パティシエ 「かぶとがに」 と 荒木 「きょうかたびら」。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓昨日の 「笑っていいとも」 のゲストは、川島なお美さんでしたね。お土産は、

  1日 10組さま限定で、
  3ヶ月先まで予約が
  いっぱいのお菓子


だそうで……
〓まあ、マダム川島の最近の迷走ぶりに、ちょっとヒイていたアッシとしましては、よかったんではないか、マダムも、ファンタジーの世界から地上に戻ってくるんではないか、なんぞと、どちらかというと、祝福しておりますですよ、ハイ。

〓あらためてですね、 「鎧塚俊彦」 というヒトを知ろうと思いまして、検索したら、ウィキペディアにないんですね。「トシ・ヨロイヅカ」 でもないです。(2007年11月28日現在/2008年8月27日に再確認)


〓ふ~ん、そんなもんなんですね。パティシエですよね。少し前から流行りのコトバです。

   pâtissier [ pɑti ˈ sje ] [ パティスィ ' エ ]

ですね。 “ ^ ” は、なぜ付いているんでしょう。たびたび申し上げますけど、

   そのあとにあった子音を省略した

という印です。多くの場合は -s- です。つまり、

   pastissier 「パスティシエ」

ということです。さあ、 -s- を1つ入れてみるだけで、語源が見え見えですよ。


   pāsta [ ' パースタ ] 「糊、練り粉」。古典ラテン語
    ↓
   paste [ ' パスト ] 「練り粉、小麦粉の生地」。古フランス語
   pasté [ パス ' テ ] 「パテ、ペースト状にしたもの」。古フランス語
    ↓
   pâte [ ' パート ] 「練り粉、小麦粉の生地」。現代フランス語
   pâté [ パ ' テ ] 「パテ」。現代フランス語



   *pastīcius [ パス ' ティーキウス ] 「パテ」。俗ラテン語
    ↓
   pastitz [ パス ' ティッツ ] 「パテ」。古フランス語
    ↓
   pasticier [ パスティツィ ' エル ] 「パティシエ」。古フランス語。1278年初出
    ↓
   pâtissier [ パティスィ ' エ ] 「パティシエ」。現代フランス語



〓もちろん、英語の paste 「ペイスト」、イタリア語の pasta 「パースタ」 も同源です。


〓ラテン語の -icius 「イ(ー)キウス」 という接尾辞は、「~された」 という形容詞をつくったり、あるいは、「~の息子」 という父称 (ふしょう) をつくったりします。現代英語では、 -itious として採用されている接尾辞です。
〓「練り粉のようにする」 という動詞は、古典ラテン語には見当たりませんし、俗ラテン語に存在したかどうかは確かめようがありませんが、

   *pastō (*pastāre) [ ' パストー (パス ' ターレ)] 「練り粉状にする」。俗ラテン語

という動詞が想定できます。それゆえ、

   pasté 「パテ」
   pasticius → pastitz 「パテ」

という違う経路でできた同義語が存在するのです。


〓フランス料理でいう、いわゆる 「パテ」 には、paté が充当され、「小麦粉製の菓子・ケーキ類」 には、pastitz が充当されました。 それゆえ、pastitz 「パスティッツ」 の派生語として、pâtiss- という語幹が、現代フランス語で使われるのです。


   pâtisser [ パティ ' セ ] 菓子をつくる
   pâtisserie [ パティス ' リ ] 菓子・ケーキ類、菓子・ケーキ店
   pâtissier [ パティスィ ' エ ] 菓子・ケーキ職人


〓おっとっと、この道の草はうまいうまい。    クローバークローバークローバー ヒツジ



〓川島なお美さんが言うには、鎧塚さんは、珍しい名前なので、

   カブトガニ

など間違って呼ばれることが多いそうです。なるほど、「カブトガニ」 はわからないでもない。漢字では 「甲蟹」、「兜蟹」 などと書きます。

〓鎧塚俊彦さんは、京都府宇治市の出身だそうですが、「鎧塚」 という苗字の人は、先祖が、

   富山県 射水市 市井 (いみずし いちい)
    ※ 2005年10月までは、射水郡 大門町

の出身の人です。 今でも射水市には 「鎧塚」 という苗字の人が多いようです。


〓射水市の 「市井」 (いちい) に 「鎧塚」 という字 (あざ) があり、“大塚古墳” という古墳があります。“鎧塚古墳” でないところが興味深いですね。残念ながら、オンラインの地図などでは位置が確認できませんでした。富山県の詳細な地図には載っているかもしれません。
〓つまり、「鎧塚」 家は、いずれの時代にか、越中から京都の宇治まで出てきた、ということになりますね。



