こちらは 「バグダッドカフェ」 の3でござります。 1 は↓
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10427467299.html
ブランデンブルク門 das Brandenburger Tor から見たホテル・アドロン・ケンピンスキ
〓どうも、道草 ばかりで、本論がわかりにくうガスが……
〓で、このホテル・アドロンと、『バグダッド・カフェ』 の監督 ペルシー・アドロンは、同じ Adlon なワケです。アッシゃあ、ずっと、
この2つのアドロンは、単なる、偶然の一致
だと思っていやした。同じオオクラだからって、「ホテルオークラ」 と 「ジョニー大倉」 のあいだに関係がある、とは思わねえでガショ?
〓ところがところが、
ドイツでは Adlon は稀姓 (きせい=珍しい姓)
らしい。創業者は “ローレンツ・アドロン” Lorenz Adlon と言い、1849年 (嘉永2年)、ドイツ南西部のマインツ Mainz の生まれ。靴職人の息子で9人兄弟の6番目。どう測ってみても貧乏人の息子。覚えておいてください。
〓先祖は Adelon という姓で、フランス人であった、とされているようです。
〓この Adelon という姓は、おそらく、次のような造語でしょう。
adel- ← adal- [ アダる~ ] 「高貴な」 cf. 現代ドイツ語 edel 「高貴な」、Adel 「貴族」
+
-on 「~の息子」。俗ラテン語の指小辞
↓
Adelon [ アド ' ろん ] 「高貴な者の息子」
〓 Adel-, Adal- というのは、ドイツ人の名前にはしばしば登場する造語要素で、ハイジの本名 「アーデルハイト」
Adelheid [ 'a:d(ə)lhaɪt ] [ ' アーデるハイト ] 「気高き気質、高貴なること」
※英語は edel, Adel にあたる単語を喪失してしまった。
noble で代用するなら、 Noble-hood という名前になる。
にも見られます。
〓もっとも、フランク人の貴族の末裔が靴職人というのもオカシなハナシで、単に、 Adel 「アーデル」 という人物の息子ということかもしれません。
〓この Adel- は、 e がアクセントのない弱化母音なので、脱落しやすく、特に、 l のあとに母音が来ると、 d と l を前後の音節にふりわけることができるので、 e が不要になります。なので、 Adlon となってしまうわけです。
〓先祖はフランス人と言っても、 Adel- はゲルマン語なので、
ラテン語化 (フランス語化) したゲルマン人 (フランク人) の末裔
と言うことになります。長い歴史から客観的に見れば、フランス人でもドイツ人でも大したちがいではありません。
〓ところで、フランス語の接尾辞 -on というのは、現代フランス語で見ると、ひじょうに矛盾に満ちています。つまり、
小さいものを言う 「指小辞」、大きいものを言う 「指大辞」、両方に使われる
んですね。
〓この接尾辞は、俗ラテン語で盛んに使われた -(i)ō に由来します。属格以下では、 -(i)ōnis となり、本来の語幹が -(i)ōn- であることがわかります。古典ラテン語にも、じゃっかん用例が見えています。
(1) -iō で職業をあらわす。
laniō [ ' らニオー ] 「肉屋」 ← lanius [ ' らニウス ] 「肉屋」
pelliō [ ' ペッりオー ] 「革なめし工」 ← pellis [ ' ペッりス ] 「革」
mūliō [ ' ムーりオー ] 「ラバ追い」 ← mūlus [ ' ムーるス ] 「ラバ」
restiō [ ' レスティオー ] 「縄・綱を作る職人」 ← restis [ ' レスティス ] 「縄、綱」
sanniō [ ' サンニオー ] 「道化師」 ← sanna [ ' サンナ ] 「あざ笑い」
〓 -iō(n) は、本来、動詞から抽象名詞をつくる接尾辞です。英語の station, fiction の -ion ですね。これらの職業名は、動詞ではなく名詞から派生しています。
(2) -ō で 「人の特徴に注目した名詞」 をつくる。しばしば、侮蔑的。
buccō [ ' ブッコー ] 「おしゃべりなバカ」 ← bucca [ ' ブッカ ] 「頰、口」
capitō [ ' カピトー ] 「頭が大きい人」 ← caput [ ' カプット ] 「頭」
frontō [ フ ' ロントー ] 「額が広い人」 ← frons [ フ ' ロンス ] 「額」
