「サン・サーヌィチ」。ロシア語の父称について。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓アタシは、自分の知るかぎりにおいて、

  ロシア語ほど、名前の呼び方に、
  さまざまな意味合いを
  持たせる言語を他に知らない


と言い切ることができます。

〓まず、英米ふうの 「略称」 による呼び方があります。 William を BillCatherine を Kate と呼ぶたぐいですね。日本人は、これを 「愛称」 と呼びますが、世界中の言語の 「名前の体系」 を調査していると、 Bill, Kate のたぐいは、「略称」 に分類しないと整合性が取れなくなります。
〓実際、英語圏でも、これらの語形を short(ened) form と説明しています。

〓ロシア語にも、「略称」 があります。きのうの Ваня Vanja 「ヴァーニャ」 は、 Иван Ivan 「イヴァン」 の略称ですね。
〓ここからがロシア語の芸の細かいところで、

   Ванюшка Vanjushka [ ' ヴァーニュしカ ]
   Ванечка Vanjechka [ ' ヴァーニェちカ ]
   Ванька Van'ka [ ' ヴァーニカ ]

といった愛称をつくることができます。それぞれ、

   -ушка, -юшка -ushka, -jushka
   -очка, -ечка  -ochka, -jechka
   -ка        -ka

という 「愛称をつくる接尾辞」 で派生したものです。2つの形があるものは、それぞれ、語幹末の子音の 「硬軟」 で使い分けるものです。

〓これらは、「ヴァーニャちゃん」 というイメージの呼び名で、「恋人どうし」、「両親や祖父母が、子・孫を愛情をこめて呼ぶとき」、「幼なじみの友だちどうし」 などが使う語形です。
〓とくに、 -ка という語尾は、革命前には 「特権階級が “使用人” の名前を呼ぶときに使った語尾」 で、露文学者は “卑称” (ひしょう) と呼びます。現在では、女性や子どもを呼ぶときには、愛称語尾として使えます。成人男性に対して使う場合は、親しくないと相手を愚弄することになります。


〓ロシア語の 「愛称語尾」 は、ひじょうに種類が多く、それぞれに 「語感」 がちがいます。映画 『この道は母へとつづく』 の中で、孤児院の子どもたちのメンドウを見ている 「ナターリヤ」 Наталия, Наталья という若い女の子がいます。通常、“ナターリヤ” の愛称は、みなさん、よくごぞんじの、

   Наташа Natasha [ ナ ' ターしゃ ] ナターシャ

です。
〓しかし、施設の子どもたちは、彼女を 「ナターシャ」 とは呼んでいませんでした。

   Натаха Natakha [ ナ ' ターは ] ナターハ

と呼んでいたんです。 -ша -sha 「~シャ」 というのは 「可愛らしい感じ」 の語尾ですが、 -ха -kha 「~ハ」 というのは、「卑しむ感じ」 が入っています。「ナタ公」 ですね。
〓子どもたちが 「ナターハが来たぞ!」 と言うだけで、子どもたちとナターハとの関係が、ロシア人にはすぐに了解できるわけです。


〓英語圏では、目上の人物に対しても 「略称」 で呼ぶ場合が増えているようですが、ロシア語では、そういう習慣はありません。「目上の人物」、あるいは 「あまり親しくない人物」 に対しては、

   「個人名」 + 「父称」

を使います。ロシア語学習者で、「父称」 なんてナンに使うんだ?と疑問に思っているヒトもいると思いますが、 Mr. や Mrs. にあたる敬称が実質的に不在であるロシア語では、この 「敬称つき」 の呼び方に相当するのが、「個人名」+「父称」 なんです。学校の先生も、この呼び方をします。ですから、ロシアでは、


  「身近な目上の人」 の
  父称を知らないと困る


ということになるんです。ロシアで 「父称」 が重要なユエンです。


〓たとえば、

   Андрей Арсеньевич Тарковский
     Andrjéj Arsjén'jevich Tarkófskij
     [ アンド ' リェイ アル ' シェーニイェヴィち タル ' コーフスキイ ]
     「アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコーフスキイ」

という人物の場合、日本なら 「タルコフスキーさん」、「タルコフスキー氏」 で済ましましょうが、ロシアでは、

   Андрей Арсеньевич!
     「アンドレイ・アルセーニエヴィチ!」

と呼ばなければなりません。ロシア語では、これが最上級の敬意をこめた呼び方です。要は、

   「アルセーニイのところのアンドレイ」

という呼び方です。父親の名前を使うわけですね。

〓この呼び方は、公的社会では広く用いられます。TVのインタビュー番組でゲストを呼んだ場合、アナウンサーないしインタビュアーは、ゲストを 「個人名+父称」 で呼ばねばなりません。他に呼び方がないんですね。
〓議会などでも、たとえば、ゴルバチョーフ氏は、

    ミハル・セルゲッチ!

