にのりんぐ

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ninoとみんなでつくる輪(りんぐ)

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またまた、Facebookでの関わりから、
伊藤かよこさんが花粉症のことを書いてくださった。

“花粉LOVE” になったら、症状が最小限になるのでは?
という、花粉症対策!?


ということで、早速【認知行動療法】開始!

(ネットで画像を拾って、PowerPointで自作した)

先のエントリ。

『人生を変える幸せの腰痛学校』のレビューを書いたら、

その書籍の著者である 伊藤 かよこ さんが、

ご自身のブログでこんな風に僕のレビューを採り上げてくださった。

 

驚き!!

 

https://ameblo.jp/sorairo2323/entry-12443466704.html

 

伊藤 かよこ 先生、ありがとうございます!!

認知行動療法という言葉(文字通り言葉だけ)を知って、興味を持ちながらも、
大きな期待を抱いているわけでもなかった。
そんな中、何がきっかけだったかは忘れたけど、少し前に購入したこの書籍。
まさに“目から鱗”だった。

腰痛歴約15年。
ここ数年は特に低調。
この1年で、いくつかの整骨院と、それに整形外科での●●治療…
どれも、一時的に、“なんとなく”の効果しか感じなかった。
いや、“きっと効いてる”と思い込もうとしていただけだったかもしれない。

体幹トレーニングもかじってみたけど、
即効性があるものでもなく、
根気も続かず、その気になった時だけ。
誰かこの腰治して・・・という気持ちでいた。


そんな僕の腰痛が「読むだけで治る」という奇跡が本当に起こった。

“気の持ちよう”とか、そういう薄っぺらいものではないんだけど、
これが『脳科学』というものなのかな。
この本を読むことが、認知行動療法を受けるということなのだと思う。
僕なりの認識の仕方を書いてみる。
(あくまでも、僕なりの、です)

まずは、これまでの腰痛に対する認識を振り返る・・・
「僕の腰は悪い」
「なんとか良くならないだろうか」
「腰がいつ痛くなるかびくびくしている」
「腰の痛みによって仕事の効率や生活の質、気分が変わる(悪い方に)」
などなど。

また、仕事中を含め日頃の姿勢(立位・座位)や、歩き方や走り方など、
常に腰のためにどうしたら良いかを意識していた。
でも逆に、気が緩んで、あるいは仕事上仕方なく、
良くないと思われる姿勢が続くと、
「あーまた痛くなった」と。
(そもそもそんなにいつでも気をピンと張っていられないって)

「腰痛」をいかに自分から遠ざけるかということばかり考えていた。
無意識下に、僕は腰痛に縛られていた。

それが、この本を読んで、変わった。

まず便宜上、自分の体を、『脳』(≒心)と『体』に分ける。
そして、意識を向ける対象は、
『腰痛』とか『腰』とかではなく、『体』全体。
自分の『脳』が、自分の『体』を見る。

その上で、自分の『体』を、とても大切なもの・最愛の対象と認識する。
自分で分かりやすくするため、今息子二人しかいない僕(の『脳』)は、
自分の『体』を、娘と思うことにした(笑)
そして名前を付けて、心の中で“●ーちゃん”と呼びかけるようになった。
(イタイので本名も●の文字も秘密ですw)

最愛の娘がぐずった時や、夜泣きした時に、
「くそーうるさいから泣きやめ!」とは言わないよね?
「よしよし、どうしたどうした?」って優しくあやすよね?
最愛の娘がちょっと悪いことしたからって、
おまえは悪い子だ、
なんでそうなんだ、
おとなしく良い子にしていなさい、
なんて言わないよね?
腫れ物に触るように接しないよね?
「どうした?何がいやだった?」って、
何かに対して不安や不満があるのかなと探したり、
どうにか理解してあげようとしたり、
心地良いようにしてあげたりするよね?
とにかく、我が娘への愛情を思いっきり表現して、
たくさん抱き締めてあげるよね?
そんな感じ。

・・・書いてみるとちょっと恥ずかしい(笑)


こういう風に認識が変わることで、本当に腰痛が和らいだ。
正確に言うと、『脳』が自分の腰が悪いと認識しなくなった。


それと、これが腰痛の原因だ!と一般的に言われているようなことは、
ほとんどが根拠(医学的エビデンス)のないことであること。
これをしっかり理解・認識することも重要。

