司馬遼太郎・著『坂の上の雲』
坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)/文藝春秋
¥5,360
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日露戦争を舞台に描いた歴史小説として有名ですが、
本作で私が最も感銘を受けたのは、
『大将の在り方』についての描写です。

もちろん、戦争とビジネス、軍隊と会社、戦時と平時、明治と平成、
そういった違いはあれど、現代のビジネスに応用できる点は非常に多いと感じました。

ちょっと長すぎる(約6千字w)ので、
アウトプット&備忘録用ですw

日本の大将が、大国ロシアとの戦争に勝てた理由

●ユーモリストであること
脳は、前向きに物事をとらえているときの方が、
潜在能力を発揮するといわれています。

笑いは、人を自然と前向きな気持ちにさせます。
リーダーにとって、笑いを起こすユーモアはとても大事です。

日露戦争の沙河会戦で、ロシア側の猛攻撃により、総司令部の雰囲気が殺気立っているとき、
昼寝から起きて総司令部に顔を出した大山巌が「児玉さん、今日もどこかで戦(ゆっさ)でごわすか」という言葉をおどけて言って、
総司令部の空気がたちまち明るくなり、皆が前向きな気分になったようです。

●ウドサァであること
ウドサァとは、ウドの大木の「ウド」に敬称のサンである「サァ」をかけている薩摩言葉。
薩摩における総帥としての必要条件であったようです。

もちろん中身はウドではなく、
いかに賢者であっても愚者の大らかさを演出演技するということを意味しています。

ウドサァになるための最大の資格は、もっとも有能な配下を抜擢して、
それに仕事を自由にやらせ、最後に責任だけは自分がとるということ。

大山巌、東郷平八郎、この薩摩藩出身の陸軍と海軍のそれぞれの総司令官は、
根っからのウドサァで、ほとんど自ら命令を下さず、
有能な部下を抜擢し、それに基本的に任せる姿勢を貫いています。

大山巌は、若い頃、非常に仕事ができると評判であったが、
大将になってからは、茫洋であろうと心がけていたと言われていて、
負け戦になるときにのみ、自分が主役になるという事を言っています。

●現場に任せて、細かいことをとやかく言わない
『事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!』というのは、
踊る大捜査線、青島刑事の有名なセリフです。

確かに、大きな事業を営む組織において、
大将が全ての現場を詳細に把握するのは困難です。

例えば、戦場では絶えず風向きが変わり、天気も変わり、
相手の兵器も変わり、自軍・相手軍の兵力の状況も刻一刻と変わり、
というように、現場にいないとわからないことが多いです。

絶え間ない状況変化の中、
全てのアクションが計画通りにいくとは限らない中で、会議室の大将が、
「なんでこんな動きするんや~ああせいこうせい」
と言っても現場とはかけ離れていることが可能性として多くあります。

であれば、現場に直面している現場のリーダーに、
権限を委譲し、現場の機微に即したアクションを指揮してもらうのが最も良いと感じます。

大山巌司令官の元で、参謀を務めた児玉源太郎は、
山県有朋が「私が司令官をやろうか」と言った際に、
やんわりと断ったようですが、
それは大山巌に比べ山県有朋が非常に細かい指示を出しすぎるタイプであったからだ、という逸話が登場します。

●規律ある組織を創る
日露戦争当時の日本軍は、
海戦においての溺れている敵兵を積極的に救助し、捕虜にも大変に優しく、
進軍した土地でも一切略奪などを図らなかったといわれています。

戦争を観戦していた外国武官も、
日本軍の規律に感動したようです。

それに対してロシア軍は、
軍規に違反する行為も多く、駐留先で、売春や賭けが横行し、
上官に逆らう者が多く、殴る者さえいたようです。

いくら最適な戦略、最適な戦術、最適な兵器をそろえたところで、
規律が乱れていれば、得られる勝利も得られません。

●敵の戦力と勝負の引き時を知る
日露戦争において、日本の首脳は、
緒戦を勝って、有利な状況で講和にもっていくことをもってのみ、
勝利が得られると、想定をしました。

