今日の愛ルケ(#263) | にっけいしんぶん新聞

今日の愛ルケ(#263)

この記事は渡辺淳一先生の連載小説「愛の流刑地」を記者が個人的な視点で読み解く記事で、性的な描写かなり出てまいります。そのような記述を好まない方、ネタバレを嫌う方、並びに15歳未満の方はご遠慮ください。
なお、記者がまとめたあらすじ中の灰色文字部分は、作品のテイストをできるだけ伝えるために原文をそのまま引用した部分です。



花火 四

冬香は家庭でも孤立しているのかもしれない。みなと食事せずに一人帰るとはかなり身勝手にみえるが、しかしそこまでさせたのは自分かもしれない。
話題を変え、冬香を八月一日の外苑花火大会に誘う。平日だが、多分そのころ子供たちは実家に帰るという。しばし夫のことを考えたようだが、冬香はきっぱり「大丈夫です」と答える。
逆に不安で、無理しなくてもいいと菊治はいうが、冬香は「無理をしないと出られないわ」という。冬香のほうが腰が据わっているようだ。
菊治は花火の夜を想像しながら、中城ふみ子という北海道生まれの歌人の歌を冬香に紹介する。夫がいるが、若い男性との不倫を詠んだものだ。菊治は記憶をたしかめて、
「音高く夜空に花火うち開きわれはくまなく奪はれている」
そしていま一度、くり返す。
冬香は「素晴らしいわ花火の夜に抱かれてるのね」と叫ぶ。
「わたしも、そうしてください」という冬香に、菊治は「もちろん、全部、くまなく奪ってやる」と答える。


#家庭でも孤立しているのかもしれないって、そりゃ孤立しますよ。
食事ぶっちも毎度の逢瀬もそうですけど、今回の花火だってそうです。
子供だけ田舎に帰して、夫はほったらかして平日夜に男と花火観覧、下手すりゃそのままお泊り。

「大丈夫です」

なにが大丈夫なんだか。

「無理しないと出られないわ」

なにが無理なんだか。

ひでえもんです、もう、やりたい放題です。
だいたい、不倫ってのは「倫」があるのに背くから切なさや辛さが生まれるわけで、好き好んで孤立して開き直って好き放題やってる冬香に、不倫ならではの興やエロスはまったく感じられません。

そこへいくとこの歌のなんともエロティックなこと。


音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる


昭和27年に31歳の若さで乳癌がもとで亡くなった中城ふみ子ですが、恋多き女、性に奔放な女だったようです。なんと彼女が札幌医大病院に入院していたとき渡辺先生が札幌医大の一年生だったそうで、直接会ったわけではないようですが、そんなゆかりもあって、後にこの女性の恋の遍歴を取材して綴った小説が「冬の花火」だそうです。

さてネットであれこれ調べたところ、たしかに「奪はれてゐる」相手は年下の男のようですが、この歌を読んだころには既に離婚しており、不倫の意味で奪われているという意味ではなさそうですね。
とはいえ、どうやら当時、片方の乳房は切除されていたようで、そして後にもう片方も切除されることになるのですが、そういう病に見舞われた不幸な生涯の中で、恋そして性を生きる糧あるいは薬としていたようで、そんな中での「奪はれてゐる」には何か切ないものが感じられるように思います。

ただ、彼女自身、同情を買うように不幸を売りにしていた嫌いがあるというように評している人もおりました。また子供が3人(?)いたようですが、母よりも女として生きようとする面もあったようです。
このあたりも含めて渡辺先生が冬香のキャラをイメージするにおいて、彼女は何かしらのヒントになっているのかもしれません。


ところで、こんな具合にこの歌のでてくるいろんなサイトをめくっていると、先生の「冬の花火」を読んだ方の感想にも行き当たりました。
「息を付かせずに読ますところがあるが、登場するふみ子はあまりに氏特有の『いやらしく』表現されているのが嫌い(こうめい さん)
いやー、つい笑ってしまいました。

また別のサイトによると、先生の描くふみ子は、抗癌剤で男性ホルモンを入れられるなら直接男から採ったほうがよいだろうと次々と男と関係するらしいのですが、先生の発想、やはり昔から同じ匂いがするようですね。


・・・ん?あれ?
何の話でしたっけ??
ああ、そうそう、神宮外苑の花火大会でしたね。

で?
なんですか?


「もちろん、全部、くまなく奪ってやる」


あーはいはい。
どうぞ奪っちゃってください。
好き勝手にやっちゃってください。


記者、中城ふみ子の作品や人生に少し触れていたら、菊冬の行く末よりもそっちのほうが気になりだしてます・・・。






たしかに不思議な魅力あり
陽にすきて流らふ雲は春近し
噂の我は「やすやすと堕つ」




参考サイト: ここ ここ(写真も拝借) ほか多数。