我まさしく生きるの道は、一切の因縁を切ると同時に生かすにあります。 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

人は無量の恩の世界で生かされています。一日を真剣に生き努力に生き、感謝報恩に生きる。

こんにちは。
今日は二十四節季の処暑です。
岡山は9日間連続の猛暑です。


我まさしく生きるの道は
一切の因縁を切ると同時に生かすにあります。
人間とは因縁を離れて人間はありませぬ。
より美しく生きゆくことは
人間総体の願望でありましょう。
その美しき生活は解脱して
美事新しき因縁を創造するにあります。
かくて自ら生きることは生かすことであります。
物を生かし
心を生かし
社会を生かし
国家を生かし
観るもの
聞くもの
触れるもの
総てを生かしゆく誠こそ
即ち自ら生きる道であります。
そこに解脱の報恩感謝の生活があります

(ご聖訓第七巻四八~四九頁)



解脱金剛尊者は
解脱の教えを説いて人々を真の幸福に導くために
自己認識の重要性を強調されました。
そこで忘れてならないことは
因果応報の道理であります。
先祖代々自分に到るまでの長い時間的なつながりにおける因縁因果を考えなければ
自己を深く認識することはできません。
そして
逃れることのできない因果応報の道理に真正面から向き合って
悪因悪果の連鎖を断ち切り
因の一切を善果へと転じてゆくために
解脱の道があるのです。

ここにおいて
因果応報の道理は悲観の材料でなく
むしろ希望の種となるのです。
そしてここに
心直しの妙味があります。

たとえば今ここに
悪と思われる結果が生まれ
それが新たな原因となってゆくと考えるとき
その原因は今後どのような縁に触れるかによって
結果は異なってきます。

縁によっては
善因が悪果になることもあれば
悪因が善果になることもあるのです。
悪因を善果に変えるものが何かといえば
それは善縁であり
それは心のはたらきによります。
悪因も善縁に触れれば善果となるのです。

万物一切は因縁によって成り立っております。
冒頭のお言葉に「人間とは因縁を離れて人間はありませぬ」とありますように
私たち人間一人ひとりもまた因縁によって存在する
因縁和合の姿であります。
ことに仏教は
因縁によって世界を描き
人生を説く教えであります。

因縁という言葉は
悪いイメージをもって語られることが多いようですが
尊者はここで
因縁を決して悲観的なものとはとらえておられません。
冒頭のお言葉にあるように
「一切の因縁を切ると同時に生かす」ことこそ自己が真に生きる道であり
「新しき因縁を創造する」ところに立派な人生を築く根本があるのです。

では
いかにして因縁を切り
因縁を生かすのか。
そこに自己認識に基づく解脱の教えの価値があります。
「一切の因縁を切ると同時に生かす」とは
悪因縁を切り
善因縁を生かすことと一応は考えることができます。
しかし
心がけによっては善因縁が人生を誤らせることもあり
悪因縁であっても善果に変えて人生に尊い価値を生み出すこともできます。
その一切は自分の心次第ということができます。

どのような縁に触れても
それを自分の都合や感情で善悪の判断をするのでなく
恵まれた一切を感謝の心で受け止めて生かすことができれば
そこに因縁を生かし
新しい因縁を創造する道が開けてゆきます。


今週も皆さまに良いことや素敵なことが一杯ありますように。


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