日本軍の各会戦の勝利を見ていた当時のマスコミ&民衆の中では、
そのままペテルブルグまで攻めこめという意見があったようですが、
当然そんなことはせず、日露の国力の差を理解し、
しっかりと早期に講和にもっていった首脳たちは素晴らしかったといえます。
 
●いい人材を抜擢する
現場に任せて、細かいことをとやかく言わないというのは、
任せる人材がいい人材であるという前提が必要です。

組織の中で、誰にこの仕事をこの役割を任せるか。

当時海軍大臣であった山本権兵衛は、
開戦前に、既定では連合艦隊の総司令官となるであろう日高壮之丞を左遷し、
東郷平八郎を戦争の全権を握る総司令官に指名しました。

その東郷平八郎は、大佐にすぎなかった秋山真之を抜擢し、
作戦のほとんどを任せ、戦争を勝利に導きました。

乃木希典大将が、伊地知少将に作戦の全てを任せ、
旅順の陸戦において連戦連敗したのは、良い例で、
任せるに当たっては、任せる人選が重要であるということです。

●用意周到さ
日清戦争に勝利した日本は、
遼東半島などの領土を得ることができましたが、
三国干渉によって、ロシアに一部を奪われました。

その頃から、日本はロシアとの戦争を想定し、
作戦を立てつつ、軍備を拡張してきました。

約10年にわたって、準備を整えてきた日本と、
日本など、取るに足らない存在で簡単に勝利できると、
油断していたロシアで、大きな準備の差が生まれ、
それが勝敗を分けました。

戦やアポイント・プレゼンの前には事前準備が大変重要です。

●徹底的な訓練
日露戦争で、日露の勝敗を分けた日本海海戦の前、
東郷は、海戦の勝敗を決するのは砲術の練度にあると見て、
日本海海戦開始ギリギリまで徹底的に砲撃の練習をしました。

当時の日本の砲撃の練習のすさまじさは、
小さい島を吹き飛ばすほどのものだったようです。

日本海海戦では、その練習の成果があってか、
日本の砲弾はことごとく命中し、当時、砲撃ではなかなか沈めることができないと
言われていたロシア側の主要戦艦をことごとく沈めました。
(ロシアの砲弾はほとんど当たらなかった)

大将はその事業や会社にとって、勝利に重要な技量は何かを見極め、
そこを徹底的に伸ばすことが重要です。

●国民の軍隊
明治は、大日本帝国憲法が発布され、
江戸時代とは違い、四民平等となり、平民でも勉強と仕事を頑張れば、
立身出世できる時代になったことが人々の高揚感を生み、
国民国家を意識させました。

軍隊が国民の軍隊であるという意識が強かったし、
国民の代表たる政治家が軍隊を統制しているという感覚が強かったようです。

対して、ロシアは全権を皇帝が握り、かつ皇帝は人間的にも能力的にも
あまり尊敬されていませんでした。

やはり、組織に属している人たちが、自らの組織に、
オーナーシップを感じることができれば、
仕事に対しての士気は非常に高くなりますね。

なぜロシアの大将は、当時国力が圧倒的に劣る日本に負けたのか
●専制君主体制
明治の日本は、国民の代表たる政治家の決定の元、
軍が動くというような状況であった。

対してロシアは、皇帝ニコライ2世の鶴の一声で全てが決まり、
上層部も国民の事、国の事を考えるというより、皇帝に好かれようということを考え、
行動していた。

これは戦場でもそうで、皇帝が専制だからこそ、
現場のリーダーも専制的な指揮をとり、現場でも現場のリーダーに好かれようという、
作用が働いた。

陸軍大将のクロパトキンも、
派遣されてきたもう一人の大将に手柄を取られて、
自らが左遷されるのを恐れたため、
日本軍をもう少しで殲滅できる状況下で、その大将を助けず、
千載一遇のチャンスを逃しています。

