突然ですが「間違い探し」です。
「袖振り合うのも多少の縁」
分かった方は「仏教」に造詣の深い方だと思います。
「袖振り合うのも多少の縁」は間違いで、正しくは…
「袖振り合うのも他生の縁」 または 「袖振り合うも多生の縁」
知らない人とたまたま道の行きすがりに、袖が振れ合うというような偶然でほんの些細な出会いも、前世からの深い因縁によるものだとする考えです。
人と人の関係は単なる偶然ではなく、すべて深い因縁によって起こるのだから、どんな出会いも大切にしなくてはいけないという「お釈迦さまの教え」を表した言葉です。
「多生」は何度も生まれ変わる意味。「他生」と書く場合は、この世以外の意味で「前世」と「来世」のことです。
インドでは、死んであの世に還った魂が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う「輪廻転生」は広く信じられていました。
「輪廻転生」の考えは、ヒンドゥー教や仏教などインド哲学において顕著ですが、古代のエジプトやギリシャなど世界の各地にも同様の思想は存在しました。
キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」と見なすことも出来ますが、
「復活」の場合はより狭く、生前と「同じ人格」を保ったままの転生であるとされます。
仏教における「輪廻転生」は「六道輪廻(ろくどうりんね、りくどうりんね)」という教えに詳しく書かれています。
「六道輪廻」は、もともとインドにあった世界観で、行いによって「六つの世界」に生まれ変わる、という考え方です。カースト制度も「六道輪廻」の思想に影響されているとされています。
「六つの世界」とは「六道」といい、仏教において「迷いあるもの」が輪廻するという、6種類の「迷いある世界」のことです。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の迷いある「六つの世界」です。
私たちが普段、日常的に使う言葉ですね。
Aさん 「畜生~っ カミさんに浮気がバレテ もう修羅場だったよ !」
Bさん 「あんた ホント餓鬼だね 一度 地獄に落ちたら… 」
みたいに…… (例えが下品でスンマセン)
「六つの世界」をもう少し詳しく言うと…
修羅道
戦闘を好む神、阿修羅の世界。修羅場とは、インド神話、仏教関係の伝承などで、阿修羅と帝釈天との争いが行われたとされる場所。
畜生道
食うか食われるかの弱肉強食の動物の世界。
餓鬼道
つねに飢えと渇きに苦しむ亡者の世界。食べ物を欲しがる様子から子供餓鬼と呼ぶようになりました。
地獄道
サンスクリット語では「ナラカ」といい、奈落と音写されます。「奈落」は地獄、または地獄に落ちることを意味します。
現世で「良い行いをした人」が生まれ変わるとされる「人道」も四苦八苦に悩まされ、「天道」でさえ老、病、死の苦しみがあります。
輪廻する六道すべてが苦の世界で、これを逃れるには「解脱する」しかありません。
前世の行いによってではなく、現世の行いによって「解脱(六道からの解放)」できる…
つまり、仏教とは「六道」からの「覚り」による「解放」だとも言えるのでしょう。
nico
参考・引用 : もう一度学びたいブッダの教え 西東社