2008年02月02日 18時25分55秒

★本邦初公開?大韓帝国勅令41号の石島は独島ではない証拠

テーマ:☆竹島領有権問題
こんにちは!杉野洋明です。

2月に入ってしまいました。
2月14日はバレンタインデーですが、韓国ヲッチャーとしてやはり気になるのは2月22日の竹島の日。


ということで、今回は竹島領有権問題について書きます。今回の発表も(ひょっとしたら?)本邦ネット上初公開かも知れません。


ちょっと専門的な部分もあるので、おさらいしながら書き進めますね。


韓国側で竹島(独島)の領有権を主張する時、たいがいの場合、512年に「于山国」が新羅に併合される、という古書の記録を引用して、「独島は6世紀からウリナラの領土」と説明します。


で、大概は、それに続いて「世宗実録」や「高麗地理誌」などにも記載がある、独島は歴代の王朝が支配していたことは明確だ・・・などという説明になるわけです。


ちなみに、上記の古書ではいずれも于山島という名前で登場するのですが、古書にある于山島こそ独島のことであり、韓国の領有権の証拠だ、というのが一般的です。


いわゆるこれが、韓国側の公式見解。




ところで、日本に併合される直前の大韓帝国の時代、大韓帝国政府は「大韓帝国勅令41号」というものを公示して「正式に」独島を韓国領土に編入した、と韓国側は主張しています。


その時の「大韓帝国勅令41号」がこれです。




勅令41号


鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件

第一条

鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること

第二条

郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること


(画像と訳は"http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/ishijima41.html"から引用)




大韓帝国時代の、公式な「領有権の主張の重要な証拠」といわれるこの「勅令41号」ですが、何故か急に「石島」という、それまで登場したことのない島が出てきます。



なにせ、緯度も経度も不明で、島の大きさも全然分からない島なのですが、韓国側では、独島(ドクド)と石島(ソクド)は「ドク」と「ソク」が発音が似ているから、この「石島」こそ、独島に違いない、と好き勝手に主張しているわけです。



とはいえ、日本側も石島が独島ではない明確な証拠があるわけではないので、明確な反論が出来なかったわけです。(ま、悪魔の証明みたいなもんですからね)


というわけで、杉野は本当に石島が独島なのか、大韓帝国当時の新聞を探ってみました。

で、結果ですが・・・やはり独島は石島と無関係らしい、ということを示す資料を発見しました。

併合前に発刊されていた大韓帝国時代の皇城新聞の記事です。

尚、この資料は、今まで日本語訳は見たことがありませんので、ひょっとしたら、これが本邦初公開になるのかも知れません。

何分、古い新聞ですので、ちょっと読みにくいのですが、分かる範囲で解読してみましょう。


皇城新聞1906
皇城新聞1906年7月13日



鬱島郡の配置顛末

「統監府で内部に公○された江原道三陟○管下に所在する鬱陵島に所属島嶼と郡廳設始月は示明する○故○○図され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監に設證され、光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置するので郡廳は台霞洞に置き、護郡所管島はチュク島と石島
東西が六十里で南北が四十里なので,合せて二百余里だという」


上述の新聞記事では鬱陵島の東西南北どの方向に(石島が)あるのか不明ですが、「東西が六十里で南北が四十里」という管轄範囲が示されているので、竹島がこの範囲内か範囲外かで、「石島」が竹島なのかどうかがこれで分かります。

では、実際に地図を用いて「東西が六十里で南北が四十里」を確認して見ましょう。

当時の韓国の里法では1里=0.2km、若しくは1里=0.4kmですが、ここでは、0.4kmと仮定します。
地図は(公平を期す為)韓国で使用されている英文地図を使いました。
鬱陵島周辺の赤い枠内が、「東西が六十里で南北が四十里」になります。

石島

上記の画像の通り、「東西が六十里で南北が四十里」では、竹島は領域外ということが明白に分かります。
要するに、石島はこの赤枠の内側に存在する島になるので、当然、石島と竹島は別物なのは明白ですよね。

繰り返しになりますが、これは別に特例を挙げたものではありません。

石島の所在位置を示す資料が(杉野が知る限り)これしかないわけで、韓国側から(反論出来るような)資料は提示されていないわけです。
この矛盾を韓国側はどう説明するのでしょうか?

