両親が30年あまり住んでいた杉並区浜田山に行ってきた。
自宅周辺にも立ち寄ったが、どうもおセンチな気分になる。
父や母の顔が思い浮かぶ。
父とよく行った鰻の「さか井」にも顔を出してきた。
父は、ここの鰻が大好物だった。
父の亡くなる年の春、初めて父が鰻を食べ残した。
譲り受けた鰻を食べながら、食欲が衰えた父を案じたものだ。
「さか井」には、父との思い出がいっぱい詰まっている。
「さか井」は、1968年創業。
46年、この地で鰻一筋のご主人、酒井敏行さんは、
客の顔を見てから、一人一人の為に、ご飯を炊く。
だから、30分は待つ。だが、彼の弁舌を聞きながら待つのが楽しい。
口はいささか伝法だが、悪気はない。
炊きたてのご飯に、柔らかく優しい味の鰻。うまい。
酒井さんは、新潟の山古志で育った。
ちょうど10年前の中越地震の時も救援にかけつけた。
今回の東日本大震災の時も、
被災地で鰻を食べてもらい元気を出してもらおうと考えた。
震災直後から、気仙沼、石巻、東松島、陸前高田、大槌を訪問。
仮設住宅や学校で、振る舞ってきた。
鰻もお米も持ち込みで、プロパンガスは現地調達。
酒井さん一人で一度に100人分は焼く。
きょう、久しぶりに顔を出すと、待ち構えていてくれたようで、
速射砲の如く、口角泡を飛ばしながら、被災地での様子を語ってくれた。
道具や材料を積んで遠距離運転で現地に行くのは大変だが、
子どもたちの喜ぶ顔を見たら、疲れなどは一気に吹き飛ぶ。
とりあえず、1000人分の振る舞いを目標に、
被災地へ足を運ぶという酒井さん。
ボクもボクなりに出来る支援をしていきたい。
父もそうしたに違いないから。