そうですか。金泳三が亡くなりましたか | こりあうぉっちんぐ

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2015/11/22 朝日新聞
金泳三元韓国大統領死去 民主化進展に貢献 87歳





 軍事独裁下の韓国で民主化運動を率い、1992年に大統領に当選して「文民政権」を復活させた金泳三(キムヨンサム)氏が22日未明、ソウル大病院で死去した。87歳だった。金大中キムデジュン)氏(元大統領)らとともに野党指導者として民主化の進展に貢献した一方、かつての「政敵」とも手を組んで与党側に転じ、政権をつかんだ。在任中は軍人色の一掃と不正追放に力を入れたが、末期には通貨危機に苦しんだ

 1927年、韓国南部の巨済島生まれ。ソウル大卒業後、首相秘書官などを経て、54年、史上最年少の26歳で国会議員に当選。61年の朴正煕パクチョンヒ)少将(当時、後に大統領)による軍事クーデター後、金大中氏らとともに民主化運動の先頭に立った

 74年に野党新民党総裁に就任。79年の朴大統領暗殺後の軍事クーデターで実権を握った全斗煥(チョンドゥファン)政権からも弾圧を受け、83年には政治活動の自由を求めて23日間のハンスト闘争を繰り広げた。92年末の大統領選でライバル金大中を破って当選。93年2月、軍人出身者に代わる文民政権を誕生させた。在任中は軍勢力の排除を進めた。94年7月に北朝鮮の金日成(キムイルソン)国家主席と初の南北首脳会談を開くことで合意したが、直前に金主席が死亡し、実現しなかった。(牧野愛博

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12080887.html?_requesturl=articles%2FDA3S12080887.html&rm=149

引用ここまで


 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。


 まだアサヒはソウル特派員に牧野愛博君を置いているんですね。まあアサヒの特派員の特徴として・・・・・中国において顕著ですが・・・・・決して赴任国の悪口は書かないとか。(除くアメリカ)

 何しろ韓国人ですら認めるパクリについても





 一切そういうことは書こうとはしませんでした

 まあ内心では韓国を遅れている国、対等には扱えない国と考えて、甘やかしていたんでしょうね。その認識は正しいですけど。

 しかし黒田記者を初めとする産経の特派員などは、韓国当局に都合の悪い記事も書きますから、時には起訴される羽目に。
 ええ、いまだに韓国は平気で言論弾圧をやる国なんですな。

 だから牧野君が”
金大中氏らとともに民主化運動の先頭に立った”・・・と書いたって、事後法によってチョン・ドハンとノ・テウという大統領経験者二人を逮捕するという先進国ではあり得ないようなことをやったんですが、残念ながら韓国は未だに先進国ではありませんし。

 そういえば時事通信のソウル特派員だった室谷克己が書いていましたが、金泳三は日本語教育を受けて育ちましたから、日本語はペラペラだったんですが、日本の特派員を相手にしても人前では決して日本語は使わなかったそうで。

 室谷がノ・テウに下手な韓国語でインタビューしたらノは「あなたの韓国語より私の日本語の方が上手いから・・・・」と言って日本語で話したそうですが。
 「私はチョン・ドハンと話をするときも、副官に聞かれたくない話は日本語でする」とも言ったようですね。

 まあ軍事政権の時代ですから、大衆におもねって反日姿勢を強く表す必要もなかったんでしょう。
 ポピュリストの金泳三は、特に人前では反日姿勢を崩すわけにはいかなかったんでしょうが。

 まあ既に過去の人ですし、惜しい方を亡くしました・・・・などと心にもない哀悼の意を述べるつもりもないですし。

 しかし”
末期には通貨危機に苦しんだ”・・・そして、これはチョッパリのせいニダ!と言い訳したくらいのことはな牧野君も書けよ。

 あるいは”
軍人出身者に代わる文民政権を誕生させた。在任中は軍勢力の排除を進めた”・・・収賄に関しては軍人出身者にも負けないくらい頑張ったことも

 そういえば国費をかけて日帝の呪いの杭を抜きまわっていましたな。いえ、別にIMF入りがそのタタリだなどと考えているわけでは。






 箱さえあれば満足する安上がりな猫だったな。