さて、今月22日は「竹島の日」ですので、竹島に関するレポートを書いて見ました。
このレポートに関して、韓国側からは、反論があるのでしょうかね?

まあ、さっさと国際法廷で決着をつけてくれれば、良いだけなんですがね・・・

◆2月5日加筆

上述の皇城新聞の日本語訳ですが、一部判読不可能だった部分がありましたが、韓国近代史研究家のchaamiey氏の協力を得て、全てを判読(類推箇所もありますが)することが出来ました。
完成版は以下の通りです。
(chaamieyさん、ご協力有難うございました)

鬱島郡の配置顛末

  統監府から内部に公照された江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡廳設始月を示明せよとの故に答酬され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監として設證され、光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置したが、郡廳は台霞洞に置き、該郡所管島はチュク島と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。



コメント

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1 ■大変^^)

勉強になりました^^)
ありがとうございます^^)
鉄斎

2 ■無題

ペタありがとうございました。竹島問題について、いい加減韓国は竹島をウリナラ領土と妄言するのを止め、一刻も早く我が竹島から出ていってほしいですね。次期大統領は「歴史問題は専門家に任せるニダ」って言ってましたがこれからどうなることやら…。これからもたまにこのブログへコメントします。杉野さんも良かったら私のブログにコメントしてください。

3 ■拝見しました。

これも良い資料ですね。竹島は無関係なことがさらに明確になりました。
しかし、6年前の鬱島郡の配置顛末が新聞に掲載されるのは、なぜだったんでしょうね。

4 ■解読について

「護郡所管島」とありますが、「該郡所管島」のようにも思えますが、いかがでしょうか。

5 ■無題

chaamiey様
ご指摘有難うございます。確かに「該郡所管島」かも知れませんね。ここまで来ると、韓国語能力より漢字の読解能力と推理力がより重要かも知れません・・・

6 ■無題

1906年5月9日の皇城新聞では、竹島を「獨島」と呼称してます。
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/rensa.html
しかし、ご紹介頂いた1906年7月13日の皇城新聞は「石島」と書いてます。
即ち、皇城新聞の考える勅令の石島と獨島とは別の島だったということにもなると思います。

7 ■いやはや、

韓国の、発音が似ているから韓国起源だとかいう、トンデモこじつけ説には、もうウンザリです。
日本政府には、竹島を返さなければ、ウォンの保障を中止するぞ、くらいは言って欲しいものです。福田さんでは無理ですね。

8 ■これは大変な資料です。

びっくりです。韓国にとってはこれは致命傷でしょう。

9 ■無題

皇城新聞の前面をフォトにUPしております。
こちらもご確認下さい。
ところで、この記事では「鬱陵本島の 東西・南北と周囲の距離を記したものであって、鬱島郡の管轄範囲を表しているとは必ずしもいえないのではないか?」
という疑問が出てきますが、この記事では、鬱陵島については語っておらず、あくまでも”鬱島郡”について語られており、主語は「鬱島郡」になるのでは、というのが杉野の見解です。

10 ■島根県に!!

凄いですね!!
島根県に教えて差し上げたほうが良いのではないでしょうか?

このような凄い記事を見るたびに、
「今の日本は一部のブロガー達などに支えられた戦いの上に成り立っている」のだなー、
と痛感いたします!!

お疲れ様でした!!

足あとを有難うございます。

11 ■どうする?日本政府

 ベタありがとうございまいした。

 「竹島問題」は、日本政府サイドにも問題ありですよね?