「こういう原因があるから、こうすると良くなる」という情報は、
逆に、そうじゃないと腰に悪い、と思い込んでしまうことでもある。
悪い意味で『腰』及び『腰の痛み』に意識が集中し、
結局、だから腰が悪いんだと『脳』が認識してしまう。
それの積み重ねで、「腰痛持ちである自分」が出来上がってしまった。
長年、暗示をかけられ続けたように。

その暗示を解くのが、認知行動療法なのかな。


「腰が痛い」、「自分の腰は悪い」と
『脳』が認識することがなくなったことで、
僕は腰痛から解放された。

たまに、『体』の中で、“腰のあたり”が調子悪いことはある。
でもそれは、『体』全体の他の部位でも起こりうることと同じ。
たまにどこかしら調子悪いことは、そりゃぁ、あるよね。

『体』の調子が悪そうな時は、愛する娘がちょっとぐずっていると思って、
心の中でよしよししてあやす(笑)
愛情が足りなかったのかなと思って、
たくさんの愛情を持っていたわってあげる。
これだけ。

ストレッチをしたり、ゆっくり温かい風呂に入ったり、
たまに息子にマッサージしてもらったりするけど、
それは、「腰痛を良くするため」ではなく、
「体を心地良くしてあげるため」のこと。


認知行動療法とはこういうものだ、と言えるものでもないし、
著者の本当の意図とは違うのかもしれないけど、
僕なりの解釈はこんな感じ。

とにかく僕は、これを読むだけで、腰痛から解放された。


腰痛に限らず、『慢性的な体の苦痛』に困っている人には、オススメの一冊です。
2月19日

僕にとっても尊い機会だったので、リプログという形で記録を残させてもらおう。

今日の今日での提案は不躾かなぁと思いながらも、なんかお互い今日がベストな気がする…と思ってたら、本当に“今日”になった。
なんかそういうパワーを感じる。

ありがとうございました。


熱が出て入院し、そこでの検査でたまたま癌が見つかった高齢女性。

熱についてはある程度落ち着き、癌については自覚症状もないし超高齢だし、
何もせず見守る方針になっていました。
 
ベッド上から動けないものの、笑顔を見せたり、少しの会話はできる状態で、
主介護者である娘さんをはじめ、自宅で家族と過ごしていました。
 
全体として、ゆっくりと状態が落ちていくのは予想され、
やはりその予想の通りの経過を辿っていました。
 
 
ある日、僕が数日ぶりに訪問した時、彼女の状態を見て、
なんとなく違和感を持ちました。
全身状態やその時点のバイタルサインの割に、
意識だけが落ち過ぎているような気がしたのです。
 
 
(これ、たぶん…)
 
なんとなく原因の想定をしながら、採血をして血液検査を提出しました。
 
 
翌朝、クリニックにFAXで送られてきた結果は、著明な高ナトリウム血症でした。
(僕は、あるとすれば電解質異常、カルシウムかナトリウムかな、と思っていました)
 
電解質異常なら、適切な輸液をすれば改善の余地があります。
すぐに訪問看護ステーションに連絡し、輸液の指示を伝えました。
 
 
輸液調整からわずか数日で、それまで全く動かなかったのが、
表情などで少し反応が見られるようになりました。
 
そして、それからさらに数日後のある日、目を開け、ほぼ口の動きだけで
「ありがとう」
と娘さんに伝えたそうです。
 
 
その(ことば)を発した日の夜中に、そのまま自宅で息を引き取りました。
 
 
 
原疾患及び老衰の進行の結果としての意識障害ならば、
残念ながらできることはありませんでした。
ですが、癌の終末期であろうと、老衰の一過程であろうと、
医療としての手を加えることで意味のある改善が見込める、
つまり意識が少しでも戻るのであれば、
その検索及び治療は(大きな負担なく可能な範囲で)するべきだと思いました。
 
その意識で診ていなかったら、この人は、おそらくこのまま、
言葉も、口の動きも、視線も、何も発することのないまま、逝ってしまったでしょう。
そして、それはそれで、病気だから、あるいは老衰だから仕方のない、当たり前のこととされ、
こと在宅であれば、自宅で看取れて良かった、苦しまなくて良かった、
などという認識で終わっていたでしょう。
 
そのようにして埋もれている“さいごの時間”は、おそらく実際にあるのではないでしょうか。
僕自身の診療を振り返っても、埋もれさせてしまっていたものもあったかもしれません。
 
