「日帝の米収奪論」に反論する(前編) | ☆杉野洋明 極東亜細亜研究所

「日帝の米収奪論」に反論する(前編)

こんにちは!

 

 

杉野洋明です。

 

 

 

さて、先日、明石海峡大橋や瀬戸大橋などを管理している本四連絡高速道路会社が、韓国の道路公社と、技術協力を進めることを決め、8日、神戸市で調印式が行われたそうです。

 

が、小生は兵庫県在住にも関わらずまったく知りませんでした。

(それよりもインフルの方が問題なので・・・)

 

 

 

いずれにせよ、韓国の道路公社は、あの韓国の、凄まじい運転者と、道路渋滞解決に向けた取組みで、いろいろなノウハウを持っている筈ですので、そうした部分は学んで行ければ良いですね。

 

 

 

 

 

さて今回は、日韓の歴史問題で、度々話題になる植民地統治下朝鮮での米収奪問題について、述べて行きたいと思います。

 

 

米収奪とは、戦前、朝鮮半島が日本の植民地だった時代、日本は朝鮮から米を略奪し、朝鮮は深刻な食糧難になった、という説です。

 

 

 

韓国の中学校歴史教科書にも、今件は以下のように書かれています。

 

 

 

「・・・とくに、日帝の彼らの食糧不足を解決するために、韓国から米を略奪することに力を注いだ。そのため、韓国の農民は、彼らが生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免られなかった・・・・」

 

(入門 韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書 明石書店 より引用)


確か韓国では土地調査事業を「七奪」のひとつにカウントしていたかと思います。

(七奪とは、日本が韓国から奪った7つのモノって意味で、国王,国土,耕地,国語,名前,国民,生命の七つのことだそうです)

 

 

 

 

これに対して、日本のネット上では、以下のような反論が展開されています。

 

 

1.略奪などではなく、対価を支払った移出である。

 

2.むしろ、韓国から安い米が流入して東北の農民が困った程だった。

3.日本に渡ったのは余剰米。そうでないと人口は増えるわけが無い。

4.当時の地主の多くは韓国人だった

 

 

日韓で全く話が噛み合わないこの問題、今回は、ちょっと視点を変えて、この問題を見てみましょう。

 

 

 

 

 

いつもの通り、過去の新聞記事で、当時の状況を探ってみます。

 

 


☆杉野洋明 極東亜細亜研究所~韓国企業勤務経験者の呟き~-19350822gyakuinyu

「1935年8月21日東亜日報」

「日本内地払下米 朝鮮へ逆移入 政府米払下を要望」

 

 

これって、今まで言われてきた事とは違う内容ですね。

 

今までは、「奪った・奪っていない」という二元論的な争いだったのですが、この記事を見る限り、実際は日本が朝鮮に米を送っていたようです。

 

 

 

 

では更に、過去の記事を探って見ましょう。

この記事より10年ほど遡ります。

 

 

 

 


☆杉野洋明 極東亜細亜研究所~韓国企業勤務経験者の呟き~-19250726incheon
「1925年7月25日東亜日報」

 

 

仁川玄米上陸~朝鮮に在米が不足するという事を聞き、門司商人が諏訪産の玄米2千石を朝鮮に送り、近日中に到着」

 

 

なんと、米を収奪していた筈の日帝が、韓国が米不足だからと日本から米が送られ、その日本米(諏訪産)が、仁川港に陸揚げされようとしています。

 


 

更に調査してみましょう。

 

 

太平洋戦争の少し前の記事で、清津(現在の北朝鮮テポドン発射台近くですね)での、白米不足への対応について書かれた東亜日報の記事です。

 

 

 


☆杉野洋明 極東亜細亜研究所~韓国企業勤務経験者の呟き~-19390619nigata
「1939年6月18日 東亜日報」

 

 

 

南朝鮮米断念し、新潟から白米移入

 

~在庫米不足と価格暴騰で清津白米恐慌緩和」

 

 

清津の辺りって、もともとは、米の栽培が難しい(北海道並みに寒いので)地域だった筈なのですが、1939年のこの地域では、玄米ではなく、ちゃんと白米を食べていたのですね。

 

 

 

価格暴騰に対して、当時、新潟から米を入れて、価格を調整していた事が分かります。

 

しかし、皮肉なのは、戦後になっても、あのマンギョンボン号が同じようなルートで、日本から北朝鮮に物資を送っていた、ということでしょうか?

 

 

 

 

以上のように、当時の新聞を見る限り、米の流れは「朝鮮→日本」だけでなく、「日本→朝鮮」の流れがあったことが確認されます。

 

 

ならば、少なくとも、韓国の言う「収奪」というのは、どうもオカシイのでは?と言わざるを得ません。

 

 

 

 

 

しかし、なぜ、日本→朝鮮という米の流れがあったのでしょうか?

 

 

 

 

ここで、更に第三の視点を加えたいと思います。

 

 

 

日本のもう一つの植民地域だった台湾からの視点を以って、この問題について述べたいと思いますが・・・

 

取りあえず、本日はここ迄として、今件は後半(後日公開)に続きます。