 韓国では小学生に聞いても「独島」の事を知っていますが、日本ではどうでしょう?
 「竹島」を地図上で指し示す事のできる人がどれほどいるか?

 実際、「竹島」には韓国経由でしか渡れないし、小学生から韓国領土だと教育し、日本が「竹島」を主張すれば、日の丸を燃やして熱く抗議の声を挙げる韓国のパワーに押し切られる様な雰囲気です。

12 ■無題

「二百余里」はどういう意味なのでしょうか。

13 ■newsing に うp しました

http://newsing.jp/entry?url=ameblo.jp%2Fnidanosuke%2Fentry-10059918345.html

14 ■RE:質問 2008-02-04 15:23:04

普通に考えれば、
縦横四角形の長さの合計でしょう。
60里+40里+60里+40里=200里

15 ■無題

いつも貴重な資料を有難うございます。

鬱陵島の古地圖(朝鮮地圖や海東輿地図の鬱陵島圖等)において、おのおのに距離が書かれているのですが、
鬱陵島の中峯から
(北東)石甫洞の距離が約5.6Kmで表示が30余里(0.18)
(南東)道洞までの距離が約3.6KMで表示が20余里(0.18)
(西)台霞洞までの距離は6.3KMでありますが、表示は30~40余里(0.21~0.15)
(北西)玄圃までの距離が4.7MKで表示が20余里(0.235)

このことを考えると、鬱陵島の詳細図に於いても、一里=02.Km程度で計算していると思われます。

ところで、1里=0.2Kmの事について書かれている出所等、有りましたらご教授お願いしたいのですが、宜しくお願いいたします。

16 ■無題

Mr.G様
1里=0.2kmですが、私も「聞いたことがある」程度ですので、詳しいことは分かりません。
但し、以下のサイト(OCCIDENTALISM)でも0.2kmの話があります。
http://www.occidentalism.org/?p=451

17 ■無題

 杉野さん、ていねいな紹介ありがとうございます。でも、「韓国近代史研究家」は恥ずかしいです(冷汗)。

 なお、記事の意味を私なりに考えた解釈を書いておきます。

 鬱島郡の配置顛末
 「統監府から大韓帝国内部(内務部)に対して公式照会のあった江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡庁設置月を明示せよとの件で、大韓帝国政府から回答が出され、それによると、経緯は、光武二年五月二十日に鬱陵島統監として設置され、光武四年十月二十五日に政府会議を経て郡守を配置した。郡庁は台霞洞に置き、郡の所管島はチュク島と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。

18 ■よい資料と解読をありがとうございました。

いつも素晴らしい資料をありがとうございます。

お二人の解読を下記のコメント欄にて紹介しました。これからもよろしくお願い致します。

http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/san-in-chuo-shimpo-usando-jukdo.html

19 ■記事の英訳を載せました

Gerry Bevers氏が当該記事について下記に解読した原文とその英訳を掲載しました。杉野さんのお名前も明記してこちらにリンクしてあります。

“July 1906, Korea Omits Dokdo from Uldo County ”
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.html

ところで、彼は“公照”“答酬”“郡廳設始月”“鬱陵島統監”“政府会議”をそれぞれ以下のように解読したようです。

“統監府에서内部에 公函하되 江原道 三陟郡 管下에 所在 鬱陵島에 所属島嶼와 郡廳設始 年月을 示明하라 하故로 答函하되、光武二年五月二十日에 鬱陵島監으로 設* 하였다가 光武四年十月二十五日에 政府合議 經由하야 郡守를 配置하니 郡廳은 台霞洞에 在하고 該郡所管島는 竹島石島오、東西가 六十里오 南北이 四十里니, 合 二百餘里라고 하였다어라.”