   射水市市井鎧塚

〓もっとも、「鎧塚」 と呼ばれる “塚” (つか)、つまり、土がこんもりと積まれた小規模な古墳は、日本全国にあります。



   宮崎県  国富町鎧塚古墳

   福岡県  鞍手町鎧塚古墳群

   愛媛県  松山市鎧塚古墳

   三重県  四日市市中野町鎧塚古墳

   岐阜県  岐阜市眉山 (びざん) 鎧塚古墳

   長野県  須坂市八丁鎧塚古墳飯田市鎧塚古墳長野市鎧塚古墳

   富山県  射水市市井 字鎧塚“大塚古墳”

   神奈川県  伊勢原市鎧塚古墳群

   東京都  青梅市二俣尾鎧塚 (鎧橋もあり)

   埼玉県  熊谷市鎧塚古墳行田市小針鎧塚古墳

   福島県  福島市仁井田 字鎧塚鎧塚古墳浪江町酒井 字鎧塚鎧塚古墳





  【 「荒川強啓」 と 「荒木経惟」 】



〓今や、TBSラジオのパーソナリティの代表格である

   荒川強啓 (あらかわ きょうけい)

さんは、1982年に山形放送を退社してフリーになったそうです。初めてTBSラジオに登場したのはそのころだと思うんですが、

   アッシは、テッキリ、“アラーキー” こと、
   荒木経惟さんがラジオに
登場したんだとカン違い


してしまいました。いまだに、この件では、ラジオ・フリークの友人に、酒宴のツマミにされるアリサマでございます。


〓当時は、まだ、美術大学の学生だったと思うんですが、

   “アラーキー” という俗称と、
   “荒木経惟” という字面


しか憶えていなかったのですね。つまり、“荒木経惟” という字面は、美術雑誌などでも見るが、ナンと読むのか知らなかったのです。

〓当時、アッシは、ビデオによる、撮影・取材・編集などの授業をとっておりました。今のビデオじゃござんせん。ソニーがいちばん最初に出した “カムコーダー” というシロモノで、バズーカ並みの大きさと重量がある、といったテイのものでございました。
〓当時は、1980年にソニーが発売した、そのカムコーダーを使って、ビデオ作品を撮影し、発表するのが流行っておりました。

   萩原朔美 (はぎわら さくみ)
   かわなか のぶひろ

なんてヒトが旗手をつとめていました。

〓「かわなか のぶひろ」 というヒトは、みなさん、ごぞんじないかもしれませんが、1977年に、四谷にシネマテークである 「イメージフォーラム」 を開設し、1980年には、今では伝説だろうか 『月刊イメージフォーラム』 という映像雑誌を創刊したヒトなのです。現在、「イメージフォーラム」 は渋谷のハズレに移転していますね。

〓それでですね、アッシらのゼミの担当が、この 「かわなか のぶひろ」 さんだったんです。ええ、教授というより作家ですから、ヒトクセもフタクセもありました。
〓でですね、この 「かわなか のぶひろ」 さんが、荒木経惟氏のことをですね、

   アラキ・キョウカタビラ

って言うんですよ。意味がわかりませんか?


   荒木経惟 (あらき のぶよし)
   荒木経帷子 (あらき きょうかたびら)


〓なるほど気の利いたアダ名ですよ。そのセイで、アッシは、「アラキノブヨシ」 という正しい読み方を知らないまま、

   荒木キョウカタビラ

で覚えちゃったんです。で、TBSラジオを聴いていたら、次回からパーソナリティに、

   アラ…キョウケイさん

をお迎えします、って言ってるんでね。「へぇぇ、アラーキーがラジオ・パーソナリティ」 を勤めるんだ、とカン違いしましてね。それで、いまだに酒の肴でがんす。

   教訓 …… 読めない名前は、すぐに調べて覚える



〓「経惟」 のように、学校で教わった音訓に当てはまらない読みのことを

   名乗り (なのり)

と言います。「名乗り」 というのは、明治時代までの日本人が身につけていた漢文の知識に裏づけられたもので、たいていは、その漢字の持つ意味で、「文部省の定める音訓から漏れたもの」 です。

   【 経 】 = 「述」 → 「のぶ」
   【 惟 】 = 「?」

〓「惟」 のほうはわかりませんねえ。なぜ、「よし」 と読むんだろう?