筋ジス人生、三十六年 面白い人生です。 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

人は無量の恩の世界で生かされています。一日を真剣に生き努力に生き、感謝報恩に生きる。

進行性筋ジストロフィーと診断されて三十六年の歳月が流れました。私は今、設計の仕事をしながら四ヵ所の介護事業所から交代で毎日、ヘルパーさんに来ていただき、身体介護と外出を手伝ってもらっています。見る、聞く、食べることに不自由はありませんし、指先は動くので、電動車椅子に移動させてもらえば、したいことが色々とできます。例えば週一度、木曜日に、デイサービス旭川荘「くわのみどりの家」の陶芸講座に行き、備前焼の緋襷(ひだすき)を楽しんでいます。

また、フルデジタルアンプをメインとしたダブルハイビジョンで7.1チャンネルサウンドシステムの「オレさまシアター」を作り、フルハイビジョン・プロジェクターから90インチ電動スクリーンでブルーレイの映画を楽しんでいます。いつも世話ばかりかけている母や妹の家族と観ることもありますし、友人たちが来て一緒に楽しむこともあります。

こうした楽しい日々を送っている私の、最も大切にしている日課が毎朝の勤行としている「宝号千遍(南無解脱金剛)」です。金剛さまの写真を拝しながら、しっかり唱えると十五分程かかります。始めてから三年になりますが、最初一ヵ月くらい続けられれば、と思っていました。というのもその当時、父が脳出血で倒れ、母は毎日、一心に天茶供養(あまちゃくよう)をしていました。私も母と共に、、父の病気平癒を願って、何かさせていただきたい、何ができるだろう、と考えました。すでに私は、柄杓を持って供養することができなかったのです。

考えたあげく、「そうだビックリマーク口がきけるんだから宝号が唱えられる」と気づきました。一ヵ月はまたたく間に過ぎ、二ヵ月、三ヵ月と続けるうちに、これはもう、生涯、続けさせてもらおうと実践しているのです。

宝号はできるだけ無心に唱えたいのですが、集中できない日もあります。それでも、数取り器を押している指の運動になっていることに間違いなく、心が落ち着き、総てのことを肯定的に捉えられるようになったことは確かです。金剛さまがより身近に感じられるようになり、宝号を唱えることの素晴らしさを体得したように思います。

私の頭の中には今、「筋ジストロフィー」はありません。考えなくなりました。

社会では筋ジストロフィーを「病気」「難病」と呼び、世間の人は「気の毒に……」「可愛そう……」という目を向けます。しかし、当事者の私にしたら、筋ジストロフィーは病気ではなく、障害なのです。障害だから乗り越えられる、消えるのです。

金剛さまは「病気は治るのではない。消えるのだ」 と教示されたと勉強させていただきました。そして、「なったことに感謝。絶対感謝だビックリマークと、感謝の道を示されています。

最近、定期健診でお世話になる医師が、「西原君は進行の具合が遅いなぁ」と、不思議そうに言いました。私は、「そうですかぁ」と笑顔を向けながら、心の中に「解脱を学ばせていただいているからや。金剛さまのおかげや」と、有り難さが広がるのを感じました。

観点を変える
私は昭和三十三年一月二十九日に、ごく普通に生まれ、元気に成長し、高校卒業後は叔父が経営している建設会社に就職しました。慣れない環境と厳しい現場監督の元での仕事に戸惑いはありましたが、働く喜びを満喫する毎日でした。

ところが、二十歳を過ぎたころから手足に力が入らなくなり、岡山市内の専門病院で精密検査を受けたところ、「進行性筋ジストロフィー」と診断され、ゆくゆくは寝たっきりになると言われたのです。それでも初めのうちわ歩くこと、車の運転など苦にならず、仕事も頑張っていました。昭和五十八年に解脱会に両親共々導かれ、様々に学ばせていただいている中で、親への恨みが消え、支部長さんや支部会員の皆さんの温かい励ましによって“おかげさま”を知り、新支部道場の設計を担当させてもらったりしました。

それでもやはり、身体の中では確実に変調が進み、脱力感や疲労感、仕事ができなくなった不安感が募り、四十三歳で二十五年間務めた建設会社を退職しました。そしてようやく後ろを振り返る機会を得た時、私は大事なことに気がついたのです。

進行性筋ジストロフィーという難病を抱え、将来に絶望し、希望の光を見いだせずにいたころ、金剛さまの教えが自分を支え続けてくれたので、ドロップアウトせずに生きて来た。もし、何一つ障害を持たずに生まれ、生きて来たとしたら、人生をこんなにも真剣に生きていただろうかはてなマーク。たぶん、楽な生き方ばかり選んで、他人の優しい気持ちに触れることもなく、のほほんとした、つまらない人生を過ごしていたのではないか。

さらに、解脱のみ教えも自分で好いように解釈していたことにも気づきました。本来、自分をみ教えに合わせるのが学びなのに、自分なりの解釈で合わせていたのです。

そこで観点を変えて考えてみました。神々様やご先祖様、そして金剛さまから見たら、自分はどうなのだろう、どう見えているのだろうと、心を真っさらにして想像してみたのです。すると、自分と中心にしていたときは、いつもドキドキしていた不安感が消え、何故か“お任せすりゃぁええんじゃ”と思ったのです。自分が「進行性筋ジストロフィー」であることも“お任せ”して、考えなくなりました。それよりも、今、いただいている生命を大切にして、毎日を一生懸命に生きたら良いのだと、嬉しくなる思いが湧いたのです。

考えてみたら、筋ジストロフィーを道連れにした人生は、人と違う人生です。自分で選んだわけではなく、いわば与えられた人生ですが、「面白い人生」です。普通に健常者として生きてきたら、解脱にも陶芸にも出会えなかっただろうと考えると、つくづく、「障害者になって良かったなぁ」と思うのです。

負け惜しみでは決してありません、何より胸を張って言えるのは、私の人生の最大の師、金剛さまに、障害者になったからこそ出合わせていただけたのです。

最近の私は、金剛さまで毎日が回っています。常に「今、金剛さまから見て、ワシはどんなかなぁ」と考えます。調子が悪い時でも、「金剛さまがおるんじゃ」と思ったら元気が出ます。悪い出来事も苦でなくなります。毎月の解脱誌を読んで感動した金剛さまの記事を、最初は、まだ動く指先のリハビリも兼ねて手書きをします。次に、「金剛さまのお言葉」としてアメブロFacebookに載せます。すると、様々な人が返信くださり、そこにまた、楽しいかかわりがあります。

人生は心の持ち方ひとつで、面白く、充実したものとなるようです。それを教えてくださった金剛さまに心から感謝しています。



読者の皆さん、お早う御座います。
今日もより良い一日に成りますようにお祈り申し上げます祈
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