日々生きていると、日々何かしら、
心がチクリとすることがあります。
それでも、20代の頃よりは傷つかなくなったと思う。
あん時は、やたらと失敗しては泣いていたっけな?
勝手に思い込んで、
自分から傷つくこと(当時、二股かけられていた彼に連絡を取り、相手の女含め3人で話し合い)を選んで、
とにかく、傷だらけでした。
でも、最近は違います。
それは、自分なりに己の立ち位置を分かっているから。
私は会社の役員であり、旦那さんと一緒に、
社員さんの生活を担っているということ。
また、もういい大人なんだから、
自分勝手に落ち込んだり、
不貞腐れたりすることは、
あまり生産的じゃない。
つまりは、それなりに生きてきた経験が、
学習効果となっているように思う。
さらには、大人になればなるほど、
自分だけのために、使える時間は限られてくるので、
クヨクヨしても仕方ないから!
そう、言い聞かせては、
気持ちの強弱をつけないよう、
心の揺れ幅が大きくならないよう、
無邪気にになり過ぎないよう、
コントロールするよう、気を付けているのです。
それでも、
にんげんだもの(by 相田みつを)。
昔の様に、
いきなりナイフで腹を刺されるような瀕死の傷(それも今思えば、かすり傷だったよなあ~!)を、追うことは少なくなったように思うけど、
例えるなら、
まるで紙でスーッと指を切って、
薄っすら血が滲むような些細な痛みは、
うっかりよく負ってしまう私。
大したことないんだけど、
結構痛い。
でも、はたと思う。
傷ついてなんかいない。
人は他人の言葉になんかに傷付かない。
自分勝手に「反応している」だけだということを。
心の痛手って、自分が何かに反応していて、
それが「何に反応しているのか?」を、
冷静に分析してみると、
今の自分の本当の気持ちが分かる。
心の底で強く思っていることがあっても、
それをごまかしていた自分に気付いたり、
自分自身に自信がないゆえに、
見て見ぬ振りをしていたことが、
今の痛みで浮き彫りになっている。
そう思えば、
「傷つきがい」があったんぢゃないだろーか。
傷ついて初めて気付かされたのなら、
むしろ、歓迎すべき痛みとちゃうか?
これは、ある意味チャンス!
神様、サンキューと、
力強く立ち上がり、
新しい一歩を踏み出すのだ!
…それでは、また、明日も「にんみつワールド」でお待ちしております~!