(北斎が描いた「富嶽三十六景 神奈川波浪裏」)
型を会得した上での型破りな生き方を紹介する第五弾(最終回)は、
画家・葛飾北斎。
これまでの5人の中でも、いちばん型破りな破天荒な気がする。
名前も15回は変えた。93回も引っ越しをした。
執着心がなかったかというと、そうでもない。
名前や家はどうでもよくても、
絵に対する執着は並々ならぬものがあった。
なにものにもとらわれず、ただただ向上を目指す心意気たるや、
常人の及ぶべくのないものだ。
「富嶽三十六景」を描いたのは、七十を過ぎてからだが、
まだ画工の数にも入っていないと、まだまだ伸びしろがあると
考えている。
北斎は、齢九十で亡くなるが、
死を目前にし、
『天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら』と言い、
しばらくしてさらに、『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言ったそうだ。死ぬ間際になっても、上達を諦めていなかった。
波を見たら北斎を思い、富士を見たら北斎を思う。
リアルを超えたリアルがあるからだ。
斬新な構図や色彩は、見る人を喜ばせながら、
己だけの画風を追求していた。
需要と供給のバランスを無意識に考えていたともいえる。
だが、北斎の「型」は北斎だけのもの。誰にも真似出来ない。
五人の先人たちには、共通することがある。
まずは、来た球は、打ち返す。
自分が求める美意識は見失わない。
本質を具体化する。
小さなひと工夫を重ね常に新しいものにしていく「更新力」がある。
価値を生み出す積み重ねを人生の楽しみとしていた。