gerrō [ ' ゲッロー ] 「ぐうたら」 ← gerrae [ ' ゲッライ ] <間投詞> 「くだらない!」
gulō [ ' グろー ] 「大食漢」 ← gula [ ' グら ] 「食道、のど」
merō [ ' メロー ] 「酒飲み」 (ティベリウス帝のアダ名) ← merum [ ' メルム ] 「水で割らない酒」
pūmiliō [ プー ' ミりオー ] 「小人」 ← pūmilus [ ' プーミるス ] 「矮小な」
vulpiō [ ' ウゥるピオー ] 「悪賢い者」 ← vulpēs [ ' ウゥるペース ] 「キツネ」
(3) 「小さいもの」 をあらわす。ただし、ときに 「大きなもの」 も意味する。
falcō [ ' ファるコー ] 「タカ」 ← falx [ ' ファるクス ] 「鎌、城の壁を倒すためのカギ爪」
pontō [ ' ポントー ] 「平底船」 ← pons [ ' ポンス ] 「橋、渡り板」
sabulō [ ' サブろー ] 「砂利」 ← sabulum [ ' サブるム ] 「砂」
saccō [ ' サッコー ] 「金袋」 ← saccus [ ' サックス ] 「大きな袋、財布」
sēniō [ ' セーニオー ] 「サイコロの6の目」 ← sēnī [ ' セーニー ] 「6つずつの、6の」
〓(3) の用法は、とりわけ、稀 (まれ) です。ただし、のちのロマンス諸語 (イタリア語、フランス語、スペイン語など) では盛んに使われる接尾辞なので、
民衆のラテン語 (俗ラテン語) では盛んに使われており、
知識階級の書き残した資料には、あまり見られない
ということかもしれません。
〓フランス語でも、この用法を受け継いでおり、以下のように対応する例があります。
(1) 「職業」 をあらわす。
bûcheron [ ビュシュ ' ロん ] 「きこり」 ← bûche [ ' ビュッシュ ] 「薪」
forgeron [ フォルジュ ' ロん ] 「鍛冶屋」 ← forger [ フォル ' ジェ ] 「金属を鍛える」
vigneron [ ヴィニュ ' ロん ] 「ブドウ農家」 ← vigne [ ' ヴィンニュ ] 「ブドウの木」
(2) 「人の特徴に注目した名詞」
brouillon [ ブルイ ' ヨん ] 「いいかげんな人、おせっかいな人」 ← brouiller [ ブルイ ' イェ ] 「ゴチャゴチャにする」
fanfaron [ ファんファ ' ロん ] 「ほら吹き」 ← fanfare [ ファん ' ファール ] 「ブラスバンド、ファンファーレ」
souillon [ スイ ' ヨん ] 「汚らしい人」 ← souiller [ スイ ' イェ ] 「汚す」
(3) 「小さいもの」 (指小語)
aiglon [ エグ ' ろん ] 「ワシの雛」 ← aigle [ ' エグる ] 「ワシ」
chaton [ シャ ' トん ] 「子猫」 ← chat [ ' シャ ] 「猫」
fleuron [ フら ' ロん ] 「花形装飾、小花」 ← fleur [ フ ' らール ] 「花」
raton [ ラ ' トん ] 「子ネズミ」 ← rat [ ' ラ ] 「ネズミ」
Vuitton [ ヴュィ ' トん ] 「ヴィトン」 (姓=ウィードの息子) ← *Wido [ ' ウィード ] ゲルマン系の男子名。
〓問題は (3) の用法でして、中世のロマンス諸語で -on によって 「小さいもの」 を言い表したのはフランス語と南仏語だけでした。周囲のロマンス諸語 (イタリア語、スペイン語など) では、「大きいもの」 を言い表す (指大語) のに使われていたんですね。
〓そのため、 -on で小さいものを指す例は 「古フランス語」 で成立した語に限られます。
〓イタリアがルネッサンス期に入ると、フランスもその文化的影響下に入ります。すると、古フランス語とは正反対に “大きなもの” をあらわす -one 「~オーネ」 という語尾を持った単語が流入します。
million [ ミり ' ヨん ] 「100万」 ← milione [ ミり ' オーネ ] 「100万」。イタリア語
※原義は 「大きな1000」。1000の1000倍をこう言ったのだろう。
salon [ サ ' ろん ] 「客間、社交界」 ← salone [ サ ' ろーネ ] 「貴族の館の大広間」。イタリア語
ballon [ バ ' ろん ] 「球技のボール、風船、気球」 ← ballon [ バ ' ろン ] 「大きなボール」。
