「白露山」 と 「露鵬」 の故郷は “オセチア” ―― 2。 | げたにれの “日日是言語学”

げたにれの “日日是言語学”

やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

     パンダ こちらは後編です。前編のアタマは↓でごぜえます。

        http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10137205514.html





  【 「露鵬」 と 「白露山」 の兄弟はオセート人 】


〓ええ、ハナシは、いったん冒頭の話題に戻ります。


〓当時は、例の全日空のCMに 「露鵬」 (ろほう) も出ているんでは? という説がありました。
〓アッシは、全日空のCMを録画して、シゲシゲと見てみました。焼肉屋の卓を関取が4人で囲んでいます。4人の位置関係はこうです。



          把瑠都

    高見盛    白露山

         謎の後ろ姿


        ↑ カメラ



〓高見盛 (たかみさかり)、把瑠都 (ばると)、白露山 (はくろざん) は、それぞれクローズアップの切り返しでハッキリと映ります。



   白露山: 「ヨーロッパのこととか、知ってるほうがいいっすよ」
   把瑠都: 「ハンガリーでは、塩が足りないことをシオタランというの」
   高見盛: 「ほんと?」
   把瑠都: 「そうっすね」
   高見盛: 「ウソ!」
   白露山: 「そうっすね」
   高見盛: 悩んだ顔。



〓こういうヤリトリが行われるんですが、手前の人物は、「斜め後ろからのショット」 しかなく、クローズアップもセリフもないのです。しかし、見ようによっては、露鵬 (ろほう) に見えないことはない。白露山のアンチャンの露鵬です。
〓当時、弟の白露山関は平幕 (ひらまく) で、それに対して露鵬関は “三月場所” から小結に昇進しており、出演していてもおかしくなかったんですが……


〓日本相撲協会による 「白露山」 (はくろざん) 関、「露鵬」 (ろほう) 関の経歴を、もう一度。ただし、今回は、「にれのや」 が手直しをしました。



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   【 白露山 佑太 】 (はくろざん ゆうた)

   ロシアでの呼び名 = Хакурозан Khakurozan

   ロシアでの謳い文句 = Белая русская гора
     bjelaja russkij gora
     [ ' ビェーらヤ ' ルースカヤ ガ ' ラー ]
     「ロシアの白き山」

   ロシア語による本名 = Батраз Феликсович Борадзов
     Batraz Fjeliksovich Boradzov
     [ バト ' ラース ' フィェーりクソヴィち バ ' ラッヅォフ ]
     「バトラース・フェーリクソヴィチ・ボラーゾフ」

   出身地 = ロシア、北オセーチヤ共和国、カドガロン村
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   【 露鵬 幸生 】 (ろほう ゆきお)

   ロシアでの呼び名 = Рохо Rokho

   ロシアでの謳い文句 = Русский феникс
     russkij fjeniks
     [ ' ルースキイ ' フィェーニクス ]
     「ロシアの不死鳥」

   ロシア語による本名 = Сослан Феликсович Борадзов
     Soslan Fjeliksovich Boradzov
     [ ソス ' らン ' フィェーりクソヴィち バ ' ラッヅォフ ]
     「ソスラン・フェーリクソヴィチ・ボラーゾフ」

   出身地 = ロシア、北オセーチヤ共和国、カドガロン村
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〓まず、出身地は、相撲協会のプロフィールの 「ウラジカフカース」 ではなく、北西に少し離れた 「カドガロン村」 Кадгарон Kadgaron [ カドガ ' ロン ] です。オセチア語では、


   Хъæдгæрон [ qɐdgɐ ' ron ] [ かドガ ' ロン ]


