(長沼孝三彫塑館)
(300年の歴史のある丸大扇屋)
旅の醍醐味は、未知との遭遇。
知らないことを知る楽しみに尽きる。
八木文明さんは、どこへ連れていくと言わず、
いきなり歴史の舞台へ誘う。
「丸大扇屋」は300年前から、代々呉服商を営んできた商家。
幕末から明治、大正にかけての、商
家の暮らしぶりを残す貴重なものとして、
平成15年には、県指定文化財に指定された。
天保3年の年号が書かれた祈祷札が残る味噌蔵を始め、
7棟の建築物が保管されており、
当時の食器や道具、水路を利用していた設備などを目の当たりに出来る。
山形県長井市は、江戸時代から、上杉家米沢藩の玄関口となっていた。
最上川と西回り航路を使い、京都・大阪と盛んに交易を行い、富を築き、
多くの商人が集まり栄えた場所だ。
その商家の一つが、呉服商「丸大扇屋」。
寛永17(1640)年、初代長沼忠兵衛が店を構えたことに始まる。
彫刻家の長沼孝三は、明治41(1908)年、この商家に生まれた。
敷地内には「長沼孝三彫塑館」が併設されている。
東京美術学校を卒業後、昭和初期のモダニズムを彫刻で実験的に表現、
現代具象彫刻の先進的気鋭として評された。
彼の作品に一貫して流れるのは、
母子像に代表される人間愛、慈愛である。
太平洋戦争で、真珠湾攻撃の指揮をとった南雲忠一は、米沢出身。
もともと、孝三の兄の知り合いで、
東京のアトリエ近くに南雲が住んでいたこともあって、
行ったり来たりの仲だった。
昭和19年7月、南雲がサイパンで玉砕したとの知らせを受け、
無我夢中で即興的に作ったのが、『サイパン玉砕』という作品。
厳しい表情の南雲。
その後ろには、戦渦に巻き込まれた現地の人々の姿。
長沼の作風にしては、写実的で力の籠った作品で、
その時の心境がいかなるものだったかが伝わってくる。
丸大扇屋のことも、長沼孝三のことも寡聞にして知らなかった。
歴史の大舞台には登場しなくても、
地方の小都市の中でも確かな歴史が息づいている。