杉野さん、chaamieyさん、私には“政府合議”以外はGerryの解読が当っているように思われますが、如何でしょうか? 英訳の内容についても含めてご意見頂ければ幸いです。

20 ■修正検討

 広辞苑(第五版)によれば、次のとおりです。

公照 : 掲載なし
公函 : 掲載なし
答酬 : 答えむくいること。答え。返事。返し。
答函 : 記載なし
函  : はこ


 「公照」は記事の写真の見た目で推測したもので、必ずしも確信はありませんが、前後の文脈から考えて、照会の類の意味の言葉だと思います。

 「公函」、「答函」だとどういう意味になるのか私は分かりません。

 「郡廳設始年月」と「鬱陵島監」はこれが正しいですね。「政府合議」と「政府会議」はどちらであっても意味に差は無いですが、記事の写真を見た感じでは、どちらかと言えばやはり政府「會」議に見えますね。

 英訳については、時間的余裕もないのでコメントできません。ご了解ください。


21 ■ありがとうございました。

"函"についてですが、中国語の翻訳をしてみましたら、公函=手紙形式の公文、答函=手紙に答えますと翻訳されて出てきました。Googleでも中国語がたくさん検索に引っかかりますね。熟語なのでしょうか。韓国語ではどうなのでしょうか。新聞記事の漢字の形状からいってもこちらの方がよりしっくりするような気がします。これらの公式文書の原文が残っているとよいですね。

22 ■修正検討(2)

 なるほど、韓国語の辞書を見たら、「公函」は「公的な事に関してやりとりする手紙や文書」とありました。

 そうすると「公函」と「答函」が正しいのかもしれません。ただ、「公函」は名詞なので、「公函する」という使い方はちょっと不自然な感もあります。

 まあ、しかし、どちらの字であっても、統監府が鬱島郡の管轄範囲を尋ね、大韓帝国政府が回答したという事実関係は変わりませんね。

 そして、既に「独島」という名前の「外洋百余里」にある島のことが世に知られた後であるにもかかわらず、回答の内容には、独島のことを窺わせるものは何もありませんね。

23 ■無題

chaamieyさん

Gerryは”鬱陵島監으로 設證”のところを ”設始”と変更しました。拡大して見るとやはりこちらの方が正しいように見えます。

”まあ、しかし、どちらの字であっても、統監府が鬱島郡の管轄範囲を尋ね、大韓帝国政府が回答したという事実関係は変わりませんね。 そして、既に「独島」という名前の「外洋百余里」にある島のことが世に知られた後であるにもかかわらず、回答の内容には、独島のことを窺わせるものは何もありませんね。”

そうですね。それから、石島が竹島/独島では無かったことの明確な証拠になると思います。なにせ石島と言う謎の島を使用した張本人の大韓帝国政府の公式見解ですから。

ただ、私はこの前半の部分も大変重要であると思います。というのは、これが外交的に日本側から公式に紹介されたものに対する大韓帝国政府の公式な返答、つまり公式見解であることが明確であるからです。これによって、1906年5月1日大韓毎日申報や1906年5月9日皇城新聞の記事等を読んで驚いた統監府が大韓帝国政府に“公式に書簡を送って”照会し、おそらくは沈興沢の報告を受け春川郡守・李明来が5月7日に報告した独島に対して、中央政府(内部大臣・李址鎔と議政府参政大臣・李齋純)が5月28日付けで「指令第三号」で“独島”について調査させた結果それが鬱陵郡所属の島嶼ではなかったことが判明した結果を、公式書簡で返答したものだとすれば、今まで何故新聞等で日本が強引に奪ったと主張していた世論が霧散し、大韓帝国政府が調査まで命じたはずなのにその後の経緯が不明だった事の説明がつきます。もちろん、これを証明するには原本が発見される事がより重要ですが、この記事でこれ等の外交的なやり取りが平和裏に行われて、何よりたった数ヶ月前に抗議の論調で記事を載せた当の皇城新聞がこの結果を事実として淡々と伝えている事に大変意義があると思われます。しかも、韓国人は皆当時外交権が無かったとか、主要ポストは全部日本人が抑えていたとか、軍隊を駐留させていたから抗議のしようが無かったなどと言っていますが、この記事によると二国間の間のやりとりにそうした強制性は全く見出せません。

