こんにちは。
親子きずなサロン〜月とアロマと〜の野田 綾です。
3月がもうすぐ終わりますね。
この時期になると
震災の日とそれからのことが、
からだの記憶として蘇ります。
内陸にいて、
津波の被害も受けず、
家族も無事であった私にとっては、
語る資格は何もないように
今も感じていますが・・・
忘れがたい、一冊の本に出逢いました。
『知ろうとすること。』
私が読み始める前に、
長女があっという間に読んでしまいました。
「すごいね。
早野さんもだし、そういう会話を引き出した
糸井さんもすごくいい」
娘はそう言って、本を返してくれました。
表紙の写真は
福島県立福島高等学校の生徒さん達と著者。
未来に繋がる一抹の希望を感じて、心が慰められました。
本の最後に書かれた、糸井さんの
もうひとつのあとがき
こころのありよう、というか「姿勢」のこと
が好きです。
糸井さんご本人がされた
2011年のツイートが紹介されています。
(p180より)
<ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、
「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
「より脅かしてないほう」を選びます。
「より正義を語らないほう」を選びます。
「より失礼でないほう」を選びます。
そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。>
そして、これは、
早野さんの姿勢を語っているとも言えそうだ、と。
少しずつわかっていく事実を、
同じようなリズムで、
脅かすこともなく、
どう考えるべきかについて強要することもなく、
激せず、
飽きずに伝え続けてくれた、と。
(p179より)
こういう大人がいる、
ということ自体が希望のように思えて
心がとても洗われました。
自分もそうでありたい、と。
(なぜかというと、マスコミが伝える情報は
煽るものが多いように感じるし、
自分たちの代表として存在している
政治の世界は、正義を振りかざして
日常を脅かしているように思うからです。
・・・つまり、同じ人間として、自分にも
そういう要素があるということだから・・・)
こころのありよう。
1人の大人としてはもちろん、
セラピストとしても、
「どういう自分であったらいいか」
を問い続けていたくて
ちょうど今年の3月11日は
臨床の場で真摯に向き合っている
先生方のお話を伺う機会を得ました。
物理学と、臨床の世界。
数字として表す世界と、数字にならない世界。
表現手段こそ180度違うのに、
何か、根底に繋がっているものを感じました。
専門性ってそのためにある・・・
そう思える方々に
出逢えたのは本当に幸せなことだと
感じています。
空を見上げると、少し元気が湧いてきます。
みんな、宇宙誕生の時の星のかけらを身体の中に持っている。
本当に、「星の子ちゃん」なんだなあ・・・