です。
〓この村の風景を知りたくて、ネットで画像検索したら、なんと、村の教会とホテルの写真しかありませんでした。



   カドガロン地図

   カドガロンの位置



   カドガロンホテル  カドガロン教会

   カドガロンのホテル                 カドガロンの教会



〓教会があることでわかるように、オセート人の70%は、「ロシア正教徒」 で、15%が 「イスラーム教徒」 だそうです。カフカース (コーカサス) は民族の坩堝 (るつぼ) と言われ、さまざまな言語・宗教・民族の人々が暮らしています。


〓注意深いヒトは、すでに気づいていると思いますが、北京オリンピックが始まると同時に、グルジア軍が侵攻したのが、


   「南オセチア」


です。オセート語では、


   Хуссар Ирыстон [ χussar irɨston ] [ ふッサル イルストン ]


と言います。つまり、


   北オセチア Цӕгат Ирыстон [ tsɐgat irɨston ] [ ツァガット イルストン ]
   南オセチア Хуссар Ирыстон [ χussar irɨston ] [ フッサル イルストン ]


ですね。


〓さて、さきほど、オセート人は “イラン系” の民族だと申し上げました。そして、オセート語も 「印欧語族のインド・イラン語派」 に属します。サンスクリット、ヒンディー語、ペルシャ語などと同系のコトバです。


〓と、ここで、ロシア語の 「オセチヤ」 に対応するオセート語名 Iryston 「イルストン」 の構成がズバッとわかっちゃうんです。



   ārya- 「尊敬に値する・高潔な・誠実な人物」 サンスクリット
   arya- 古期ペルシャ語
    ↓
   Īr- + -ān (国名をつくる接尾辞) → Īrān 「イラン」 (アーリアの国)
    +
   -istān (場所を示す語をつくる接尾辞)
    ↓
   *Īristān
    ↓
   Iryston 「イルストン」 = 「オセチア」 (アーリアの土地)



-ān -istān も、このあいだ出てきたばかりですね。ārya- 「アーリア」 というのは、いわゆる、「アーリア人」 の “アーリア” です。ただし、言語学的には、


   アーリア人 = インド・イラン語派の言語を話す民族


の意味であり、ナチス・ドイツが援用したような 「アーリアン学説」 で言う “アーリア人” とは異なります。


〓すでにご存じとは思いますが、北オセチアと南オセチアは、同じ民族が住んでいながら、ロシアとグルジアの国境で分断されています。
〓南オセチヤの戦闘に関して、日本では、まるで、ロシアがワルモノのように報道されていますが、もともとは、


   グルジアによる南オセチアへの弾圧


が原因なんですね。オセート人としては、


   グルジア人に支配されるくらいなら、ロシアに編入されたほうがマシだ


ということです。


   1990年12月 グルジア議会が 「南オセチア自治州の廃止」 を決議


〓ソ連邦が消滅する1年前に、グルジア人は、表向きにもせよ “共産主義時代にさえ保証されていた” オセート人の自治権を剥奪するという暴挙に出たんですね。


   1991年1月 グルジアは警官隊と、“独裁者ガムサフルディア大統領の私兵” を送り込み、

          弾圧を開始


   1992年7月 ロシア、グルジア、北オセチア、南オセチア4者の協定により、

          平和維持軍が導入される


   2008年8月8日 グルジア軍が南オセチアに侵攻


〓いずれにせよ、この紛争は 「米国+西欧 vs ロシア」 という対立の代理戦争であり、最大の被害者は、この土地に住む一般の住民である、と言えます。


〓米国はグルジアに肩入れしていますが、かつて、イランを封じ込めるためにイラクのサッダーム・フセインを支援したこと、アフガニスタンのソ連を牽制するためにムジャヒディンとパキスタンを支援したこと、に似ていて、けっきょく、その土地の住民に不幸しかもたらさないのではないかいな……





  【 コーカサスの火薬庫 】


〓2004年9月に、北オセチヤ共和国で起こった、「チェチェン独立派によるベスランの学校占拠事件」 は、日本人でも覚えている人が多いと思います。あの


   ベスラン Беслан Bjeslan [ ビェス ' らン ]