そうした今までの様々な疑問や穴を埋め、説明してくれるのがこの記事だと思います。

24 ■無題

 長文の御見解の部分、私もおおむねそのようなことを考えていました。

 もっとも、韓国側から言わせると、このやりとりは新聞を意識した統監府の形づくりであって、統監府は韓国政府が回答に独島のことを書かないように裏で圧力をかけたのだ、ということになるんでしょうね(笑)。

 私は、統監府はまじめに照会したと思います。そのへんのことは、既にここに意見発表しておきました。http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16252

25 ■はじめまして☆彡

ペタありがとうございますm(_ _)m

また来ますね('-^*)/

26 ■ほぼ同じ意見です。

chaamieyさん

Yahoo!でのご意見読ませて頂きました。Gerryが(想像上の)この会話について興味を示して尋ねてきたのを思い出しました。よくまとまっています。実際こうした会話があったかどうかは別にして、内容的にはこれが一番合理的な考えだともいます。

くどいようですが重要なことは、これが唯一の物的証拠( Hard Evidence)であることです。その他の陰謀説などは今の所は(そしてこれからも)単なる憶測にしか過ぎません。しかもこの内容からはなんら強制性が見出せないのです。今までと同じ日韓と言う狭い土俵で相撲をとっていると、いつもの白を黒と言う強引な手に引っかかりそうになりますが、これからは英語で国際的な競技場で戦うことが必要とされて来るでしょう。そうなった場合に果たして国際社会に受け入れられうる合理的説明を証拠を添えて提出出来るか、見物ですね。昨年立て続けに出てきた新しい資料の数々で、日本側の反証は、ほぼ証拠が揃ったと言っても過言ではないと思います。

杉野さんやchaamieyさんのように普段それぞれのfieldで活躍されている人々が、このように協力しあう事によって大きな成果が得られることを、最近いろいろと感じる機会が大変多く、嬉しく思っています。日本語で構いませんので、是非、私達のブログにも遊びに来て下さい。

27 ■無題

kaneganeseさん、ありがとうございます。ともかく、この件は、新資料を発掘された杉野さんの功績大です。杉野さんに敬意を表し、さらなる資料の発掘にも期待申し上げたいと思います。

28 ■無題

大分前……十日くらい前かな?にペタをいただいたので来てみました^^;
ありがとうございました

おもしろい記事ですね。
なんだか、いいものみたぞって気分になりました!

また来ます(´ω`*)

29 ■祝、山陰中央新報掲載

「石島=独島」説否定の記述見つかる
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=500527006

30 ■お見事、敬服の一語です。

はじめまして、練馬のんべ@家族がいちばんです。山陰中央新報で拝見し伺ったのですが、お見事、敬服の一語です。
弊ブログでも貴ブログを紹介いたしました。事後になりましたが報告します。ありがとうございました。
http://nonbe.way-nifty.com/blog/2008/02/post_41ad.html

31 ■gj

 初めて書き込みします。
古新聞からの発見すばらしいです。
大変な労力、敬服するしだいです。
小生は、本件について目下勉強しているところです。

これからも、ちょくちょく立ち寄らせていただきます。

32 ■石島=観音島 竹島=チュクド

どちらもウツリョウ島から東に数百メートル離れたところにある孤島。石島と呼ばれ、今は観音島なる島は石の塔のように突き出た周囲100M位。チュクドは竹島と呼ばれ、韓国土人が独島と主張するウサン島は形、大きさともこのチュクドの事です。大韓帝国が発行した地理誌も朝鮮の領土の東端が緯度経度で書かれており、その経度はこのチュクドの東端。
朝鮮土人は平気で嘘を付きます。

33 ■この記事を・・

この記事を竹島に関するレポートの参考にさせていただきたいです。お願いします。

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