身近な人が亡くなってしまった時、「自分が身代わりになればよかった。」などと思ったことはないでしょうか。
どうして自分ではなかったのだろうか。
そうして自分を責めたりしていないでしょうか。
そして、その方が行っていた生前の行いを引き継いで行っていないでしょうか。
その方が育てていた植木の手入れをしたり、その方がかわいがっていた動物の面倒をみたり。
自分は自分です。
その方ではないのです。
自分の人生は、自分の人生です。その方の人生を生きてはいけません。
亡くなった方には、亡くなった方自身の人生がありました。
亡くなった方に捕らわれて生きてはいけません。
どうしてもやってあげたいのなら、「自分がしたい事」としてやるべきです。
自分が、植木の手入れをしたいと思うから植木の手入れをする。自分が動物の世話をしたいから、世話をする。
自分の人生は、自分の責任で、生きなければならないものです。
他人のせいにはできません。
例えそれが、お世話になりっぱなしで亡くなってしまった方のためでも、家族であっても。
結局、自分は自分で、他人は他人です。
それは、家族であっても、恋人であっても同じです。
1つの命が、1個人である自分に宿っていること、その命を真剣に生きること、それが人生なのではないでしょうか。
亡くなった人のために生きてしまうと、いつか「~しなくてはいけない」「~してあげているのに」という苦しい気持ちでいっぱいになってしまいます。
誰のためでもない自分の生き方をしましょう。
自分のためにももちろんそうなのですが、亡くなった方のためにも、自分の人生を生きることが大切なことだと思います。
残された人が、強く生きること、それが亡くなった方への一番の供養なのだと、お寺の方に教えていただきました。
「供養」とは、「供に養う」と書きます。
亡くなった方。今生きる自分自身。双方が、供に、今いる場所で強くあること。その姿を見ることで、お互いが、養い合われること、それが「供養」なのではないでしょうか。