。

もちろん、それで自信を無くすリスクもあったでしょうけど、

久世由美子コーチも一緒に学びに行くという姿勢が、

松田選手の挑戦を支えていたことは言うまでもないでしょう。


星選手は、新聞報道によると、チューブによる牽引泳の距離を伸ばすことにも挑戦したようですね。

チューブでの牽引泳の距離を伸ばすためには、最大筋力の向上が必須条件になります。

また、プルの効力局面(後ろへ引っ張る)が長くなったり、リカバリー時間が短くならなければ、

こういったトレーニングで力を伸ばすことは難しいわけです。

いわば、体力強化だけでなく、泳ぎも変えていくことが求められたわけですね。

その結果、前半の入りに余裕ができ、

持ち味のラスト50mのタイムアップにもつながったのだと思われます。


寺川選手は、スタートの勢いが以前とは比べものにならないくらい強くなっています。

これは壁を蹴る力と、背中の筋を一瞬にして収縮させ入水につながる姿勢を作る能力が求められます。

脚筋力と股関節伸展能力の大きな改善が必要となるわけです。

しかし、寺川選手は背も高く手足も長いため、

そうでない選手に比べると、より多くの努力をしなければ筋力の劇的な改善はなされません。

それらはトレーニング場面だけでなく、食生活や休息の取り方に至るまで改善が必要となりますので、

いかに彼女が強い気持ちでここまで頑張って来たのかを、証明する泳ぎであったとも思えます。


そして、北島選手は1年の休養の後、トレーニング拠点を変え、

北京までは取り組んでいなかった、

ウエイトのサーキットトレーニングなどを入れて身体の土台作りをしてきました(北島TVより)。

平井伯昌コーチが「フラットな泳ぎに磨きがかかった」(週刊朝日WEBページ)と称した、

現在の彼の上下動の少ない泳ぎは、USCのデイブ・サロコーチの平泳ぎ指導の基本路線です(The Swim Coaching Bibleより)。

また、サロコーチの平泳ぎづくりのもう一つのポリシーは、

腕の「かきこみ」から「リカバリー」に時間をかけないというものです。

北京の頃と比べると、北島選手のプルは、キャッチ時の横への広がりを少し抑えめになっていて、

バタフライのキャッチのように水に乗り、

フィニッシュへの肘の折り畳みをより速くしてスカリング効果を高め、

手をあまり水面上に出しすぎないようにして、

最も水が引っかからないところで手を前にさし出していまることが確認できます。

サロコーチが多くのアメリカのトップコーチたちと共著で出版したThe Swim Coaching Bibleによると、

彼の平泳ぎの技術論のもとになっているのは、

北島選手が釜山アジア大会で世界新記録を樹立するまでの世界記録保持者、マイク・バローマン選手を育てたジョセフ・ネギコーチの技術論です。

私も今から15年以上前の会社員時代に、

平井コーチらと「バローマンビデオ」(バローマン選手のドリルワークがふんだんに紹介されているビデオで、FREESTYLE流平泳ぎ教材DVDにも同様のドリルが出ています)や

「ロシア・サイエンスビデオ」(ポポフらのトレーニングが紹介されているブルーフィルム的ビデオ)を擦り切れるほど見たものでした。

その技術に、多くの平泳ぎトップスイマーへのコーチングで得た「今風」なエッセンスが加わったものが、

サロコーチの平泳ぎの指導ポリシーになっています。

面白いのは、北島選手の著書を読むと、

サロコーチはこういった技術論は、選手が質問をしないと教えてくれないけど、

一つ質問するとメチャクチャ沢山答えてくれるようです(笑)。

しかし、北島選手がこういった技術論を理解するまでのプロセスでは、

英語力の上達が絶対条件となったようですね。

今回の新聞報道で、サロコーチが記者のインタビユーに「彼は英語がうまくなった」と答えていて「泳ぎがうまくなった」とは言っていませんでした。

そのことが、そういったコーチング姿勢を裏付けているようにも思えます。

選手が自ら自分の泳ぎに疑問を持ったり、

自分から「何か変えたい」と思って、主体的に行動してくるのをあえて待っているコーチングのようにも思えます。


水泳界だけでなく、また、日本だけでなく、

世界のいたるところからこのような人たちが一同に会するのがオリンピックという舞台。

勝ちに行く選手に共通しているのは、「変化を楽しむ」気持ちを持っていることだと思います。

そして、こういった舞台を経て、

コーチング技術もまたどのように変化していくのか、今から楽しみにしています。