誰かのために生きるということ | 悩みとうまく同居できる人になろう 〜人生を楽に生きる簡単な方法〜

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誰かのために生きるということ



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この言葉は美しい。と言うか美しすぎて眩しいと感じてしまうのは私だけでしょうか。

人の役に立つ人間になりなさい。

日本では昔から人の役に立つとか、譲り合う姿が美徳とされ、学校やテレビ、
親や祖父母なんかからもそう教えられて育った方が多いんじゃないかと思います。

子供の頃、そういった類のことを親の前ですると’エライねぇー’とか’よくできたねぇー’と
褒められたりして、すごくうれしいからまたやろうと思ったりします。

東日本大震災の時に、避難所で食料の配給を断って他の人に分け与える姿は
世界中から賞賛されたものです。日本人はすばらしい民族だと。


何々?オレは(私は)そんなこと一切しない。いつも自分を最優先して生きているぞーという
頼もしい人は、これから私が言うことに賛同できないかもしれません。
しかもオレ(私)の親なんてひどいもんで、何かやろうとすると頭ごなしに・・・
って話が脱線してしまいました。


で、何の話かと言うと、ほとんどの人は’誰かのために生きることを自分の人生’と思って
生きているということです。

この場合の誰かとは、上司、部下、家族、友人など自分に関わる人すべてです。

???何言ってんだコイツ?と思っている人も多いと思いますが、

例えば、
 家族を養うために会社に行く。
 親に心配を掛けたくないので、堅そうな会社に就職した。
 和を尊重するあまり、同僚や部下、上司に思ったことを言わない。(言えない)
 子供の世話をしないと奥さんに嫌な顔をされるので率先して子供と遊ぶ。
 ダンナや子供の夕食を作るために飲み会の誘いを断る。
 皿洗いや風呂洗いなど、家事を積極的に手伝う。


などなど挙げようと思えばいくらでもありそうですが、
共通して言えることは’その時自分が本当にやりたいとだと思っていないことをしている’
ということなんです。

こんなこと決めつけたように言うと、家族のために会社に行くのは当たり前だ!とか
親を安心させて何が悪い!なんて言われちゃいそうですが、何もこれを’悪いコト’と
言いたいわけではありません。

でも、少し見方を変えると自分以外の何かに突き動かされてガンバッているとも
解釈することができませんか?

何度も言いますが、善悪の判断をしようとしているわけではありません。

ただ、例えば宝くじで何億円も当たって大金を手にしたら、わざわざ朝早くから会社へ行きませんよね?
子供と奥さんが実家へ帰った時は’今日は自分の好きなことができる!
まずは大音量で○○DVDを見て・・・’と妙にワクワクしたり、
仮に家にお手伝いさんがいたとしたら、皿洗いや風呂洗いなんて絶対にしないと思います。

要は、ほとんどの人は自分の意思よりも誰かに認めてもらうことを優先して
日常を過ごしているということです。

クドいようですが、これを悪いコトだと言っているわけではありません。

でも、1つ確実に言えることは
’自分の素直な気持ちを抑えて、ガンバッて何かをする’のは疲れると言うことです。

本当に自分でも気付かないうちに、疲れは積み重なります。
これを’ストレス’と呼ぶ人もいるかもしれませんが、私はネガティブな要素がより
際立つワードだと考えていますので、あえてここでは使用していません。


人は疲れが溜まるとモチベーションが下がって、前はすんなり出来たことでもエイヤッと
気合を入れないとできなくなります。

疲れを癒すためには趣味の一つでも無いとと言って、好きでもないコトを無理にやって
余計に疲れたりもします。
ゴルフウエアの似合わない人や、イヤイヤ重い体を引きずってスポーツクラブへ行く人を
見ると、私の目にはコッケイに映ります。

もちろん本当に好きでやっている人も多いんですけど、そうでない人も中には・・・。

本当に好きなことは気合を入れなくても楽にできます。

家のリビングに座ってコーヒーを飲みながらボーッとするのが好きだとか、
ドライブが好きで車を運転していると落ち着くとか。

好きなコトというと、趣味みたいに大きく捉えてしまってやりにくくしている人もいるかと
思いますが、意外に日常の中にあることが多いです。

’誰かのために生きるということ’は言わば当たり前のことなのかもしれませんが、
それだけだと人生が疲れるだけで終わってしまいます。
逆に1つだけでも本当に好きなことをしている人は、イキイキと幸せな時間があることで
疲れから開放されます。

お酒を飲んでグチるような一時的な開放感とは違い、しっかりとリセットできていると思います。


私は釣り好きで早起きは全然苦になりません。
それどころか予定時間よりも早く目覚めるコトが多いです。

それ以外にも、飼っている金魚を眺めたり、コーヒーを飲みながら窓の外の雲を眺めていたり
するのが何故か好きです。(アブないと思われるかもしれませんが)

あと、どこに行くわけでもないのに地図を見ているとワクワクして時間を忘れます。
最近は心理セラピー系の本を読むのもすごく楽しいです。
新しい知識がどんどん入ってくることで楽しさを覚えます。

モトモト勉強は大嫌いですが、強制されなかったり、必要に迫られたりするわけではなく、
自分からやりたいと思ってやるコトは本当に楽しくできます。
そして競争意識もなく、誰にも認めてもらおうとは考えません。仮に比べる相手があったとしても
負けて悔しいとは思いません。


長々と書いてしまいましたが、結局何が言いたいかというと、タイトルにも書いた
’誰かのために生きるということ’を否定はしませんし、ほとんどの人は
そうして生きていることでしょう。

決して悪いコトではありません。

ただ、’誰かのためだけに生きるということ’は、自分を殺すことだけで成り立っていることに
気付いてほしいんです。
’自分を殺す=自分の心にウソをつく’を続ける悪循環は、疲れるだけで
人生を終わらせてしまう可能性が高いと思います。

誰かのためだけに生きている人は、自分の人生が無いとも言えます。

一日に数分でもいいので、自分が本当にやりたいコトをやったり、考える時間がある人は、
それだけで人生の中に豊かな時間を持つことができ、費やした時間とは比例しないバランスを
持って楽に生きられてるんじゃないでしょうか。

みなさん、誰かに認めてもらうことだけを考えて生きていませんか?

一日に数分だけでも自分の人生を生き、元気を取り戻しましょう。


そんなこと言われても、自分で何がしたいか分からないんだよ!って思われた方へ
ワクワクすることの発見のしかたについては、別の機会にアドバイスします。


この文章に納得感が得られない!とか意味が分からないという人は直接お話しませんか?


私はいつでもお待ちしています。


それではまた。