おはようございます!!

こんにちは!!

こんばんは!!

 

ひできでーすキラキラ

 

今回は「北米川柳道しるべ」という本について

書かせていただきますお願い

 

 

 

 

 

 

 

 

この本では、ロサンゼルスにおける日本人移民の

戦前・戦中・戦後の生活が川柳を通して

知ることができます。

 

そもそもなぜ、日本人がロサンゼルスに移住

しなければならなかったのかというと、シアトルや

サンフランシスコ航路があるという文脈のもと、

富国強兵政策で農民にしわ寄せがきて、別のどこかに

新天地を求めなければならなかったからです。

 

ロサンゼルスにやってきた日本人は、米国人よりも

農産や漁業の技量に長けていて、さらに国レベルでは

戦争において連戦連勝であったので、「カルフォルニアが

日本人に乗っ取られてしまうのではないか」という不安を

米国人が持った結果、

「排日」の風潮ができました。

 

排日の風潮による厳しい生活の様子は、「犬のよな

名前をもらって皿洗ふ」や「夫婦して拓いた土地は

他人(ひと)のもの」といった句からも

感じることができます。

 

また、排日という障害の存在によって、「日本町」が

発達しました。「日本の映画に母は泣きに行く」や

「二世週電車を止めて踊り抜き」の句からも

わかるように、排日の風潮に耐えながらも

普段の生活を楽しんでいたようです。

 

しかし、1941年の日本軍による真珠湾攻撃を

境にして、アメリカにいる日本人は「敵性外国人」と

なってしまい、収容所に送られました。収容所といっても

実際は馬小屋みたいな場所で、「どこまでも

不運馬臭を嗅がされる」や「馬小屋に住んでニンジン

喰わされる」のように劣悪な環境でした。

 

また、収容所では、「ナンバーで書くアドレスは

囚徒めき」のように「捕虜か犯罪人」のように

全員に識別番号がついていました。

 

このように、川柳を通して戦前・戦中・戦後の

日本人移民の心情を知ることができて

とても勉強になりました。

 

読んでいただき、ありがとうございました照れ