は、露鵬・白露山兄弟の生まれた村から、さほど遠くありません。


〓オセチヤの東隣にある、イングーシとチェチェンに住む、イングーシ人とチェチェン人はイスラーム教徒です。チェチェン人は、帝政ロシア時代からロシア支配に徹底的に抗戦してきた 「ロシア人がもっとも恐れる民族」。


〓第二次大戦中の1943年 (昭和18年)、戦略上また資源の供給源としても重要なチェチェンを安定させるために、スターリンは、イングーシ人とチェチェン人を、一夜にして着の身着のままで、家畜のごとく列車へと詰め込み、中央アジアへと強制的に移住させてしまいました。このようすは


   『金色の雲は宿った』 «Ночевала тучка золотая» (1989)


という映画に描かれています。あるいは、この映画の原作の翻訳が出ていて、


   『コーカサスの金色の雲』 (群像社)
      アナトーリイ・プリスターフキン 著


で読むこともできます。
〓その移送は過酷なもので、多くの死者を出しました。



   イングーシ

   実線が現在の国境線。白い領域がもとのイングーシ自治州。

   ウラジカフカースを守るように、国境がイングーシの側に “耳たぶ” の形に突出している。



〓 1946年 (昭和21年) ── (!)第二次大戦はすでに終わっています ── 、チェチェン=イングーシ自治共和国は、地図上から消滅し、北オセーチヤ自治共和国に併合されます。
〓スターリン歿後の1957年 (昭和32年)、チェチェン人、イングーシ人は名誉を回復され、チェチェン=イングーシ自治共和国が再建されますが、国境は1944年以前の状態には戻らず、中央部で北オセーチヤが東に突出した形で画定してしまいました


   その突出部の北端にあるのが 「ベスラン」

なのです。



   ベスラン2
    ベスラン付近の位置関係。カドガロン村は白露山と露鵬の出身地。

    アラギールは若ノ鵬の出身地。右上は、同縮尺の東京圏の地図。



〓1992年、ロシア連邦への残留を希望するイングーシ共和国と、独立を目指すチェチェン共和国とが分裂しました。

〓分離後の 1992年10月、“耳たぶ” の地域において、オセート人とイングーシ人との衝突が起こり、これに介入したロシア軍は、機に乗じて、この地域での “民族浄化” をおこないました。そのため、この地域のイングーシ人は難民となって追い出され、まったく、地図どおりに、この地域からはイングーシ人がいなくなってしまいました。



〓このような経緯で、狭い領域の中に、「対ロシア」 で姿勢の異なる3つの民族が犇 (ひし) めくこととなりました。


   北オセチア = 伝統的に親ロシア。ロシア正教徒。
   イングーシ = 不満をかかえながらも現実的にロシア残留派。イスラーム教徒。
   チェチェン = 独立派。イスラーム教徒。

〓オセート人は、この他にも、先に書いたとおり、南に隣接するグルジア国内に、同胞をかかえています。そして、グルジアに何度もヨコヤリを入れられながらも、「南オセチア共和国」 を自称し、ロシア連邦への編入を目標に掲げています。

〓オセチアは、ロシアにとって、まさに 「ウラジカフカース」 (コーカサス統制) のカナメであり、オセチア側も暗黙のうちにそれを利用しているようすがうかがえます。





  【 『ナルト』 ── 民族の叙事詩 】


〓オセート人には、


   『ナルト』
      Нарт Nart <ロシア語・オセート語>、あるいは、
      Нарты  кадджытæ  Nartɨ kaddʒɨtɐ [ ナルトゥ カッヂュタ ]
             <オセート語> 「ナルトの物語」


と呼ばれる、英雄伝説があります。この伝説は、言語族を異にする 「アプハジア人」、「チェルケス人」 などとも共通する 「叙事詩」 で、コーカサスが起源と考えられています。


