今日は、「始皇帝と大兵馬俑展」を見に行った話をするよ。

 その「始皇帝と大兵馬俑展」が開催されている場所は、大阪中之島にある

 

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国立国際美術館ね。

 

 ちなみに国立国際美術館の隣には、

 

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大阪市立科学館もあるよ。

 

 こちらが、入口にあった「始皇帝と大兵馬俑展」の案内ね。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、「秦の始皇帝と兵馬俑展」に行ったのって、いつだったっけって?

 

 そ…それは…。

 

 えっ?何だって?…お父さん、これって、8月に行ったときの話だよね。今は、もう9月の終わりだよ。

 それなのに、8月の話を今頃になってするのって?

 

 コラ、せんとくん。何、実は8月に行ったときの話ということをバラしてるの。

 それは、バラしたらダメでしょ。

 

 はい、この日も残念ながらうるさいヤツがついてきたよ(コラ、そこ、拍手をするんじゃないの)。

 

 この国立国際美術館の入口はこちらね。

 

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 地面にも「始皇帝と大兵馬俑展」の案内があったよ。

 開館の1時間前に来たら、さすがにまだ誰もいなかったよ。

 でもって、御存じのように、今夏は猛暑だったわけで、外に立ってるだけでも暑い。

 というわけで、近くのコメダ珈琲さんで、開館の時間まで涼んでいて、戻ってきたら…

 

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 ゲロゲロ…こんなにたくさん並んでるじゃない。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、せっかく早く来たのに、何やってるの?

 これじゃあ、早く来た意味、まったくないじゃない。

 せっかく早く来たのに、結局、行列の後ろに並ぶ羽目になるなんて、お父さん、ホントにどんくさいよねって?

 

 うるさい。ったく、あんたはそういう余計なツッコミをするんじゃないの。

 

 でもって、10時の開館になって、すぐ中に入れた…まではよかったものの、チケット売場のところで並び、展示室に入るのに並びで、結局、中に入れたのは30分後のことだったよ…トホホ…。

 

 こちらが、その「始皇帝と兵馬俑展」のチケットね。

 

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 その「始皇帝と兵馬俑展」であるが、兵馬俑の展示の前に、秦王朝や始皇帝、それとその時代に関する展示があったよ。

 

 まずは、「秦王朝の軌跡-周辺の小国から巨大帝国へ」と題して、秦王朝が小国であった時代から、中国全土を統一するまでのことに関連する展示があったよ。

 

 その展示物の一部がこちら。

 

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 会場内は言うまでもなく撮影禁止だったので、紹介はパンフレットの写真で代用させてもらうので、ご了承のほどを…。

 

 左にあるのが秦公鐘で、右が玉剣と金剣鞘ね。

 

 

 秦は、もともとは西周の属国であり、西周の文化を強く受けていた。

 上記の秦公鐘は、西周の属国であった春秋時代のものであり、その表面には、秦初期の歴史を伝える銘文も書かれているんだって。

 

 その周であるが、春秋時代に入ると、国力も衰え、洛邑周辺を支配するだけの小国であったが、権威だけは保持し続けていたため、春秋五覇とよばれる諸侯たちは、周の権威を利用して、周にかわって、天下のことを取り仕切っていたわけで、その1つが秦であったというわけ。

 

 戦国時代に入ると、その権威もなくなって、諸侯たちは、王と称するようになった。

 秦もこの頃から、周からは完全に独立して、徐々に国力をつけていき、西周、そして東周も滅ぼして、楚・燕・斉・韓・魏・趙とともに戦国の七雄の一角を占めるようになったよ。

 

 その秦では、紀元前247年に13歳で政が即位すると、他の国を次々と滅ぼしていき、紀元前221年に斉を滅ぼして中国を統一。

 そして、自らも、始皇帝と名乗った。

 

 秦は南方にも遠征を行い、現在のベトナム北部まで領土を広げる。

 さらには、北の匈奴に対しても、蒙括を派遣してこれを撃破して、北方へと追いやった。

 上記の玉剣と金剣鞘は、秦の隣国の芮のものであるが、これと似た短剣が秦そしてユーラシア北方草原でも普及していたんだって。

 

 だが、その秦の始皇帝が亡くなると、宦官であった趙高が始皇帝の長子扶蘇をはじめ、始皇帝の血族や他の権力者を次々と処刑していき、暗愚な二世皇帝を傀儡にして、暴政を行うようになったんだって。