と呼ばれていました。ゴルバチョフの “ゴ” の字も出てこないのです。

〓この 「個人名+父称」 の呼び方よりも “身近な親しさ” をこめた呼び方には、

   「父称のみ」

というのがあります。たとえば、近所のおじさん、おばさんを目下の者が呼ぶときには、くだけて、父称だけで呼ぶこともできるようです。

   Ильич Il'ich [ イり ' イーち ] イリイーチ

というのは、ウラジーミル・イリイーチ・レーニン Владимир Ильич Ленин の父称です。親しさをこめて 「イリイーチ」 だけでレーニンを意味します。


〓この他、ロシア人は、姓を変形した 「アダ名」 でヒトを呼ぶ場合があります。これは、どちらかというと、「不良っぽい」 というか、「男の子世界の呼び方」 という感じのものです。
〓『この道は母へとつづく』 では、孤児院で成人してしまったらしい青年グループのリーダーが、

   Калян Kaljan [ カ ' りゃーン ] カリャーン

と呼ばれていました。これは、おそらく本名が Калянов 「カリャーノフ」、もしくは、
Калянин 「カリャーニン」 なんでしょう。
〓アダ名には、この 「姓の一部をブッタ切るタイプ」 が多いようです。

   Жванков Zhvankov [ じ ' ヴァンカフ ] ジヴァンコフ
     ↓
   Жван Zhvan [ じ ' ヴァン ] ジヴァン

   Чапаев Chapajev [ ち ' パーイェフ ] チャパーエフ
     ↓
   Чапай Chapaj [ ち ' パーイ ] チャパーイ





  【 父称の発音 】

〓ところで、ハナシを父称に戻しますと、ロシア語では、敬称つきの名前の代わりに、「個人名+父称」 を使うものの、これは、しばしば、ひじょうに長い単語になります。人を呼ぶのに適さないのですね。
〓そのため、おおやけに認められている発音の略し方があります。

   -ович -ovich 「オヴィチ」
     ↓
   -ыч -ych 「ウィチ」

   -евич -jevich 「イェヴィチ」
     ↓
   -ич -ich 「イチ」

〓ゴルバチョフ氏の父称が 「セルゲッチ!」 なのは、

   Сергеевич Sjergjejevich [ シェル ' ギェーイェヴィち ]
     ↓
   Сергеич Sjergjeich [ シェル ' ギェーイチ ]

という略です。硬母音の例もあげるなら、

   Владимирович Vladimirovich [ ヴら ' ヂーミラヴィち ]
     ↓
   Владимирыч Vladimirych [ ヴら ' ヂーミルィち ]

となります。
〓ただし、これらは “発音上の変化” にとどめておき、綴りには反映させません。小説のセリフの中とか、あるいは、くだけた文章などで、発音どおりに書くことはありますが。


〓ところが、これだけでも、「個人名+父称」 というのは長い。そのため、俗形では、さらに省略した発音が用いられます。ただし、それらはあくまで 「俗な発音」 で、たとえば、TVでゲストを相手にしたアナウンサーが使ってよいようなものではありません。

〓たとえば、ゴルバチョフ氏の名前なら、「正式な発音」 と 「俗な発音」 は次のようにちがいます。

   Михаил Сергеевич
    [ ミは ' イーる シェル ' ギェーイェヴィち ]
    「ミハイール・セルゲーエヴィチ」
         ↓
   Михал Сергеич
    [ ミはるシェる ' ギェー(イ)ち ]
    「ミハル・セルゲーッチ」

〓つまり、父称が縮まる他に、 Михаил 「ミハイール」 という名前が、 Михал 「ミハール」 となるんです。
〓よく使う名前では、他に、

   Павел Pavjel [ ' パーヴィェる ]  Пал Pal [ ' パーる ]

などもあります。とくに、 Павел Павлович 「パーヴェル・パーヴロヴィチ」 という名前は、次のようになります。

   Пал Палыч Pal Palych [ パる ' パーるぃチ ]

〓こうした俗形の最たるものが、『この道は母へとつづく』 の中で、ザレーチェンスクの孤児院の院長が口にした、先代院長の名前、

   Сан Саныч San Sanych [ サン ' サーヌィち ]

です。なんと、これは、

   Александр Александрович
     Aljeksandr Aljeksandrovich
     [ アりぇク ' サンドル アりぇク ' サンドラヴィち ]
     アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ

の 「超略形」 なのです。

〓つまり、あの映画では、あの院長が 「サン・サーヌィチ」 というコトバを使うことで、この院長自身の “ひととなり”、そして、“前院長が尊敬すべき人物で、なおかつ、親しみを感じる人だった” ということがわかるわけです。


〓ロシア文学を読んでいると、「名前がコンガラガッて、誰が誰だかわからなくなる」 という苦情をよく聞きます。
〓それは、つまりは、ロシア語の “名前の持つ意味の体系” が、英語などとは比べものにならないくらい 「高度で複雑」 だからなのです。しかし、それを理解しなかったら、ある意味で、ロシア文学を読む意味などない、と言っていいでしょう。

〓ソ連邦=ロシア映画の字幕では、ほとんどの場合、「客の混乱を招かないように、人物の名前を統一して」 しまいます。こうした名前の異同を捨象 (しゃしょう) する行為は、感心したものではありません。
〓セリフが聞き取れなくても、映画の中で、ロシア人が呼び合う名前の語形だけでも判別できれば、字幕に現れている以上の何かを理解することができます。

〓ロシア語では、「名前の呼び方」 は重要なのです。