ハルユタカの存在意味 ハルユタカってちょっとダメダメな人間?
春播き品種、国産パン用小麦として時代を作った「ハルユタカ」
「春よ恋」が誕生するまでの15年間、春蒔き小麦として輪作体系の一部を担い、畑作を支え、国産の強力品種小麦の先駆けとなり、時代を切り開いて来た役割は大きく、評価するに値する品種。
少数派の小麦として、できるだけ生産面での不安定要素を減らそうと、生産現場が連携し合いながら、生産地域の分散、作付け面積の確保と生産技術の向上と確立、普及に取り組んでいますので、特定数量の確保は維持されています。
この品種について常々考えてきましたが
自分なりの結論が見えてきたので書き留めておきます。
■ハルユタカはちょっと弱い人間
ハルユタカを人間に例えると
決して優等生ではなく、普通の子、病気に弱く虚弱体質で環境の影響を受け易い繊細な子どもです。
性質 = 病気に弱く、雨に弱くて収穫量は決して多くはなく、安定していない
この子どもを育てる親(生産者)にとっては毎年が苦労の連続です。
親の期待にそわない時の方が多かった(かもしれない?)というほど、大変手がかかる子ども とちょっと考えてみて下さい。
photo / 雪の下から現れたハルユタカ (4月)
■手のかかる子ども「ハルユタカ」
子どもを育てるためには養育費が必要です。
親は子どもの出来に応じて毎年、収入(補助金を含む)を得ますが時には赤字になることもあります。
採算が合わない場合、翌年からこの子育てを放棄する親も出てきます。
それに、この子じゃなくても、親が選べる子どもが他にもいるからです。
すでに後継品種の「春よ恋」「はるきらり」や 秋播き小麦では「ゆめちから」が誕生しました。
親にとっては、子どもの選択肢が随分と増えました。
つまり
弱い子ども「ハルユタカ」よりもずっと優等生な子ども達がいっぱい居るのが現状で、てがかかり、弱い「ハルユタカ」じゃなくてもいいワケです。
また、過去の育児経験から「もっと育て易い子どもにしてほしい」という要望をもとに、新しい子ども(新品種)が産まれ、どんどん切り替わっていきます。
農業ではこれが正しい判断と行動です。
こうして品種改良が進み、農家経営が存続し、かつ、これを使う実需者にとっても必要とされている品種へと進化していきます。
ハルユタカもまた同様に、一般普及された奨励品種でしたが、新品種の誕生など時代の流れとともに消えていく運命にあります。
photo / ハルユタカ 5月
■育児をあきらめない理由
しかし、こんなに弱い子どもなのに、この品種が誕生して以来、30年間育児を辞めない生産者もいます。
新たに「この子を育ててみたい」という親も現れています。
そして成長したこの子どもをずっと受け入れている製粉会社があります。
photo / ハルユタカ 7月
ダメな時も、良い時も継続して30年です。
先程も言いましたが、この間、他に優等生が誕生しているにも関わらず、ハルユタカという子育てを辞めずに続けています。
何故だと思いますか?
一般的には「ハルユタカは美味しい」とか「独特の風味がある」と言われていて
『 優等生じゃないけど、味がある。』とか〜。
ボクの場合はちょっと違いて こう考えています。
ハルユタカは『 弱い人間だけど、そこがいい 』です。
困難ばかりで無事に育ってくれるかどうかの不安を抱えながら毎年育児している農家さんを思うと本当に大変な作業です。
それだけ難しく悩みドコロが尽きない子どものようです。
そこで
育児について親同士が集まって、問題を共有し合いながら、時には自己反省し、時には相手のために自分の経験を元に助言をするというように
1つの目標「子どもの成長」に向けて親同士が相談したり行動したり、試行錯誤を重ねています。
現にハルユタカと関わってきた人達のお付き合いは、30年以上になります。
「30年来のお付き合い」というとそれなりに長くて深くもなりますよね?
1985年に生まれた子どもも30歳になったということですから
これはもう、幼なじみというか、お互いの人生を共有し合っているといっても過言ではないのでは・・・。
photo / ハルユタカ 8月
■ハルユタカ=人間の子ども
そう、当事者にとっては
「 現実の人生 」と「 ハルユタカという子育て 」が重複しているのです。
ハルユタカと共に人生を過ごしてきた30年という時の流れと積み重ねがあり
ハルユタカを中心に、親同士の親交が生まれ、時を経て信頼が深まって行く。
そんな " 子育てを通して親が親として成長している所 ” に何か大切な意味があるのでは・・・。
出来が良くても悪くても我が子は我が子。
苦労を重ね、子育てを終えて我が子を世の中へ送り出したとき
親は何て思うでしょう?
ボクは親に訪ねてみました。
するとこう返答がありました。
「 パン屋さんの迷惑にならないように育てたつもり、使ってもらえればそれでいい 」
一見素っ気ないようにも聴こえますが、ここには子どもの幸せを願う親心が現れていました。
我が子が親の手を離れたら、もうその先はパン屋さんに任せるしかありません。
最低限、パン屋さんの迷惑にならないよう育てた自負が親にはあります。
パン屋さんの役に立ってさえくれれば、きっと美味しいパンになって、お客さんを笑顔にしてくれるはず。
パン屋さんへの信頼と、我が子を想う親心があるからこそ、出たセリフだと感じました。
小麦粉になってその役目をちゃんと全うしてくれることだけを願っているのです。
これはもう
小麦も実際の人間の子どもに対する気持ちとなんら変わらないのでは?!
ここに、ハルユタカがこの世に存在する意味があるのではないかとボクは思っています。
もし、この子が優等生だったら・・・
親同士の親交もこれほどまで深いものにはならなかったかもしれませんし
30年間育て続けていなかったかもしれません。
だからハルユタカは
『 弱い人間だけど、そこがいい 』のです。
もし、改めて
ハルユタカの魅力とは何ですか?
と聞かれたらあなたは何と答えますか?
その答えは、個人個人多種多様でいいと思います。
自分的には先の親のように
精一杯子育てをし、その上で子どもの幸せを願っている
親心を感じさせてくれるような返答が来ると
「あぁ なるほど、そうですか。」と
理屈抜きに納得できるのです。
子育てには、当事者にしかわからない何か があるのかもしれません。