〓最後の例は、北イタリア、ミラノ付近の 「西ロンバルド方言」 dialetto lombardo occidentale から入ったものです。
〓トスカーナを中心とするイタリア標準語では、
palla [ ' パッら ] 「ボール、弾丸」 → pallone [ パッ ' ろーネ ] 「(大きな)ボール、気球」
と語頭が p- になります。
〓以上のような理由から、現在のフランス語では、 -on という接尾辞は 「大きなもの」 を指します。英語には、 -on (million) で入っていますが、16世紀以降にフランス語から入った単語では -oon となります。
〓16世紀以降の近代英語では、フランス語は、すでに支配者の言語ではなく 「外国語」 になっており、借用語は、現代フランス語と共通の発音やアクセントが保持されます。
machine [ マ ' シーン ]、 police [ ポ ' りース ]
〓 -oon は、フランス語の -on [ -ɔ̃ ] [ ~オん ] を写したものでしょう。
pantaloon [ ˌpæntə 'lu:n ] [ ˌ パンタ ' るーン ] ← pantalon [ パんタ ' ろん ] 「ズボン」。フランス語
saloon [ sə 'lu:n ] [ サ ' るーン ] ← salon [ サ ' ろん ] 「客間、社交界」
〓説明が長うなりました。
〓要するに、フランス語の接尾辞 -on は、古フランス語時代までに成立した語では 「小さいもの」 をあらわしていましたが、イタリア語の影響が及び始めた中期フランス語からは、「大きいもの」 をあらわすように “意味が逆転” したんですね。
〓で、ハナシはやっと、 Adlon に戻ります。つまり、この姓は、古フランス語の時代には、すでに成立していたんでしょう。
「フランク人のアーデルの息子」、「フランク人の貴族の息子」
というような意味になります。いわゆる 「父称」 です。
〓マインツというのは、初期のフランク人の居住域の中心付近にあたります。 France という国名に名を残す、フランク王国の支配民族だったゲルマン人の故地です。
〓で、この Adlon 「アドロン」 という姓が稀姓であることからわかるように、
ペルシー・アドロンは、ホテル・アドロンの創業者、ローレンツ・アドロンの末裔 (まつえい)
だったのです。
〓ローレンツ・アドロンの曾孫 (ひまご) がペルシー・アドロンになります。それどころか、彼は、ローレンツのあとを継いでホテルの経営にあたったルーイ・アドロン Louis Adlon の孫なんですね。
〓 1996年、ペルシー・アドロンは、このホテルの歴史をあつかった
»In der glanzvollen Welt des Hotel Adlon«
『ホテル・アドロンのきらめく世界で』
というテレビ用の映画を撮っています。
〓ここまで、わかってチョイとビックリですよ。お騒がせネエチャンのパリス・ヒルトンがヒルトン・ホテルの創業者の曾孫 (ひまご) だって聞いたときくらい、「ん?」 です。
「タカハシさん、タカハシさん、って、あのタカハシさんでしたか」
みたいな、世界が 1/4 だけ回転するような目眩 (めまい) を覚えます。
〓創業者のローレンツ・アドロンには、5人の子どもがいました。1874年 (明治7年) 生まれの長男、ルートヴィヒ・アントン・アドロン Ludwig Anton Adlon が1921年 (大正10年) に経営を引き継いでいます。父親ローレンツがベルリンで車に轢 (ひ) かれて亡くなったのでした。
〓このルートヴィヒは、のちに、名前を対応するフランス語名 Louis [ 'lu:iˑ ] [ ' るーイ ] に変えています。この名前はドイツでも使われていたし、特に、重大な意味を持つわけではありません。フランス語風の名前のほうが、「世界の4大ホテル」 の1つに数えられるホテルの経営者としてふさわしいと考えたのかもしれません。
〓このルートヴィヒ改め 「ルーイ・アドロン」 の娘が、ズザンネ・アドロン Susanne Adlon でペルシー・アドロンの母親です。母親の兄弟に、
Louis Adlon, Jr. 「ルーイス・アドロン・ジュニア」
がいます。彼は、ホテル・アドロンの創業と同じ 1907年 (明治40年) の生まれで、20代で米国に渡り、看板役者にはなれなかったけれども、1930年代から1945年 (昭和20年) までの映画 ── フィルモグラフィに見えるもので30本に出ています。
〓彼は、ハリウッドで、
