「子どもが自分にOKを出せる、親の言葉【2】」 の続きです。
子どもの気持ちに寄り添ってばかりだと、甘い言葉になるし、子どもは好き放題やるだけでは?……って思いますよね。
幼い子には、ちゃんと、適切なふるまいを教えます、気持ちを認めた後にね。
いったん気持ちを認めてもらえたら、大人の教えに耳を傾けやすくなるでしょうから。
でもある程度大きくなってきたら、もう子どもは、何をしなければならないかは分かってるんですよね。
だから、やらねばならないことを言うことより、気持ちを認めることを最優先したい、とわたしは思っています。
実は、前記事中の、「問題文が分からないんやったら、分かるまで読むんや。20回でも30回でも!」 というのは、私が父に言われた言葉。
分からないから教えてもらいにいったのに、そう言われて、怒られてるみたいな感覚でした。
今思えば、父はいつも忙しく、仕方なかったのかもしれませんが……。
このときのことが影響しているのか、わたしも、「数学が分からない」という息子に対して、まったく同じことを言っていた時期があり、そのときは本当に毎日が険悪でした。
冷静に考えれば、分からない文は何回読んでも分からないだろうと思えるのですが、「父が言った言葉だから、親になったわたしも言ってもいいのだ」みたいな思い込みが、無意識にあったような気がします。
子どもの私は、そう言われて怖い思いしかなかったのにね。
そして、もう一つ。
「ちょっと頭痛がしたからって(塾の)模試を休むなんて! 甘いんじゃないの!?」は、高校時代に、母から。
ほんとに頭が痛くて、迷ったあげく、学校から直帰することに罪悪感を感じながらも帰ったら、そう言われて、怒りとか悲しみとかより、とにかく驚いたことを覚えています。
てっきり、まずは「大丈夫?」って言ってもらえると思ってたから。
頭が痛いのに?怒られた?って。
やっぱり帰ってきたらダメだったんかな、って、ショックでした。
あー、もう過ぎたことだと思ってたけど、こうして文字にしたら、なんか心がズキっとしますね。
じわーって、こみ上げるものがある(^^;)
母も、大学受験を控えた私のことが、心配だったのですね。
今なら両親の気持ちがとてもよくわかります。
でも当時の私には、そんな両親の事情や気持ちは、残念ながら、プラスには伝わらない。
むしろ、ネガティブなメッセージとして受け止め、自分が悪かったのかなあとモヤモヤしていました。
もし父がこう言っていたら。
「そうか、この文章が分からんのか。うん、確かにわかりにくいかもな。でも今はお父さん、忙しいから、晩ご飯の後、見てやろう。それまで待てるか?」とか
「なるほど、この文の意味が分からないのか。教えてやれたらいいけれど、お父さんは、今この仕事があって教えてやれないんだ、ごめんな」 とか。
いったん「そうか、そうか」と認めるステップを入れてもらえていたら、同じ「教えてもらえない」という結果になっても、前向きに受け止められたかもしれません。
模試を休んだときも、
「頭痛? 今は大丈夫? 模試休んだのは残念ね」
くらいでスルーしてほしかったなー。
自分の子ども時代の経験からも、「子どもの気持ちをいったん認める」というのは、大事だなー、と思いました。
親だって一生懸命。
それはそうなのです。
だけど今、子育てをしている私たちは、幸いにも、「子どもの気持ちを認める」ことがいかに大事か、いろんな情報から知ることができます
(社会的にも、そういう風潮になってるしね)。
どうせ一生懸命、子育てするなら、そういうことを頭に入れて、やりたいなぁと思うのです。
(両親の言葉を責めるような記事になってしまいましたが、今は、わたしの両親があの人たちであることに感謝しています。そのおかげで、今の自分があるから)