 
“終末期だから”、
“DNARだから”、
という括りだけで、本当は必要なこと・意味のあることも含めて
“何もしない”という選択をしていないか?
大切な学びになりました。
奥さんと娘さんが自宅で看病していた、高齢男性。
全身の衰弱、特にある臓器の機能低下が、徐々に、ある時点からは急速に進み、足から体幹部まで浮腫が強く、ひどい時には顔面にもむくみが見られていました。

さらにある頃からは、その臓器障害よると思われる意識の低下が、まばらに出始めました。眠る時間も長くなってきました。
それでも、僕らが診療のためにお宅に行った時にはしっかりと座って、ほぼはっきりと話をして、家族を驚かせることもありました。


体力・筋力が低下し、かつ意識は(波はあれど)ある程度しっかりしている、このような時期が、介護者としては一番きつい時です。

例えば、自力でトイレに行きたい、行こうとする。
でも、行けない。
家族が介助する。
それでどうにかできる時もあれば、できずに倒れこむこともある。その後ベッドに戻ることも、かなりの負担。

そのような時期が数日続き、家族から、入院させた方が…という相談がありました。

在宅生活を支える僕らの立場としては、このような時期はおそらく長くて数日、あとは意識も体力も落ち、介護負担はうんと減る…いわば、今は短距離走のラストスパートといったところ。
もう少し、在宅で頑張れなくもないのではないか…その方が、本人も家族も後悔が少ないのではないか…とも思えました。

しかし、それを強く推し過ぎても、つまり在宅にこだわり過ぎても、実生活で介護する家族の心身がパンクしてしまう懸念もありました。
これはこれで、後にずっと大きな後悔が残ります。


本人が眠るベッドの横で、僕たちと家族さんとで、よく相談しました。
娘さんたちは、できることなら家で看たいんだけど、でも…、でも…と、最後まで迷っていました。
最終的には、それまで眠っていた本人が徐々に覚醒して話に加わり、
「入院しましょう」
と言ったことで、入院が決まりました。

もともと入院したくないと言っていた人でしたが、おそらく、ご家族のことを思っての決断だったと思います。
波のある意識状態の中で、この時は特にしっかりとした態度でした。

娘さんたちは、涙を流しながらの決断でした。


僕たちとしても、家族のその意思を、前向きに支えることにしました。
最後まで在宅というのが最良で、入院させることが無念の策、という画一的なものではないからです。


予め入院の依頼をしていた病院への搬送の直前、多少のためらいはありましたが、行く前に写真撮りましょう!と僕が言い、移動するバタバタの中で写真を撮らせてもらいました。

写真を掲載することはもちろんできませんが、実際、とても良い写真でした。



入院した数日後、その病院で息を引き取りました。
僕が撮った写真は、彼らにとって、最後の家族写真になりました。


在宅医療に携わる立場として、難しい判断でした。
ですが、最期まで在宅、ということが全てではなく、その意思決定のプロセスに本人も家族もしっかり関わることこそが必要なことなのだと思います。
そう考えると、この患者さんは彼自身の人生を、家族はそれを支えることを、全うしたのではないでしょうか。



旅立った後、娘さんから僕に届いたメールの一部を紹介します。

=====
ひと月ほどでしたが、親子水入らず過ごす時間を持てたのも先生方がサポートしてくださったおかげです。
本当に有り難うございました。
先生が撮ってくださった私達の最後の家族写真。
名カメラマンに心より感謝を申し上げます。
本当に本当に有り難うございました。
=====
ある老年の女性。末期の癌でした。
初めは、外来で診ていました。
いつも、娘さんと一緒に来院していました。

本人も娘さんも喫煙者で、この人たちが来たらすぐ分かるな、という程、凄いタバコの匂いをさせていました。
この人の診療が終わったら、診察室の窓を開けて、換気していました。

そんな話を、僕や外来看護師たちと、本人たちとで、笑ってするような関係でした。

いつからか、最初ほどの強い匂いはなくなっていました。私達に気を使ってくれていたのでしょう。
でも、タバコは変わらず吸い続けていました。
(もちろん、僕らも今さら禁煙を勧めることはありません)


徐々に体力が落ち、可能な時は外来、無理なら在宅、という感じになりました。
そして最終的には、完全に在宅になりました。

家でもタバコを楽しんでおり、最初に訪問した時は、空気が煙の色をしている程でした。
包み隠さず、凄い匂いですねぇ!と苦笑しながら言うと、次の訪問時からは、窓を開け放った状態で招き入れてくれました。
季節は冬です(笑)