事業や戦争では、成果や戦果を上げることが最重要であるのにもかかわらず、
専制君主政治においては、
成果を上げることではなく、気に入られることや、出世のみが、
部下たちの感心事になってしまいます。

●作戦が相手によって決まる(後手後手に回る)
クロパトキン大将は、奉天会戦において、
日本軍に振り回されてしまった。

日本軍が作戦を実施する4日前に、
ロシア軍側が大規模な作戦を実施する予定だったのにもかかわらず、
相手の小さな動きに惑わされ、大規模作戦の実施を延期し、
日本軍が先手をとりました。

その後は、日本軍の連続的な多方面からの攻撃によって、
自軍の動きをそれに合わせて移動させ、
主体的に攻撃をすることが困難な状況になりました。

やはり戦いに勝つには、
競合や敵の動きに惑わされず、
自ら描くビジョンに基づいて、主体的に作戦を進めていくことが、
重要であると気づかされます。

「仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。」
と、電通鬼十則にもあるように、個別の仕事においても、
相手に催促されて後手後手に仕事をするより、先手先手で主体的に仕事をしたほうが、
成果は上げやすいですのと同じことかと。

●智力ではなく性格で作戦を決める
ロシアのクロパトキン大将は、
軍の学校を主席で卒業し、実務家としてもすぐれ、
作戦立案の名手と言われていました。

しかし、いざ戦場にいると、
相手の力を過大評価する、相手の動きに過敏に反応する、という
臆病で繊細な性格でした。

恐らく、頭の中だけで戦えば、
クロパトキンは強かったはずですが、
性格によって作戦を決めてしまったというのが、
彼の敗因となっています。

仕事をしているときに、
ロジックや智力で意思決定をすべきで、
その時の気分や性格で意思決定をしないことが重要だと気づかされます。

ただし、思いやりや、やさしさといった人として重要な部分は、
大事にすべきだと思います。

●スピード感が無い
奉天会戦において、
もし仮にロシア側の作戦の実行があと4日早ければ、
奉天会戦はロシア側が勝利し、日露戦争自体もロシアが勝っていたかもしれません。

現代ビジネスにおいても、
こういったことは多くあるのかなと思います。

Facebookのザッカ―バーグCEOの言葉はあまりにも有名ですね。
『Done is better than perfect』
(完璧にするより、早くリリースしよう)

●大将による細かすぎる指示
ロシア陸軍はほとんどの作戦を、全てクロパトキン大将が練り、
現場にも細かい指示をしました。

現場に指示を出す事自体はもちろん全く悪いことではありません。
ただし、それが現場に即していない指示であった場合に、現場は大きく混乱します。
また、ある程度現場に権限を持たせて判断させたほうが、スピード感を持てる場合もあります。

適切なアドバイスはもちろん必要ですが、細かいことを言いすぎて、
実行者の主体性を削いでしまうと、オーナーシップを持ちにくくなってしまう、
ということがあるかもしれません。
(ただし、現場のリーダーや育成時に、細部へのこだわりのチェックが重要な時もあるかと思います。)

●情報共有が無い
バルチック艦隊の総司令官である、ロジェンスキーは、
第二艦隊司令官が病死した際に、その死を味方にまで隠していました。

誰しもその司令官が生きている前提で動くので、
色々な齟齬が生じます。

また、ロジェンスキーは、作戦の共有や会議もほとんどなかったようです。
『ウラジオストックの港を目指す』ということを言うのみで、
それに対して、どうやって目指すのかということについて、
皆で議論することもあまりなかったようです。

戦略は、決定したら組織全体に知らしめるべきで、
戦略の浸透していない組織では、現場において意思決定や仕事の進め方で迷いが生じてしまいます。

●内政の乱れ
例えば、ビジネスにおいて、たくさん人材を投入すれば、勝てるという局面で、
組織内に不平不満がたまっていれば、勝てる戦いにも勝てません。

日露戦争当時、ロシア国内では、
皇帝の圧政への不平不満が多く、社会主義革命を推進する組織が、
かなり強くなり始めている頃でした。

そういった内政の乱れは、
戦争において重要な「現場の兵士の士気」を低下させ、
首脳部も組織内部に手を焼き、外部に目をむけづらくなり、
戦や事業で非常に不利な状況を引き起こします。