〓『ナルト』 は、日本の 「伝説ファン・幻獣ファン」 のあいだでは有名らしい。オセート人は古代のスキュタイ人の末裔であり、『ナルト叙事詩』 が 「アーサー王伝説」 の母体となった、という説があるそうです。これについては、アッシはその真偽を知りません。



〓“ナルト” というのは、伝説の中に現れる 「英雄」 のことであり、伝説の中には、さまざまな “ナルト” が現れます。そういう “ナルト” の中に、


   Сослан Soslan [ ソス ' ラン ] 「ソスラン」 ※ロシア語・オセート語とも同じ
   Батраз Batraz [ バト ' ラース ] 「バトラズ」 ※ロシア語
      Батырадз Batɨradz [ バトゥラッヅ ] 「バトゥラヅ」 ※オセート語


がいるんです。


〓つまり、露鵬・白露山兄弟は、2人揃って英雄の名前をもらっているんですね。お父さんの名前は Феликс Fjeliks 「フェーリクス」 です。これは、ロシア人の名前ではないですが、革命後のロシアを通じて西欧から入ってきた名前です。ラテン語の fēlīx [ ' フェーりークス ] 「豊穣な、幸福な、大成功した」 という形容詞をそのまま名前にしたもの。カトリック圏では使われますが、東方正教会圏では、本来、使わない名前です。



〓どうも、ソ連邦が傾き始めたころから、連邦内の諸民族のあいだでは、


   ソヴィエト無きあとのアイデンティティを民族性に求める

という傾向が見えるようです。グルジアの民族主義の高まりもそのひとつだし、ナゴルノ=カラバフ自治州をめぐって、アルメニアとアゼルバイジャンのあいだで戦闘が起こったのもそうした現象の一環でしょう。


〓こうした民族回帰の傾向の1つとして、名前が、「ロシア的、西欧的」 なものから 「民族固有」 のものへ変わってゆくという現象が見られます。ボラーゾフ兄弟の名前と、父親の名前との対比に、まさにそれが現れています。



〓実は、すでに大麻使用で逮捕され、角界も追放された 「若ノ鵬」 (わかのほう=相撲協会のHPには、すでに、プロフィールがない) も北オセチヤ出身のオセート人です。


   Сослан Александрович Гаглоев

     Soslan Aljeksandrovich Gaglojev
      [ サス ' らン アりぇク ' サンドロヴィチ ガグ ' ろーイェフ ]
      ソスラン・アレクサンドロヴィチ・ガグローエフ


〓「ソスラン」。露鵬 (ろほう) と名前が同じなんですよ。“ナルト” (英雄) の名前です。しかし、父称を見ると、父親の名前が 「アレクサンドル」 であることがわかります。ロシア人の典型的な名前です。
〓父親の世代は、非民族的で、西欧的な名前・ロシア的な名前を名乗り、息子の世代は “ナルト” の名を名乗る。



〓角界には、もう1人オセート人がいます。若ノ鵬の従兄弟 (いとこ) の 「阿覧」 (あらん) 関です。


   Алан Габараев Alan Gabarajev
     [ ア ' らン ガバ ' ラーイェフ ] アラン・ガバラーエフ
     ※父称は不明


〓阿覧関の四股名 (しこな) は、本名を漢字に置き換えたんですね。この 「アラン」 という名前は、おそらく、英語の Alan ではないでしょう。オセート人の祖先と言われる 「アラン人」 Alan から取ったものでしょう。