匂い嫌でしょ、どうぞ、と、僕ら用の使い捨てマスクも用意してくれていました。
(もちろん僕らはマスクをして行くので、それを使わせてもらうことはありませんでしたが)

この人を訪問する時には、衣服用芳香スプレーを訪問車に常備していました。


さらに体力が落ちるにつれ、その本数が減りながらも、やはりタバコは変わらず楽しんでいました。


自力でトイレに行けなくなり、娘さんの介助が必要になり、最後の数日にはベッド上のみになりました。

そして、それまでほとんどなかった痛みが急速に強くなり、医療用麻薬の持続注射を開始しました。
それにより速やかに痛みが和らぎ、穏やかに休めるようになりました。
その夜、最後のタバコを楽しんだそうです。

翌朝、そのまま息を引き取りました。



葬儀屋さんが、クリニックに死亡診断書を取りに来てくれた時、“お土産”を預けました。
本人・家族宛の簡単なお手紙と、その人が吸っていたタバコです。

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人生で初めて、タバコを買いました。

少し前に亡くなった患児のご両親が、クリニックに挨拶に来てくれました。

 

生後間もなくから、長く生きていけない病気が分かり、

自宅への退院後は、当院からの在宅診療と、

出生した大きい病院への定期通院とを並行していました。

もちろん、状態が悪化した時には、臨時での受診・入院もありました。

 

詳細は省きますが、最後は比較的急速な経過で、

病院でその短い人生を終えました。

 

その急速な経過の中でも、自宅で見届けるのか、病院に搬送するのか、

強い葛藤の中にも、強い覚悟がありました。

 

 

 

愛娘の旅立ちから少し時間が経ち、穏やかな表情でクリニックに来てくれたご両親は、

色々な言葉を私たちにくれました。

 

――あの子がいなくなった悲しみはもちろんあるけれど、それまでの●ヵ月間、家族みんなで、家で過ごせて幸せだった

 

――先生たちは、あの子だけでなく、私たち親や他の兄弟のこともみてくれてたんだなと思う。それがなかったら、私たちは潰れていたと思う

 

 

今私たちがやっている仕事の意義を、改めて感じさせてくれました。

 

 

 

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その子が使っていたベビーカーです。

座席下が大きいタイプのもので、ここに、常時外せない医療機器を置いて使っていました。

これを、クリニックに寄贈してくれました。

 

彼女の名前を採り入れて、このベビーカーに名前をつけようと考えています。

 

数日過ぎてしまいましたが、月曜日、近くの整形外科を受診してきました。

 

だいぶおじいちゃん先生で、画像を見ながら、初め薬指あたりを探していて、

看護師さんから「先生、中指です」って指摘されたりしてて、

なんか本当に大丈夫ですかって感じだったんですが(笑)

 

一応、

・骨折自体はけっこう古いものかも?(骨片の石灰化が強い)

・それが最近何らかの負荷で痛くなったのかも?

という見解でした。

 

偽痛風の可能性もありますか?と聞くと、

偽痛風・・・そうですねぇ、尿酸値測ってみたらいいかもね、とも言われたけど、

いや、偽痛風は尿酸関係ないでしょ・・・?

ということで、重ね重ね大丈夫ですかって感じだったんですが(笑)

 

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結局、こんな風にテーピングで比較的簡単に固定しつつ生活しています。

 

 

振り返って、可能性があるのを挙げてみると

11月3日野球した、6日胸骨圧迫した、くらい。

なんとな~く違和感あったのが、6~8日くらいからかな?

明らかに痛くなったのは10日夕からで・・・

タイミングを考えても、結局原因ははっきりしません。

 

とりあえず、少し間空けてまたレントゲン撮ってみるかね・・・

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僕の右手中指MP関節。

数日前からなんとなく違和感あって、
昨日夕方から痛みが強くなってきたので、
自分のクリニックで撮影したんですが…

(骨折じゃないよなという)期待を込めて偽痛風と思ってたけど…
これ、やっぱり折れてるかな…σ(^_^;)

明らかな外傷歴はないんだけど、
指ポキポキ鳴らすのが癖でしょっちゅうやってるので…それでかなぁ…

週明け整形外科受診しようかな…