政治の変化で再確認すべきこと
そろそろ夏物のスーツでは朝夕は肌寒くなってきた。
先週までは毎朝天気予報を見ながらその日の気温をチェックして衣類を選択していたが、さすがに昨日の気温の低下でで夏のスーツをすべてクローゼットかは外して、秋冬もののスーツに吊るし変えた。
自然界は確実に季節が変化してきていることが地上の生物としては一番鈍感な人間にも肌感覚でわかるようになってきたのではないか。
さて、政治の世界において民主党政権に変わってから早や1か月半が過ぎようとしている。
街角で前首相は?と聞いても ・・・・・ と言うほど、麻生内閣の顔ぶれは過去のものとなったのではないだろうか。
民主党の閣僚たちが就任直後から一気に動き出し、日本という国をかき回しているように見える。
その動きで既得権益の中で生きていた人々や既定路線の上で日々暮らしていた人たちには大激震となって屋台骨が崩れるような大騒ぎとなっている。
我々がいま認識しなければならないことは、政権が変わったということである。
つまり戦後の日本の道筋を作って来た自民党はもはや存在しない(物理的には存在するがその政治力はなくなった)ということである。
50年以上にわたり政権政党であった自民党の価値観で動いてきた政策はもはや過去のものとなったということではないか。
民主党はマニフェストを掲げ、いままでとは変わりますよ!と布石を打って選挙を行ったわけである。
自民党の政策には飽きが来ている国民はその変化に飛びついた結果が民主党の衆議院での議席数308という数字になったのである。
だが、国民が変化を志向したのは目先の人参への期待が大きかったことも確かではないか。
人参となった変化の中身としては、子供手当、高校授業料全額負担、高速道路無料化、揮発油税の廃止等々、生活に密着した美味しい料理を目の前に広げられたら誰しもNOとは言えないのではないか。 人の弱みに付け込んだ選挙戦略であったと言える。
だが、そこには落とし穴があった。
マニフェストを実現するための予算は、各種の無駄をなくすことによって、ある程度捻出できるはずだったが、現実はそうそう甘くなかったことがたった1ヵ月で明るみに出てきた。
来年度の国家予算は95兆円の概算要求となり、そこから削減するとしても2-3兆円が関の山であろう。
そして驚くべきことは、この予算を実行するためには、過去最悪の50兆円以上の国債を発行しなかればならないということである。
国債発行と言っても、私には関係ないという人がほとんどだろう。 確かに個人向け国債は不人気で国債など買っているいる人ほとんどいない。
だが、我々が預金をしている銀行そして郵貯銀行は信じられないほどの額の国債を買っているのである。
知らず知らずのうちに間接的に国債を保有しているのである。
国債を保有していると言えば、聞こえは良いが、借金を引き受けている、と言葉を変えればどうだろうか?
民主党のマニフェストに書かれたことを変化と受け止め、それに1票を投じた国民が、目の前に出された豪華な料理は誰かの驕りではなく、後から請求書が来る晩餐であったことに少しずつ気付き始めているのではないだろうか。
小泉元首相は 改革なくして成長なし、と唱えたが、痛みも伴う、と付け加えた。
民主党は、既得権益、既定路線で生きている人には痛みを感じてもらい、その対極にある多くの国民の痛みが和らぐ政策を打ち出したのだろうが、現実問題は国民一人一人の借金を大きくすることに繋がっている。
この国債増発が日本に与える影響は目先さほどないかもしれないが、5年後、10年後を考えるととんでもないことになるやもしれない。
いったい誰がその借財を返すつもりでいるのだろうか?
そして通貨としての円の価値が減価すれば、超円安となり資源も食糧も海外から購入することができなくなってくるかもしれない。
格差とかの問題ではなく、どこに言っても食べるものは売っていない光景が日常化する可能性も否定できない。
確かに日本は世界第2位の経済大国であるかもしれないが、その公的債務の額は対GDP比ではG7各国の中でも抜きんでている。
そんな財政状態を知っているのかどうかわからないが、週末に開催された東アジアサミットの場で、インドネシアに4億ドル(400億円)の円借款を供与することを表明したそうだ。
図体が大きいからと言って、体力があるわけではない。 先進国だからと言って、お金は余っているいるわけではない。
民主党が本当に日本国に変化をもたらそうと考えるであれば、日本人としての身の丈、をじっくりと考え直したうえで、もう一度マニフェストを検証すべきだろう。
もともと野党で政権を獲るまでは予算の現状についても見えなかったことばかりではないか。それが95兆円の予算請求で見えなかったことが見えてきたわけである。
まだ1か月半ではあるが、マニフェストの内容を衣替えするには十分な時間が過ぎたのではないか。
さもなくば待ったなしで変わっていく季節への対応ができずに日本人は冷たい風に吹かれるようになるのではないだろうか。
我々国民も民主党を選んだ責任としてそのような試練が待ち受けていることを認識しなければないない。
だが、試練を与えることになる民主党を決して恨んではいけない。
なぜならこの現実はいずれは日本に襲いかかってくるはずのものだからだ。
いま最悪を目の当たりすることで、まだ体力のある日本には少なからず時間があり、今後の展望が開けてくるはずだ。
民主党には、日本の過去のしがらみとの決別のためにもっともっと世の中をかき回していただきたい。
あぶり出された問題が大きければ大きいほど試練は大きくなり、日本人の意識改革にも繋がるはずである。
最後に、変化すべきは政治ではなく我々日本人の意識であることを再確認したいものである。