自己認識の二側面。 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

人は無量の恩の世界で生かされています。一日を真剣に生き努力に生き、感謝報恩に生きる。

「霊の修業に就いて」の文章の冒頭には、「解脱の教えに入る者が必ず行わなければならぬのは、霊の修業である」とあり、それに引き続き御五法修業の目的について、「それは伝統的に間違って来た精神を清浄する為である」と述べられています。これは、解脱の学びとは自己認識・自己反省の実践を深めてゆくことであり、御五法修業はそのための道であることをはっきりと示されたものと拝察されます。そして、「伝統的に間違って来た精神」とは「自然観の絶対性」を知らざるところから来る「自我充実」であり、「自然観の絶対性」に立脚した「敬神崇祖の思念」「尊敬感謝」の念を育むことが大切であると述べ、「霊の修業とは、要するに如上の絶対精神に目覚める為の道程である」と示されています。(ここでは御五法修業は「霊の修業」と呼ばれています)

以上のように、御五法修業とは、わたしたちが祖先以来の肉体的精神的伝統であるが故に、濃厚に自己中心性を帯びている自己であることに深く気づくとともに、わがままな姿勢を改め、敬神崇祖・感謝報恩の念を育んで、大自然の法則にそった生き方へと生まれ変わるための道として、金剛さまがお遺しくださったものなのです。

御五法修業は何よりもまず、自己認識のための道です。自己のありのままのすがたをよく知ってこそ、わたしたちは自己改善に向かい、安心とよろこびと希望に満ちた、真に自分らしい人生を切りひらいてゆくことができます。繰り返しますが、御五法修業を修する目的は、自己認識・自己反省の実践にあります。

ところで、ここでいう「自己認識」には次のような大切な二つの側面があります。

その第一は、「宇宙万物とのつながりにおいて存在している自己」の認識です。わたしたちはけっして他から切り離されて単独で存在しているものではなく、宇宙の一切とのつながりによって支えられ生かされている存在です。それは単に目に見える世界においていえるだけでなく、目に見えない神仏や先祖霊をはじめとする、さまざまなみたまとのつながりのなかで、わたしたちは生かされているのです。

御五法修業を修することによってわたしたちは、常に神・先祖と共にあり、神霊や祖霊から大きな加護と導きを受けている自己であること、そして先祖をはじめ太古以来の無数の人々やものからかぎりないおかげをいただき、生かされている自己であることを、単なる観念としてではなく、ありありとした実感をもって認識させていただけるのです。

第二の自己認識は「自己の心のありのままのすがた」を知ることです。わたしたちは誰でも自己中心性を帯びている存在でありながら、そのようなわがままな自分の心を自覚することは、実際きわめて困難なことであるといわねばなりませんそれは、わたしたちが 「先祖以来の肉体的精神的伝統」 (『ご聖訓』第一巻) であるからです。御五法修業によってわたしたちは、そのような祖先以来の伝統によって染めあげられた、きわめて自己中心的な自己の心のすがたに、深く気づかせていただけるのです。

御五法修業を修することによってわたしたちは、自己に関係するさまざまなみたまの「お示し」を通して、以上に述べたような自己認識を深めることができます。そして、無量の恩に包まれ生かされている自己であることを深く自覚し、安心を得るとともに、少しでも世のため人のためにお使いいただこうという感謝報恩の生活へと進ませていただけるようになります。

読者の皆様に素敵なことがいっぱいありますように祈
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