 さらには、始皇帝の時代から万里の長城や阿房宮の建設などで農民に過酷な使役を強いたことや、焚書坑儒などの思想弾圧を行ったこともあって、紀元前209年に陳勝・呉広の乱が勃発、やがてこれが全土に波及することとなってしまう。

 その討伐軍が項羽との戦いに敗れ、さらには、劉邦の軍が迫っていることを耳にした趙高は、二世皇帝に暴政の汚名を着せて暗殺し、子嬰を立てて民意の安定を図ろうとするも、その子嬰によって趙高は謀殺されてしまう。

 その後、紀元前206年に咸陽に入場した劉邦に子嬰が降伏し、秦は滅亡する。

 そして、劉邦からは命の保証は約束された子嬰であったが、後から咸陽に入った項羽に一族とともに殺害され、阿房宮から財宝などを略奪されて、咸陽には火をかけられて、廃墟とされたのであった。

 

 

 続いては、「始皇帝の実像ー発掘された帝都と陵園」のコーナーね。

 

 始皇帝は、中国を統一しただけでなく、官制、法制の整備を行い、度量衡の統一、諸国で使われていた貨幣を廃止して、秦の貨幣である秦の貨幣である半両銭に統一、さらには車の幅の統一も行ったよ。

 その秦の制度の多くは漢にも引き継がれていき、さらにはその後の王朝に引き継がれたものも少なくない。

 さらに言えば、中国から日本が取り入れた制度の中には、実は始皇帝がはじめて行った制度も多くあるよ。

 その始皇帝は、皇帝号の創始・行政区分の確立・万里の長城の建築などの点で中国と呼ばれる存在を確立した皇帝であるとも言えるのだろうね。

 そのために、秦以前のことを先秦時代とよぶこともあるんだって。

 

 その始皇帝の実績を紹介した展示の一部がこちら。

 

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 上は両詔権…これは、始皇帝が作らせた重量の基準となる重りのひとつね。

 始皇帝は、これと同じものを多数作らせて、これを重さの基準とさせたんだって。

 そして、パンフレットでは分かりにくいけど、これには秦の時代の文字も刻まれているよ。

 

 そして、下は取水口(上のお椀の形のものね)、L字型水道管(その下)、水道管(その右)ね。

 これらはすべて陶製のもので、これらを組み合わせて水道をひいていたんだって。

 秦の発展は、こうした高度なインフラ技術によっても支えられていたんだね。

 

 さて、続いてはいよいよ兵馬俑の数々の兵馬俑が展示された「始皇帝が夢見た『永遠の世界』-兵馬俑と銅車馬」の紹介…と言いたいところだけど、それは次回お届けすることにするよ。

 

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 えっ?せんとくん、だから何?…お父さん、そこが一番肝心なところじゃない。

 その一番肝心なところを出さないでそれは次回って、それじゃあ詐欺じゃないって?

 

 コラ、せんとくん。何、人聞きの悪い言い方をしてるの。

 そもそも、今回紹介したのも「始皇帝と大兵馬俑展」の展示には違いないわけだし、何もだましてはいないでしょ。

 

 それに、兵馬俑の部分も、話せば長くなるから、あまりに長くなりすぎるのもどうかと思うから、次回に回すことにしたんだからね。

 

 えっ?何だって?…お父さん、またそうやって言い訳をするの?

 それに、お父さんは、余計なことばっかり書くから無駄に長くなるんじゃないって?

 

 ったく、それを言うなら、あんたがそうやって余計なことばっかり言うから、長くなるんでしょ?

 

 

 それでは、最後に話は飛ぶけど、「始皇帝と大兵馬俑展」を見終わった後に食べたお昼ごはんを紹介するね。

 

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特別展「始皇帝と大兵馬俑」期間限定のやわらか東坡肉のハッシュドビーフね。

 期間限定という言葉につられて注文しちゃったよ(笑)。

 

 その実物がこちら。

 

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 そして、撮影コーナーで撮った写真。

 

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 その「始皇帝と大兵馬俑展」は、国立国際美術館で10月2日まで開催しているよ。

 時間は10:00~17:00(金曜日は19:00まで)。

 入場は閉館の30分前までだからご注意のほどを。

 月曜日は休館日だよ。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…10月2日までだったら、もうすぐ終わっちゃうじゃない。

 お父さんの紹介が遅いせいで、見られずじまいの人もたくさんいるんだろうし、お父さんって、ホントに役立たずだよねって?

 

 うるさい。ったく、あんたは最後まで余計なことをいうんじゃないの。

 

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