Duke Adlon “アドロン公爵”
と名乗っていたようです。ドイツのホテル王の息子にふさわしい称号だったかもしれません。
〓彼は、1947年 (昭和22年)、ロサンゼルスにおいて、わずか39歳で他界しました。つまり、ペルシー・アドロンには、ハリウッド俳優の伯父さんがいたわけです。
〓 Wikipedia も含めて、インターネット上のほとんどの情報が、
ハリウッド俳優の Louis Adlon はホテル・アドロンの創業者の息子
としています。“孫” の誤りですね。
〓ベルリンがソ連軍に包囲された1945年 (昭和20年) の春は、アドロン一族の落日の日々でもありました。
〓 1945年3月、ホテル・アドロンのオーナーにして経営者のルーイ・アドロン(・シニア) は、ベルリン近郊のフェルテン Velten という町の側溝で亡くなったと言います。
〓同年5月、ドイツは無条件降伏しました。
〓ハリウッド役者として米国にとどまっていたルーイス・アドロン・ジュニアは、新聞王ハースト William Randolph Hearst (オーソン・ウェルズの 『市民ケーン』 のモデルとされる) の伴侶である “マリオン・デイヴィス” Marion Davies の姉、ローズ Rose と結婚していました。そのため、彼は、義理の父のように逆らうことのできない権威を持つハーストの命により、敗戦後のベルリンに特派員として送られました。
〓ホテル・アドロンは、第二次大戦中も大きな損害を蒙 (こうむ) らずに残っていました。しかし、戦後、進駐した粗暴なソ連軍の兵士たちがホテルをムダに破壊し、火災を出して本館は破壊されてしまいました。ルーイス・アドロン・ジュニアは、そのようすを特派員として、ただ指をくわえて見ていることしかできませんでした。
〓のちに映画監督となる甥のペルシー・アドロンは、当時10歳。彼もその蛮行を目撃していたんでしょうか。
〓ルーイス・アドロン・ジュニアは、失望のうちにハリウッドに戻ってまもなく、心臓発作で亡くなりました。
〓ホテル・アドロンにとって不幸だったのは、戦後、ベルリンのあのすばらしい 「ウンター・デン・リンデン」 がソ連軍の統治下に入ったことでした。やがて、東ドイツ、東ベルリン地区は、西に対して経済的に遅れをとり、移住者が続出するようになります。それを防ぐために、
ベルリンの壁
が建設されたのでした。
〓壁の向こうの 「経済と文化の砂漠」 に取り残された “高級ホテル” アドロンは、ソ連兵の破壊をまぬがれた後部の棟のみを使用して、東ドイツで営業を始めました。しかし、1970年代には閉鎖され、1984年には取り壊されました。
〓マイケル・ジャクソンとともに映っていたホテル・アドロンは、東ドイツが消滅したのちに再建されたものです。
〓1989年11月9日、「ベルリンの壁」 が解放され、翌1990年 (平成2年)、東ドイツ消滅。
〓1997年 (平成9年) 8月23日、ホテル・アドロンのもとの敷地に、オリジナルの建築を模した新しいホテル・アドロンが再建され、営業が再開されました。現在は、ドイツのホテル運営会社 “ケンピンスキ・ホテル” が経営にあたっているので、その名称も、
Hotel Adlon Kempinski 「ホテル・アドロン・ケンピンスキ」
と言います。
〓いっぽう、敗戦とともに、祖父、伯父、一族の輝かしいホテルを失った10歳のペルシー少年は、もともと、母親とともに西ドイツのバイエルンに住んでいました。1935年 (昭和10年)、ミュンヘン生まれですが、育ったのは、
Ammerland am Starnberger See 「アマーラント・アム・シュタルンベルガーゼー」
という小さな町です。
〓ミュンヘン南西の郊外、シュタルンベルク湖 der Starnberger See の湖畔にあります。つまり、『バグダッド・カフェ』 の中に登場する、ちょっとヘンテコな “バイエルン的なるもの” というのは、「揶揄」 (やゆ) ではなく 「自虐的表現」 だったわけです。
〓大学もミュンヘンの “ルートヴィヒ・マクシミリアン大学” »Ludwig-Maximilians-Universität München« に通っており、彼が、ベルリンのホテル王の末裔でありながら、生粋のバイエルン人として育ったことがわかります。
【 ペルシー・アドロンの出身地 アマーラント・アム・シュタルンベルガーゼー 】
えろう、すんまへん。 やはり、5回くらいになってしまいそうであります。
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