ヨメシューキラキラ


(この言葉はちびてつの成長日記。と『ヨメシュー絶縁史』 のmoppingさんの所から拝借。)

(無断でリンク張ってごめんなさいあせる



まあ、嫁姑の話なんですけどね。


私、同居嫁でもないし、私の姑にあたる人ともめた訳でもないのに、

気づいたら、ヨメシュー関係でバトルしてるブロガーさん読み歩いてるんですよね

自分でも、何でだろう? と考えてみたところ、思い当たりました。



実母です。


ええ、私、実は結婚前、

『家事手伝い』

として家におりました。


別に花嫁修業ベルのためとかいうもんではありません。



同居祖母の痴呆症(現在は認知症と言いますね)がヒドくなり、

同居の兄夫婦の3人目の子供が産まれて

兄嫁さんは産休・育児休暇を取るが、子供が1歳になったら、ジジババ(私の実両親)に子供達を預けて職場復帰の予定。

(保育園に預けるという選択をする気配全くなし。)


実母は若い頃、さんざん祖父母にイビられた(近所でも有名)そうだが、

だからこそ、意地でも最後まで家で介護すると言って聞かない。

(そうしないと、近所に悪く言われるに決まってると思い込んでる。)

(祖父は私が幼稚園の頃に亡くなってます。)



でもさ、実親も年取ってきて体力あんまり無いし、

実母も体調良くないときが多いってのに、

孫の面倒と、訳わからなくなってるばあちゃんの介護って

両立できるわけがないのは火をみるより明らか。


さらに、当時私の勤め先が移転予定(転職したわけではなく、職場がお引っ越ししたの)、

通勤時間、いままで3~40分だったのが、片道2時間(往復4時間)に変わることに!



悩みましたよ。


家の事情と、会社の事情。

どちらかだけだったら、会社やめずに頑張っていたと思うよ。


でもさ、兄夫婦は、ばあちゃんの介護は見て見ぬふりだし、

兄嫁は元々子供嫌い(自分で言ってた)で自分の実子でも、嫌々面倒見てるフシがある。

家事するのが嫌いなんで、仕事を辞めるのは真っ平御免オーラ出まくり。

(兄が兄夫婦のすべき家事のほとんどをフォローしていたよ汗


これでさ、食事はいつも実母が作って、皆で(2世帯分よ)食べてたんですよね。

(私が仕事休み(土日)の日は私が作ってた。兄嫁さんも作るのは仕事休み(主に月曜)の時のみ)

完全2世帯分離型じゃ無いんですよ、実家。

その点は、兄嫁に同情するけど)

これで、私も家にいる時間がほとんど無くなって、休日と言えば

疲れで使いモンにならない状態(体力ないもんで)になる予定・・・。


ウチ崩壊するやん!


・・・で、自主的に退職しました。



実母は

「何で辞めるの? 私はそんなの頼んでないよ」

とか言っていたけど、現実見ろよ! とか思っちゃいました。



そして、兄夫婦3人目のチビちゃんが1歳になったころ、

私、ベビーシッターとして就任キラキラいたしました。(勝手に)

あんまりにもいつもチビと一緒にいるので、私の子だと勘違いしていたご近所さんもあり。

↑私は未婚の母か?

(だって、兄嫁は買い物行くときに、子供は邪魔だからって、家に置いて1人で買い物。

私は家の状況考えて、チビ抱っこして一緒に買い物してました。)



実母、介護に専念できるようにしましたよ。

介護にイラ付いてるときはフォローして変わったりしましたよ。




その内・・・、元々性格のキツイ実母、兄嫁には遠慮して言いたくても言えないことを

私に遠慮無くぶつけてきましたよ。


束縛もキツかったよ。

タマに遊びに出ようとすると、

「どこ行くの」・「何しに行くの」・「そんな所の何が面白いっての、くだらない」

私が細かく説明しても行く場所、目的が実母に理解できなければ

「アンタ、親にも説明出来ないところに行くのか?!」

と、罵倒する。

(イベント紹介してる雑誌見せて説明してもコレだよ汗


帰ってきても、

「アンタは、遊んでばっかりいて!のんきでいいやね!」

とイヤミ。

(本当に極たまにだったのに・・・。)


何かと言えば

「アンタ、こんな事じゃ、どこに嫁に行っても苦労するよ!」

と、呪いドクロをかけてくる・・・。


(これは、祖母が亡くなってからも続きました・・・ガクリ(黒背景用)




今、苦労してるってば・・・。(←当時ね)

私って今、嫁みたいな扱いされてないか?

(親子だからこそ、遠慮無く攻撃されてるんだろうけど・・・。)

兄嫁は何にも言われずにノビノビしてる様に見えるのは何故?

(娘か?)



そんなこんなで、疑似ヨメシュー体験してるから、

ヨメシューバトルに興味っつーか、親近感っつーか・・・。

って事なのかなと・・・。


あ、ちなみに実父も自営業のため、ほとんど毎日家にいて、介護手伝ってましたよ。

(付け足しかい、可哀相に・・・)



・・・数年後(現在からすれば、数年前になるけど)、祖母は自宅で息を引き取りました。

最後は祖母も正気に返ったのか、「ありがとう」の言葉がありました。

まあ、この介護にウチの家族は悔いは無いです。