〓今回の大麻事件では、報道陣は北の湖部屋の前に大挙したりして大騒ぎをしました。しかし、


   グルジアが、南オセチアに侵攻したとき、
   彼らの故郷が北オセチアであることに思いを致したメディアがあったのか


知りたいものです。





  【 グルジアの抱えるもうひとつの紛争地域 】

〓先月の8月22日、黒海 (こっかい) 関と追手風 (おいてかぜ) 親方が、国技館に呼び出されて、当時の北の湖理事長に厳重注意されました。


   夏巡業を休場していた黒海が、ロシア大使館周辺で行われたデモに参加した

からでした。



   黒海太


〓「黒海」 はグルジア出身の関取です。相撲協会のプロフィールでは、グルジアのトビリシ出身となっていますが、実際に生まれたのは、


   グルジア領内のアプハジア自治共和国の首都 「スフミ」


でした。


〓ソ連邦の最後の国勢調査では、アプハジアの人口構成は、


   グルジア人 …… 48%
   アプハズ人 …… 17%
   その他、ロシア人、アルメニア人、ギリシャ人


だったそうです。スフミは、もともと、古代ギリシャ人の植民都市だったので、ギリシャ人がいるわけです。アルメニア人がいるのは、西アルメニアからの移住者かもしれません。


〓アプハジアでは、ロシア革命直後から、グルジア人によるアプハジア人への弾圧の歴史がありました。ソ連邦崩壊を目前にして、グルジア国内で高まるナショナリズムを警戒し、アプハズ人のあいだでも分離独立が主張されるようになります。
〓南オセチアとほとんど似たシナリオです。



〓アプハズ人は、ビザンチン帝国との関係、そののちにオスマン帝国に支配された歴史から、60%が東方正教会の系統のクリスチャン、16%がスンナ派のムスリムという構成になっています。



〓 1992年の7月にアプハジアが独立を宣言すると、これを制圧するためにグルジアが軍隊を送り、スフミで戦闘が始まりました。ロシアが裏でアプハジアを軍事支援し、そこに、アプハズ人の一部がムスリムであることから、チェチェンの義勇軍が支援に入り、けっきょく、スフミはゴーストタウンと化してしまいました。



〓スフミの 1989 (平成元年) の人口が 12万人で、2003年が 4万3千人。



   破壊される前のスフミ
   破壊される前のスフミ。


〓スフミは黒海に面し、亜熱帯気候で、鉱泉もあり、ソ連邦時代は屈指の保養地でした。歴代のソ連邦指導者も、休暇はスフミで過ごしたものでした。その都市が戦場となってしまったわけです。


〓黒海 (こっかい) 関もスフミの住民でした。1993年 (平成5年) 9月に、スフミは独立派が制圧し、スフミに陣取っていた当時のグルジアの最高指導者 エドゥアルド・シェヴァルドナゼ ── ロシア語でもグルジア語でも “シェヴァルドナゼ” なのだが、なぜか、日本のメディアは、“シェワルナゼ” を定着させてしまった ── は敵であるロシア海軍に救出されたのでした。


〓翌 1994年5月には、国連平和維持軍が展開し、アプハジアは実質的な独立状態にあります。


〓独立派の優勢が決定した 1993年、スフミの “黒海” 関の家は、戦闘で破壊され、彼の一家はトビリシへと避難したのでした。
〓黒海関は、当時、12歳だったそうです。



〓黒海関の本名は、


   ლევან ცაგურია Levan Tsʼaguria [ れヴァン つぁグゥリア ] レヴァン・ツァグリア


です。アプハジアに住んでいたグルジア人は、もともと、アプハジアの南東に隣接する 「メグレリア」 (サメグレロ) Megrelia (Samegrelo) の民族で、言語はメグレル語。トビリシのグルジア人とは近い民族ですが、まったく同じではありません。
〓メグレル人は、姓の語尾が -ia もしくは -ua で終わるので、すぐにわかります。黒海関も “ツァグリア” ですね。




〓コーカサスというのは、民族グループのモザイクのようなところです。いろいろな民族がいて、宗教や言語、また、現在までの歴史によって、それぞれのあいだに、さまざまなレベルの親近性・敵対性が存在しています。

〓そして、そうしたすべての民族グループの相互関係の上に、ロシアとの関係があります。


〓そうしたコーカサスの複雑な事情の一端が、意外なことに、日本の大相撲に見えているわけです。