●癇癪もち
ロジェンスキーは、少しでも働きの悪い兵員がいると、
すぐにもっている望遠鏡で殴ったり蹴ったりし、
気に入らないことがあるといつも怒鳴っていたようです。

渋谷で働く社長の告白で、サイバーエージェントの藤田社長が、
「絶対にキレない」ということを心に決めていたということとは、対称的です。

余りにも恐ろしいマネジメントは、
マネジメントされる側を硬直化させ、士気を下げ、
失敗しないことが成果を上げることやスピード感よりも優先されて、
成果の上がりにくい組織を創る一因になります。

●現場を見ない
これは、日本側の、旅順においての乃木希典と伊地知幸介に言えることでもあります。
危険という理由で、司令部をかなり後方におき、
死者が数万名を超えても、現場を見に行きませんでした。

苦戦する旅順に総司令部から向かった児玉源太郎は、
すぐさま自らの目で現場を確認し、現場を把握した上で、作戦を立て、
旅順司令部を移動させ、作戦を実行し、旅順会戦を勝利に導きました。

ロシアの陸将クロパトキンも、
前線から離れた司令部で現場を見ず、
かつ現場をしる各司令官の言葉を聞かず、
独断で作戦を決めました。

大将も、少しは現場を見るか、
現場の意見を吸い上げるか、現場を知っている者に任せるかして、
現場を知った上で戦略を練る必要があります。

●侵略戦争
日露戦争は、ロシアにとって、
自国の極東での領土を広げたいという利益のみを考えた侵略戦争でした。

それに対して日本にとっては、
ここでロシアに負ければ、北海道もしくは、対馬がとられるだろう、
もしくはロシアの属国になってしまうだろうという、
祖国防衛戦争でした。

もちろん色んな思惑があってのことですが、
欧米諸国は、日本に同情し、特に同盟国であった英国は、
日本に絶えず有利な情報を与えてくれました。

自己の利益のみを考えた事業や戦争は、
やはり周りから応援されないばかりか、
遂行する現場の士気もそこまで上がらないということですね。

以上です。長い!w

坂の上の雲は300P以上×8巻で、
1か月半くらいかけて読みました。
せっかくなので、なんかまとめたくなりました。笑

最後に簡単に宣伝です。

9月に、10日ほど私が、入院し、
会社を2週間以上休む機会がありました。

会社は、私が半分いなかったにもかかわらず、
9月全体達成でギネス記録(過去最高)を更新しました。

社内で優秀でかつ意欲の高い人材が育つ&採用できるようになってきたので、
より一層、大胆な権限委譲と大胆な攻め&投資を行おうと決意しました。

優秀な人材がいて、その人たちが大いに挑戦できる舞台を整え続ければ、
このまま成長し、大きな事業を成し遂げれると確信しています。

ということで、今の私の最大の関心事は、
採用はもちろん、挑戦環境をどれだけ生み出すかということです。
やはり、挑戦なくして成長なしかなと、最近は常々思います。

最近でも、新卒入社半年で8名のチームを率いるメンバーが出てきたり、
新卒2年目で大阪支社の立ち上げ責任者をやっているメンバーもいます。

これからも会社としてガンガン挑戦し、
社内のみんなにもガンガン挑戦してもらい成長してもらえる環境を創り続けます。

そして、改めて採用を頑張ろうと思います。

少しでも当社にご興味のある方は、
ぜひ、下記の採用サイトからエントリーをお願いします!
ざっくばらんに色々とお話しましょう!

http://recruit.i-tank.jp/

あと、将来、ビジネスで大将になりたい学生の方は、
是非、キャリアバイトで早めに社会の現場で実践することをオススメします!笑

http://careerbaito.com/

ぜひぜひ!w